Episord 1 B・エプスタイン |
ブライアン・サミュエル・エプスタインは1934年9月19日、ハリー・エプスタインの長男としてリバプールのロドニーストリート4番地にある産院で誕生した。 |
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弟のクライブが入学した時、兄が学校内での有名人だということはすぐにわかったという。とにかく面白いやつだというのである。ビーコンフィールドを卒業したが、美術と演劇に熱中していた彼は、公立の高校入学は無理だったようで、めぐりめぐって、リーキンという学校に入学する。 やがて、1年後れで弟のクライブも入学。 ここでもブライアンは美術と演劇に図抜けた才能を発揮した。誰もが、将来はそうした方面に進むのだろう考えたという。ブライアンは、毎週のように学校から家に手紙を書いた。将来、服飾デザイナーになりたいと書いた内容の手紙に両親は驚かされる。生真面目に商売をしてやっと成功した父親のハリーにしてみれば、議論する気にもなれないくらい馬鹿げたことだった。 母親のクイーニーは、ブライアンに理解を示すが、やはり夢物語のように現実離れしていると思えた。 ブライアンは帰省するたびに、繰り返し服飾デザイナー、アーティストになりたいと情熱的に語るのであったが、1950年当時、伝統的ユダヤ人家庭が選ぶべき道は、父親の築いた足跡を引き継ぎ、さらに繁栄させていくこと以外にとるべき道はなかったというのが現実だった。 友人たちの中には、ブライアンは第二のノーマン・ハートネル(女王の戴冠式用ドレスのデザインまでした英国の服飾デザイナー)になるのではないかと考えていた者さえあった。もしかしたら…と考えることは空しいが、もし、このとき、ブライアンの主張が受け入れられたならば、どうだっただろうか。もしかしたら…世界の音楽史はまるで違ったものになっていたかも知れないのである。 ブライアンは、もし服飾デザイナーになれないのであれば、さらに進学することはせず、父親の会社で働くということを告げていた。いずれにせよ、学校生活はもううんざりだったからだ。 父親は、息子が進学し、さらに学問(学歴?)を身につけることを望んでいたようだったが、息子が自分の下で働くという言葉に満足しないわけにはゆかなかった。だから、学校を退学したいという息子の主張をそのまま受け入れることになる。 1950年秋、リーキンを退学。この時、ブライアン・エプスタインは、まだ15歳の少年だった。 |
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