Episord 16 ミステイク |
ビートルズとエプスタインとの関係は、揺るぎないものになるのだが、それは皮肉なことに、あのピート・ベストの解雇に絡んでエプスタインが悪者となり、リバプール中の憎悪の的となり、エプスタイン自身ひどく傷付いたという一件から、より強固なものとなったようであった。 ビートルズは、エプスタインの性的傾向にはすぐに気付いたと言う。しかし、そのことについて彼らは何も触れなかった。ビートルズは、エプスタインが、自分たちと一緒にいる時には、決して裕福な暮らしをしている人間だということを見せ付けようとはせず、むしろそれを隠すようにしていたことにも気付いていたのだ。 |
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どこまでも慎重で用心深い彼の性格からすれば、ビートルズの人気に影を差すものは封印しておきたかったのだろう。だが、この後にとったエプスタインの行動は、そんな慎重な彼としては、不注意といってもいい結果をもたらすのである。 1963年4月8日、シンシアは男の子を出産。エプスタインが名付け親となり、ジュリアンと命名される。 忙しく働きづめのジョンが、子どもの居る家に居るのでは休養にならないだろうと考えたエプスタインは、ジョンをスペイン旅行に誘うのである。シンシアも、この申し出を喜んだ。 赤ん坊が居る生活に慣れるための1人の時間が持てるだろうと。ジョンも、休養のためには、エプスタインの申し出は好都合だと考えた。かくて、4月28日から12日間の休暇は、スペインで過ごされることになるわけである。 だが、あらゆることを考え、注意深く行動するエプスタインにしては、これは大変な間違いだった。 エプスタインがホモセクシャルであるということは、公然の秘密だ。そのエプスタインとジョンが2人で旅行に出たというニュースは、またたくまにリバプール中に噂となって広まるのである。 ジョン・レノンがヘテロセクシャルであることは疑う余地はないと思われたのだが、このことによってこれ以降も、もしや...という風に言われることになったのは事実だった。 だからポール・マッカートニーは、ジョンとは同じ部屋で何度も寝たけれど、そんな兆候は一切なかったと“証言”しなければならなかったのである。 この一件が、すでに述べたジョンの暴力につながる。6月18日、21歳になったマッカートニーの誕生日で、ジョンは、ボブ・ウーラーを殴り倒した。 「奴は、ホモ野郎と侮辱した。だから肋骨をへし折ってやったんだ」 酒を飲んでいたわけだから、ボブ・ウーラーも冗談のつもりだったのかも知れない。だが、すでに噂が広まっているということを知っていたジョンとしては、当然の反応だったのだろう。 エプスタインもジョン同様、噂に腹を立てていたが、この事件はなんとかしなければと、ウーラーを病院に運び(文字通りKOされたわけである)、弁護士を通じて相当の金額を支払い、なおかつ、ジョンには謝罪の電報を打たせている。 現在では、ジョンとエプスタインについて、どうこういう話はほとんど問題にされないが、かつては、幾度となく、この噂話は再燃されている。 だが、エプスタインの秘書だったウェンディー・ハンソンによる言葉は、2人の噂をあっけらかんと否定するものだ。 「ブライアンは、とても繊細な人でした。自分を押しつけるような人ではありません。それにジョンは絶対にゲイじゃありませんでした。彼は女たらしでしたもの」 伝説の人、ジョン・レノンも、当時を知る者に言わせると、ただの男というわけである。 |
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N P |