Episord 33 スチュの死 |
スチュこと、スチュアート・サトクリフは、ビートルズに居た時、彼らと親しい者達からすると、かなりいじめられていたように見えたと言う。特に、ポールとの「軋轢」(?)は、かなりなもので、ポールのスチュアートに対する「デッド・パン」攻撃は、情け容赦がなかった。 思い出す |
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思い出す 特に書くべきことがなければ、そんな風な詩をスチュアートに送っている。 これに応えるように、スチュアートも内面を赤裸々に明かす手紙を送って来るのだが、彼の方は、いささかその深刻さの度合いが大きかった。ある日、スチュアートは、美術学校内で昏倒し、部屋に運ばれる。 アストリッドは、過労から来るものだろうと考えていた。 「その前から、頭が痛いと言っていましたけど、勉強のし過ぎだろうと、私たちは軽く考えていました」(アストリッド) その後もスチュアートは学校に通うが、1962年3月、再び学内で倒れる。アストリッドの家に運ばれた彼は、そこで暮らし始める。 彼の何かを成し遂げたいという情熱は消えることはなかった。1日中デッサンや油絵を描き、行き詰まると部屋の中をグルグルと歩き回った。医者に診てもらったものの、一向に改善はみられなかった。 彼は絶え間ない頭痛に襲われ、その苛立ちをアストリッドや彼女の母にぶつけた。だが、2人にはどうすることも出来なかった。 1962年4月。 スチュアート・サトクリフは短いが激しい一生を終えた。脳出血による死だった。 死後、彼が残した作品は、リバプールやロンドン等の展覧会に出品された。 「僕はいつもスチュを尊敬していた。いつも真実を語ってくれる人間として、彼を信頼していた。彼は、何がいいか、何が悪いかを遠慮せずに言ってくれた。僕は心から彼を信じていたんだ」(ジョン・レノン) スチュアート・サトクリフの死は、ジョンにとって、そしてビートルズにとって、1つの季節の終わりを告げるものであった。 |
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