Episord 42 エプスタインの苦悩 |
ブライアン・エプスタインは、ビートルズを成功に導いた男として、今や業界ではスター、主役であった。もう、これ以上は無いというほどの。だが、彼はこの時期においても、未だに演劇の世界に未練を持っていたようである。役者を目指し、ついに「主役」になれなかった男。彼自身は自分を卑下するように語ることがあった。 |
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「彼が孤独であったのは間違いありません。“そのこと”について、親しい友達にも話せなかったわけですからね。でも、“そのこと”は、みんな知っていましたよ。そして全く気にもしていませんでした。もっとも、気にしないと言うことは、一方で、通り一遍の付き合い方しかしないということでもありますがね。ブライアンが人と打ち解けて話しているのは見たことがありません。唯一の例外がジョン・レノンだったと思います」 エプスタインが、果たして自分自身を理解できていなかったのどうかは解らない。しかし、間違いなく理解できていなかったのはアメリカの広さだった。 1964年、最初の本格的アメリカ・ツアーに際して、エプスタインがアメリカの地理をよく解らないままに認めてしまったため、ビートルズはとんでもないスケジュールをこなさなければならなかった。 34日間に、24都市で32回の公演...あの広いアメリカで、これはどう考えても非常識だ。1カ月間を通してビートルズは、熱狂的な歓迎を受けた。だが、彼らはホテルとリムジン、そして飛行機の中に居ただけである。彼らの人気はまさに「異常」だった。 ビートルズが息をしていた部屋の空気の缶詰が売り出された。ビートルズが泊まったホテルのベッドシーツは、洗濯しないうちに切り刻まれ、3平方インチ10ドルで売られた。エプスタインは、ビートルズに掛かり切りになっていた。リバプールでは、エプスタインの指示を待っているアーティスト達が居たのだが、完璧を求める彼は、ホテルの手配から警備態勢の指示、ビートルズが演奏する曲の選択、その他綿密なスケジュールを全てやらずには気が済まなかった。 彼は他のアーティストも気にしていたが、すべてに優先したのがビートルズだった。だから、エルビス・プレスリーのマネージャー、トム・パーカーと話をする機会を得た時、自分がやろうとしていることの大きさをやっと理解できたのである。パーカー大佐は、プレスリー以外のマネージャーをしたことがなかった。 エプスタインが驚いた表情をするのを見てパーカー大佐は言った。 「エルビスは、私のすべての時間を必要としたんだ。もし、他の人間と契約したら彼は傷ついただろう」 パーカー大佐から貴重な経験談を聴けたエプスタインだったが、彼は、やはり何もかもを1人でやろうとして大きな損失をすることになる。 映画会社からビートルズ主演の映画の話が来た。エプスタインは自分の判断で利益配分を考え、よせばいいのに、自分のほうから先に数字を言ってしまうのだ。利益を優先した映画会社は、知恵を絞り、低予算のコメディー映画仕立てにした。 この映画によるでビートルズ側の利益は不当に少なかったが、「ハード・デイズ・ナイト」(邦題「ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」)と「ヘルプ」は、映画会社に今なお利益をもたらせ続けている。 |
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