Episord 46 思い掛けぬ混乱 |
エプスタインが疲れていたのと同じように、ビートルズも旅公演にウンザリしていた。1964年8月のアメリカ公演の頃から、それは目立った。それは1つのサイクルの終わりだったのかも知れない。 |
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1回目の公演は“無事”に終わった。エプスタインはホテルに戻り、テレビを見ていた。公演の報道ぶりを確認しようとしたのである。ところが、意外なことになっていた。 “ビートルズが大統領夫人を侮辱した”というニュースが報じられていたのである。テレビ画面には、用意されたテーブルの座席を示すカードが取り払われるところが映し出されていた。 「大変なことになった。」エプスタインには、全く予想し得ないことであった。ビートルズの一行は、この国で大統領夫人に招かれるということが、どれほど重要なものか理解出来なかった。 エプスタインはテレビ局に連絡すると、声明を発表したい旨、告げた。 テレビ局はこれに同意し、ただちにホテルにやってくる。エプスタインはカメラに向かって、ビートルズは全く侮辱する意図など無かったこと、元より正式な招待を受けていなかったこと等を説明したのである。 だが、事態はただならぬことになっていた。彼の語っている様子はすぐにテレビで放送されたが、彼の声の部分だけが意図的に聞き取れぬように乱されていたのだ。 電話が、ホテルや大使館に掛かり始めた。「ビートルズを殺す」という脅迫電話である。翌日。ビートルズ一行に、フィリピン国民の憎悪が向けられていた。ホテルの従業員が荷物を運ばず、用意される筈のリムジンは来ず、タクシーに乗ると、明らかに遠回りをしているのが解った。空港に行かせまいとしているのである。 空港でも、全く協力する者は居なかった。大量の機材や荷物も自分達で運ばねばならない。空港全体が、まるでストライキの状態である。 飛行機に乗るまで、彼らは群衆の怒号の中を通らねばならなかった。滑走路にまでも人々は押し寄せ、ビートルズ一行を小突き、殴った。 ビートルズの4人は辛うじて守られたが、エプスタインは殴られ、蹴られた。飛行機に乗り込み、離陸すると、ビートルズは歓声を上げたという。助かったという想いが思わず声に出たのだろう。 イギリスに戻ったエプスタインは、これまでの蓄積した心身の疲労が一気に出たのか、ダウンしてしまった。このため、彼は次のアメリカ行きを延期した。休養をとることもいいだろう。 だが、エプスタインの休養も長くは続かない。ビートルズのアメリカ公演の様子を知らせる電話が、ただならぬ内容だったからだ。アメリカでは、ジョン・レノンの発言が、なにか深刻な事態を巻き起こしつつあるようだった。 |
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