Episord 46 思い掛けぬ混乱

 エプスタインが疲れていたのと同じように、ビートルズも旅公演にウンザリしていた。1964年8月のアメリカ公演の頃から、それは目立った。それは1つのサイクルの終わりだったのかも知れない。

ハンブルグでは、延々と8時間以上演奏し続けても、演奏すること自体が喜びであった。日ごとに、相手がやりたいことが解るようになっていた。目と目で解り合えた。だが、今では、それも変わりつつあった。そうした経過をジョージが語っている。
「ハンブルグからリバプールに戻って、演奏時間はずっと短くなったけど、それでも楽しかった。リハーサルなんて一度もしなかったな。後になってからは、そうも行かなかったけど、キャバン当時は、やりたいようにやれた。自然に何でも飛び出して来る感じだった。ジョークも笑いもとても自然だった」

「旅公演に出ることになって、最初は良かった。短い時間の演奏でさえ、芸に磨きが掛かったと言うか、さらなる始まりの下地となった。しかし、世界中に出掛けて演奏するうちに、毎日、お客さんは違うのに、自分達は同じことを繰り返しているだけだっと思うようになって来た。
それに誰も聴いてくれやしない。自分達はそれまで身につけたクズを見せているという感じで、音楽家として最低になっていた」それを受けるように、リンゴが言う。「自分達の演奏をダメにしたのは、聴衆の騒音だった。最後には自分でも半分は音が聞こえないんだ」

「ホールの場合だと、勝手に場所を決められてしまった。お互いに位置が離れ過ぎてね。ステージ演奏のときは、レコードより早く演奏することにしていた。何故かと言うと、自分達の演奏が自分達に聞き取れないからだよ。時々、自分で入り間違えることがあった。曲の何処を演奏しているか解らなくなるからなんだ」
「最後には、誰も旅公演なんて嬉しくなかった。色々な土地で演奏をしても、これは非道いなあと思ったものだよ。自分達は何も与えていないんだ。その時なんだよ、僕達と同じように聴衆の方が嫌わないうちに、こんなことは中止すべきだと決心したのは」

1966年、ビートルズが来日し、武道館で演奏をしたことは既に述べた。日本の厳重な警備態勢は彼らには驚きであったが、とにかく“無事”に公演を終えたことは事実である。だが、このあと、フィリピンでの公演がケチの付き始めだった。
フィリピンでは2回の公演が予定されていた。午後4時と8時半が開演時間である。1回目の公演前に、マルコス大統領夫人を表敬訪問すべきではないかという話があった。そう、あのイメルダである。
最終的な決定はビートルズ側に任せると告げられていた。提案された時間は午後3時だった。エプスタインは確約しなかった。しかし、イメルダは当然、ビートルズが来るものと思っていたのである。彼女は多くの人々を招待し、総数200名にも達した。用意されたテーブルには、座る位置まで指定されているという正式な催し物そのものだった。

午前11時に、軍の警備隊がビートルズを迎えにやって来た。考えられないことだった。旅公演で疲れているビートルズは、まだベッドの中にいる。エプスタインは予定に無いことだと彼らに告げる。
役人たちがスケジュールを確認するように言ったが、もちろん午前中の予定は何も無かった。
「馬鹿げている。ビートルズはまだ寝ている」(エプスタイン)
警備隊は宮殿に引き返した。

1回目の公演は“無事”に終わった。エプスタインはホテルに戻り、テレビを見ていた。公演の報道ぶりを確認しようとしたのである。ところが、意外なことになっていた。
“ビートルズが大統領夫人を侮辱した”というニュースが報じられていたのである。テレビ画面には、用意されたテーブルの座席を示すカードが取り払われるところが映し出されていた。
「大変なことになった。」エプスタインには、全く予想し得ないことであった。ビートルズの一行は、この国で大統領夫人に招かれるということが、どれほど重要なものか理解出来なかった。
エプスタインはテレビ局に連絡すると、声明を発表したい旨、告げた。

テレビ局はこれに同意し、ただちにホテルにやってくる。エプスタインはカメラに向かって、ビートルズは全く侮辱する意図など無かったこと、元より正式な招待を受けていなかったこと等を説明したのである。
だが、事態はただならぬことになっていた。彼の語っている様子はすぐにテレビで放送されたが、彼の声の部分だけが意図的に聞き取れぬように乱されていたのだ。

電話が、ホテルや大使館に掛かり始めた。「ビートルズを殺す」という脅迫電話である。翌日。ビートルズ一行に、フィリピン国民の憎悪が向けられていた。ホテルの従業員が荷物を運ばず、用意される筈のリムジンは来ず、タクシーに乗ると、明らかに遠回りをしているのが解った。空港に行かせまいとしているのである。
空港でも、全く協力する者は居なかった。大量の機材や荷物も自分達で運ばねばならない。空港全体が、まるでストライキの状態である。

飛行機に乗るまで、彼らは群衆の怒号の中を通らねばならなかった。滑走路にまでも人々は押し寄せ、ビートルズ一行を小突き、殴った。
ビートルズの4人は辛うじて守られたが、エプスタインは殴られ、蹴られた。飛行機に乗り込み、離陸すると、ビートルズは歓声を上げたという。助かったという想いが思わず声に出たのだろう。

イギリスに戻ったエプスタインは、これまでの蓄積した心身の疲労が一気に出たのか、ダウンしてしまった。このため、彼は次のアメリカ行きを延期した。休養をとることもいいだろう。
だが、エプスタインの休養も長くは続かない。ビートルズのアメリカ公演の様子を知らせる電話が、ただならぬ内容だったからだ。アメリカでは、ジョン・レノンの発言が、なにか深刻な事態を巻き起こしつつあるようだった。

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