Episord 38 ピート・ショットンへの援助

 ジョンのピート・ショットンに対する信頼は、全く揺るぎないものだった。功成り名遂げた者が、かつて知り合いだった男に、ちょっといい処を見せてやろうというような、そんな薄っぺらな友情の押しつけではなく、そうすることがごく当然だというように、ジョンはピートに対するのである。
1963年も押し迫った頃、ジョンはリバプールに戻り、ピートと彼の妻をロンドンに招待する。ロンドンでビートルズのクリスマス・ショーが行われるのだ。さらに、ジョンはピートに出資する。当時、オランダ人が経営するカフェで働いていたピートに、何か事業をやることを勧める。
ピートは私営の馬券売り場を経営することを思い付いた。その頃、各地にそうした施設ができ始めていた頃で、資金さえあれば自分にも出来るような気がしていたのである。ジョンは、ブライアンから小切手を受け取るようにしてくれた。当時の金で2,000ポンドだった。

NEMSを訪ねると、ブライアンは留守で、ピートは彼の帰りをそのままオフィスで待っていた。電話のベルが鳴り、たまたまピートがその電話を受けた。アメリカからの電話だった。
ピートはエプスタインの不在を伝え、相手の名前と電話番号をメモしておいた。ほどなくしてエプスタインがオフィスに戻る。ピートは用件を告げ、世間話をした後で、そういえば...という調子でメモを渡した。
エプスタインはそのメモを見ると文字通り躍り上がったと言う。そこには、エド・サリバンとそのオフィスの電話番号が記されていたからだ。ピートはエプスタインの興奮ぶりに驚くばかり。彼はエド・サリバンのことは何も知らなかったのだ。

「エド・サリバン・ショー」は、アメリカのテレビ史上、最も有名な番組と言われたバラエティーショーだ。1948年から1971年の23年間に渡り放映されている。これは単なる歌番組ではなく、あらゆるジャンルのスターが出演した。この番組に出るということは、アメリカに認められたということを意味したわけで、エプスタインが喜んだのも当然だった。
あのプレスリーもこの番組に出たことをきっかけとして大スターになって行く。ただし、彼の場合下半身を映さないようにという注意がカメラマンに与えられたわけだが...

1963年12月26日、ピート・ショットンはロンドンで初めてビートルズを見た。「ビートルズは、グレーの襟なしスーツを着ていた。ピエール・カルダンのね。ヘアスタイルも全員揃って、そりゃあもう、4人とも可愛らしいお人形さんみたいだった。キャバン・クラブで汚い格好で演奏していたのがまるでウソのようだった」
「曲の合間にジョンがマイクを持って叫んだ。『やあ、ピート元気かい?』ってね。僕は手を振り、大声を出したけど、ジョンには聞こえなかったようだった。ジョンは僕が来ていることを知らされていたんだよ」

コンサートが終わり、楽屋を訪れたピートをジョンは歓迎し、そのまま彼が乗るロールス・ロイスに同乗させた。ピートは、押し寄せるファンの群れをかき分けるようにして、少しずつ進んで行くロールス・ロイスの中でジョンと一緒だった。ファンはひっきりなしに、車の窓から手を突っ込んでジョンに触ろうとする。
「すごい人生だな」
「冗談じゃない。クソくらえだ。近い内に、こういうやつらの1人に捕まって、殺されてしまうよ」
こんな調子でピートは1週間、ジョンの相手をした。少々うんざりし始めていたジョンにとって、ピートは傍に居て欲しい友達だったのだ。ジョンの作である「ヘルプ」の歌詞は、孤独に耐えかねて、ダメになりそうな自分を支えてほしいと恋人に歌っている内容と受け止められている。事実、そう解釈するのが当然だろう。

だが、ピートによれば、あれは自分のことを歌っているのだという。
… I do appreciate you being around.
「そばにに居てくれるだけで感謝する」というあの歌詞は自分に対して言っているのだと。

ピートは、ジョンからもらった2,000ポンドで馬券売り場の営業許可を得ようとしたが、教会の牧師に反対されて断念した。教会の傍でそんな商売をされては困るというわけである。結局、2,000ポンドは何となく消えてしまった。
車を買ったりしたのだそうだ。ジョンにそのことは正直に伝えたそうだが、自分もそんな風に2,000ポンド使いたかったと皮肉を言われたそうだ。しかし、ジョンはこの後もピートに対しての援助を惜しまなかった。 巨万の富を手にした頃、もう一度ピートに大金を出している。たとえそれが再び無駄な金になったとしても構わないという感じだったようた。

巨額と言っていいほどの金をピートは“援助”された。この結果、ピートは店舗を購入し、スーパーマーケットと、洋品店を経営する。(※その後、洋品店は売りに出されたが、スーパーの方は現在でも繁盛しているそうだ)
これほどまでにビートルズに親しかった人間は、そうはいないだろう。そんなピートが改めてビートルズについて語っている。
「ジョージは本当にイイやつだった。最初に僕のスーパーに出資したいと言ったのは彼なんだ。結局、ジョンが1人で援助してくれたんだけどね」
「一等解りにくかったのはポールだね。とても愛想がいいんだけど、なかなか本心を見せないんだ」

「リーダーのジョンに、対抗しようとしたのはポールだけさ。ジョンもポールには一目置いていたし、彼の才能を認め、尊敬もしていたと思う。でもビートルズは自分が作ったんだということをジョンはいつも意識していたよ。ポールがそうでないような態度をとると不機嫌になったからね」
「1966年の末頃からジョンは外に出なくなった。読書に没頭していた。キリストとか霊界とか、チベットとかフロイトとか...要するに彼は退屈していたんだ。自分は何処にも行く場所が無い男だと思っていた。だからあの曲をつくったんだ。『ノーホエア・マン』をね」

「ノーホエア・マン」は、アルバム「RUBBER SOUL ラバー・ソウル」に収録。日本語のタイトルは、「ひとりぼっちのあいつ」である
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