Episord 33 スチュの死

 スチュこと、スチュアート・サトクリフは、ビートルズに居た時、彼らと親しい者達からすると、かなりいじめられていたように見えたと言う。特に、ポールとの「軋轢」(?)は、かなりなもので、ポールのスチュアートに対する「デッド・パン」攻撃は、情け容赦がなかった。
あまりのことに、ステージ上で癇癪を起こしたスチュアートの姿は、何度も目撃されている。これは、それまで“蜜月関係”が続いてたジョンとの仲に、急に割って入った彼に対するポールの嫉妬だという説もある。

スチュアートは、ジョージがしたように同じような皮肉っぽい言葉を返したり、あるいは無視したりするようなことが出来なかった。ピート・ベストもジョンやポールのからかいの対象だったのだが、彼は、そのことを全く記憶していない。要するに、まともに取り合わなかったわけである。からかった方は十分それを意識していたのだが。
つまり、彼らは新参の2人に対して、自分達の仲間足り得るかを常に確認しようとしていたような処があったのである。ピート・ベストは、まったく取り合わなかったわけだが、これは要するに“同じ土俵に上がらない”ということでもある。この対応が、どのようなことになるのかは、後になって解ることだが、そのことに、彼は気付かなかったようだ。

一方、スチュアートは、からかわれることを非常に気にしていた。その意味では、彼の方が見込みがあったと言える。
ジョンへの憧れから仲間に加わったのだが、結局、彼はジョンのようにはなれない。スチュアート・サトクリフは、やはりスチュアート・サトクリフでしかないと気付いた時、彼はビートルズから離れて行く。
ジョンのようにステージ上で跳ね回ることもなく、ただ1人サングラスをして、まったく愛想を振り撒くことなく、むしろ不機嫌ともとれる表情をしていた彼だが、意外なことに、かなり人気があったと言う。他のメンバーが動き回っている中で、1人静かな彼は、逆に目立っていたということか。

他のメンバーがリバプールに戻った時、彼は1人ハンブルグに残った。当時、ハンブルグ美術学校の客員教授でもあった彫刻家、エドアルド・パオロッツィは当時のスチュアートをこんな風に評している。
「非常に精力的で才能があった。可能性が溢ふれんほどであり、鋭い感受性と絶対に成功するんだという自信に満ち満ちていた」
グループから離れた後も、ジョンとスチュアートは手紙のやりとりをしている。最初は、例によってジョークやデタラメな与太話を書き送っていたジョンだが、次第に書き送る手紙の内容は、深刻なものになって行った。

どんな時でも、弱み、あるいは悲しみの表情をみせないジョンであったが、現状に対する不満なども書き送るようになるのだ。ジョンは、リバプールで一応の成功を収めたものの、昨日と同じ今日をおくる毎日に、うんざりして来たところだったのである。
「全てくだらない仕事だ。今に何かが変わると思っているけれど、いつになったら変わるんだろう?」
忙しい毎日を送っている彼にしてみれば、わざわざ手紙を書くということ自体大変なことである。傍目には、いじめているとしか思えなかったというスチュアートに対するジョンの信頼が、どれほどのものであったかが窺われる事実である。

思い出す
あのころ 僕が好きな人たちは
僕のことを憎んでいた。
なぜならば、
僕が憎んだから
それがなんだろう
それがどうだというのだ。

 (略)
思い出す
あの頃 すべてがかなしい思い出ばかり
かなしみが深すぎて
もう僕には分からない
かなしみが深すぎて
泣いたあとには 愚かな自分が見えるだけ
だから僕は歩き続ける。
ヘイ・ノニ・ノニ・ノウと叫びながら。


特に書くべきことがなければ、そんな風な詩をスチュアートに送っている。
これに応えるように、スチュアートも内面を赤裸々に明かす手紙を送って来るのだが、彼の方は、いささかその深刻さの度合いが大きかった。ある日、スチュアートは、美術学校内で昏倒し、部屋に運ばれる。
アストリッドは、過労から来るものだろうと考えていた。

「その前から、頭が痛いと言っていましたけど、勉強のし過ぎだろうと、私たちは軽く考えていました」(アストリッド)
その後もスチュアートは学校に通うが、1962年3月、再び学内で倒れる。アストリッドの家に運ばれた彼は、そこで暮らし始める。

彼の何かを成し遂げたいという情熱は消えることはなかった。1日中デッサンや油絵を描き、行き詰まると部屋の中をグルグルと歩き回った。医者に診てもらったものの、一向に改善はみられなかった。
彼は絶え間ない頭痛に襲われ、その苛立ちをアストリッドや彼女の母にぶつけた。だが、2人にはどうすることも出来なかった。

1962年4月。
スチュアート・サトクリフは短いが激しい一生を終えた。脳出血による死だった。
死後、彼が残した作品は、リバプールやロンドン等の展覧会に出品された。
「僕はいつもスチュを尊敬していた。いつも真実を語ってくれる人間として、彼を信頼していた。彼は、何がいいか、何が悪いかを遠慮せずに言ってくれた。僕は心から彼を信じていたんだ」(ジョン・レノン)

スチュアート・サトクリフの死は、ジョンにとって、そしてビートルズにとって、1つの季節の終わりを告げるものであった。
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