Episord 37 友情

 クオリーメンからビートルズとなり、成功したジョン・レノン。ところで、ジョンと幼なじみの悪ガキ、あのピート・ショットンのその後はどんなものだったのだろう。
ジョンは自分が悪かったことで、遊び仲間のピート・ショットンの人生まで狂わせてしまったと言っていた。ピートはジョンと同様、勉強は全くせず、いたずらばかりに明け暮れていた。反抗的で集団には溶け込めず、ピートはジョンと一緒にクオリーメンとしてやっていたが、ポールが入り、ジョージが入りすると、元々tジョンに誘われて始めたこともあって、途中で脱退している。
ただし辞めてからも、ジョンとは親友であり続けた。元クオリーメンとしてジョン達の演奏を聴き、その時の会場の雰囲気はどうであったか等々と報告したりしていた。だが、中学の進級試験にはことごとく落第してしまう。
当然、彼はもう学校に留まることは出来なかった。悪いことばかりしていたピートは、果たしてまともに職に就くことが出来たのだろうか。

驚いたことに、この後、彼は警察学校に入学している。彼の母親が、警察学校のパンフレットなどを持ってきて、彼に薦めたのだそうだ。
1957年、16歳のピート・ショットンはリバプール警察学校に入学。この学校に入った動機は何かというと、彼も自分でよく解っていなかったようだ。世間体を気にしていたピートの母は、とにかくちゃんとした仕事に就けるようにということで薦めたのだが、ピートは母が持ってきたパンフレットが、お気に召したようだ。
それには、ビリヤードをしたり水泳をしたりボクシングをやっている訓練生の日々の様子が写真で紹介されていたからである。
「警察学校は学生生活をまだやれるような感じで、楽しめると思ったんだよ」

入学後、ピートはそこで生き生きとした2年間を過ごすことが出来た。スポーツが得意だった彼は、大いに“学生生活”をエンジョイしたようなのである。警察学校は、ポール・マッカートニーの自宅の裏側にあったと言う。
相変わらずジョンとの付き合いは続いた。クオリーメンの機材運びを手伝うなどしていたが、お節介な人がいて、警察学校の生徒がキャバンとかいう汚い場所で、長髪の不良達と付き合っているとチクられて、ピートはキャバン・クラブへの出入りを禁じられている。だが、それで、はい、そうですかとなるピートではなかった。
相変わらず彼は、キャバン・クラブへ通っていた。さすがにバレないように気を付けたと言うが、そんなことはピートにしてみれは、簡単なことだったのだろう。

1959年。ピート・ショットンは警察学校を無事卒業。あの悪ガキのピートは晴れて警察官になるわけである。卒業式が行われ、ピートは他の卒業生同様、粛々とグラウンドを行進していた。
ふと気がつくと、ポールの自宅の裏庭にある洗濯場の屋根の上で、バケツとモップを持ち、卒業生に合わせて行進の真似をしている2人が目に入った。ジョンとポールだった。警察学校の厳粛な卒業式の最中のピートを笑わせようとしていたのである。

「笑いをこらえるのに死ぬ思いをしたよ。ちゃんと行進しないといけないからね」
こうして警察官になったピートは、リバプールでも最も危険な地区を巡回することなる。だが、ピート・ショットンの警察官としての勤務実績は、9カ月で終わる。
仕事となると、全然楽しくなかったのだと言う。楽しさを求めて警察学校に入ったまでは良かったが、やはり彼には、初めから向いていない職業だったと言うべきなのだろう。
彼は、ジョン達と一緒に出入りしていたオランダ人が経営していた店で働くことになった。形の上では共同経営者と言うことであったが、まったく出資していないのだから、要するに雇われたと同じだった。

楽しさを求めていたピートにこの仕事はピタリだった。この頃、彼はジョンの友達だったあのスチュアート・サトクリフとも知り合いになっている。彼が見たスチュアートも、やはり“ものすごい才能のあるアーティスト”という印象だったと言う。ジョンは自分がやりたいことを親友にもやらせる男だから、スチュアートが音楽をやったのもそういうことなのだろうと彼は分析している。

やがて、ジョンはハンブルグに出掛けることになるのだが、何度か目には、ピートを誘っている。しかし、ジョンとしても、まだその頃は、演奏して得た金をそのまま使ってしまうような生活だったから、ピートに金を出すまでのことは出来なかった。
ピートは仕事を続けなければならないと断っているが、金銭的な問題もあったのではなかろうか。
ある日、ピートは、妻とともに南部にある姉妹の家に居た。
そこでラジオを聴いていると「突然、17位に新登場という紹介で『ラブ・ミー・ドウ』が掛かった。僕はトップ20に入るアーティストは全部スターだと思っていたから、とても信じられなかった。あのビートルズがスターだなんて」

アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」が発売された時には、ミミの居た家に彼は招かれた。ジョンは、幼なじみの悪友と一緒にこのレコードを何度も何度も聴いたのだ。
「ジョンはもの凄く興奮していた。最高だよ、最高だよと連発していたよ」おそらく、ジョンにとって、一番自分の気持ちを素直に表わせる相手は、やはりピート・ショットンだったのだろう。
この後ジョンは、子供の頃から描きためていたイラストを一緒に整理する仕事をピートに頼む。その時、ピートの仕事の話などを聞いた後、クリスマス・プレゼントだと言ってピートに茶色い封筒を差し出した。
「ジョンの給料袋で、開封していなかった。貰えないって言ったんだけど、どうってことないから受け取れよと言われたんだ」

翌日、開けてみると5ポンド札が10枚。50ポンド入っていた。
この頃、ピートの週給は10ポンドだったから彼にとっては大金である。しばらくして、イラストを中心としたジョンの本が出版されることになった。ピートはイラストの整理を頼まれた理由がやっと解った。
校正刷りの段階の物を見せながら、“最初に作品を見てくれたピートに捧ぐ”と書くつもりだとジョンは語っていた。結局、ミミが気分を損ねると困るからと言うので、それは取りやめられるのだが。
「最初のページに載っていたのはカーリー・ヘアの少年のイラストだった。頭と手にへんてこな鳥を乗せている縮れっ毛の少年。あれは僕なんだよ。ジョン流のやり方であの本を僕に捧げてくれたんだ。ミミのご機嫌を損ねないようにしてね。本当に嬉しかったよ」(ピート・ショットン)
36 38