Episord 48 コンサートツアー中止

 「もうたくさんだよ」そんな言葉を何度も聞かされていたエプスタインは、まだ事態の深刻さに気づいていなかった。彼は、ビートルズの“苛立ち”をマニラでの恐ろしい体験や、ジョンの「キリスト発言」による一過性のものだと考えていたのである。
ロンドンに戻り、休養を取れば、また大勢の観客が恋しくなるに決まっている。エプスタインは楽観的だった。あるいは、そう自らに言い聞かせていたのかも知れない。
ビートルズの魅力は、生の彼らの演奏をにあるということを誰よりも信じていた彼は、二度と彼らのライブを体験出来なくなるなどは、思いもしなかった。

そんな筈は無いのだ。そんなことがあってはならない。エプスタインは、いつもそうだった。不愉快な事実が起きつつあっても、それを見ようとしない。そんなことは全く存在しないかのように振る舞う。それがエプスタインの生き方だったのである。
「二度とコンサートツアーはしない」とビートルズが宣言しても、エプスタインはその発言を無視し続けた。
エプスタインの会社は、ビートルズを筆頭として十分な利益を生んでいたが、すべてのアーティストが満足すべき活動を続けていたわけではなかった。売れない歌手を抱えていたことは事実であるが、それでもエプスタインは自信満々に見えた。

必ず売れると思った曲がほぼ100%の確率で売れていた頃とは違って、彼の予想は外れることが目立って来ていた。その意味で彼の面目はかなり失われていたが、それでもまだまだその威光が衰えることはなかった。
何しろ彼は、あのビートルズのマネージャーなのだから。直感力、そして驚くべき集中力と勤勉さ、それがエプスタインの成功の源であった。彼は誰にも教わらず、自らの信じるままに行動して成功したのである。だが、今、彼は問題を抱えていた。
劇場に関するエプスタインの経営努力はことごとく外れていたのだ。彼が選んだ脚本で、彼が選んだ役者で、彼が選んだ演出家で、全てが行われた。彼は人任せにすることが出来なかった。劇場運営すべてにことごとく首を突っこみ、しばしば経験豊富な演出家の怒りを買った。
しかし、エプスタインのそんな“努力”にも係わらず、観客席が満席となることは少なかった。劇場は休館となることもあったのである。しばらくすると、エプスタインは、イギリスのビートルズファン達からの怒りに直面することになった。あの「殺害予告」まであったアメリカでコンサートをしていながら、本国のイギリスでコンサートをしないのはどういうわけだと言うのである。

その理由を説明しろ。もしかして、ビートルズは解散してしまったのか?「ビートルズが本来、人前で歌ったり演奏するのが大好きだということを忘れないで下さい。でも、今やそれが簡単なことではなくなって来たんです。経済的な問題ではなく、彼ら自身が神経過敏になってしまっているんです」
「でも『リボルバー』のようなアルバムを出している限りは、それ以上のことを望んではいけないのかも知れません」ビートルズについて色んなことを言う人がいることは承知しています。しかしそんなことを言う人は、ビートルズがビートルズであり続けるために直面する様々な困難な問題について考慮してくれない人だと言えるでしょう」エプスタインの持って生まれた、ゆったりとした語り口、落ち着いた態度によるこうした言葉は、やがて、ファンたちの気持ちを静めることになる。
ファンもビートルズが、今や普通の存在ではないのだと考えることで、自分を納得させることが出来たのである。

ブライアン・エプスタインのカリスマ性は健在だった。彼はこの危機的状況を脱することで、今なおその実力者ぶりを発揮していたしかし...一般的なイメージのエプスタインは実に解りやすく、受け止めやすいものであったが、周囲の人間たちに取っては、まったく違った。
当時、エプスタインの個人秘書を務めていたウェンディー・ハンソンは最も事情を知る人間の1人である。
「彼の仕事振りは、一定のパターンがありませんでした。混乱しているのが解りました。何かといえば、チャペル・ストリートに引きこもってしまうのです」

“必死になって”彼をかばったというウェンディーは、エプスタインに振り回され、何度も秘書を辞めようとしている。しかし、そのたびにエプスタインに慰留された。気まぐれな行動で彼女を追い込んでおきながら、エプスタインは彼女が辞めることは許さなかった。
今夜、一緒に何処か行こう。辞職は認めないよ。夕食を奢らせてくれ」ウェンディーは、ビートルズが人前で演奏しなくなったことが、エプスタインに影響していることが解っていた。
だから、本格的に演劇に取り組むべきだと勧めるのだ。これまでのように何もかも自分でやるのではなく、才能があるのにくすぶっている人材を発掘し、そうした若い才能にチャンスを与えるというようなことにこそ、エプスタインの力が発揮出来ると考えたのである。

「やりなさいよ!やってみるのよ!何もボップ・ミュージックに人生を捧げることはないのよ」その言葉が十分効果を発揮したことを見計らって、彼女は最も重要な問題に話を移した。「生活を立て直さなくちゃだめよ。まず、ドラッグをやめなきゃ」
「私はうまく言い聞かせたつもりでしたが、実際には彼はごまかしていただけだったんです。彼はこういいました。『僕は有名すぎるから、クリニックに通うわけにはいかない。だから、自宅で努力するしかないな』」この頃、エプスタインの周囲に居た人たちの意見はほぼ似たようなものである。

「彼はいつでも何かの役をもらって演技しているようでした。1日中ね」「ブライアンはいつも格好を付けてましたよ。自然に振る舞うことなんて殆ど見たことがありません。彼はとても寂しい人間でした」
「どんな人間でも安定した人間関係を持ちたいと願っている。結婚とかね。彼の場合はそれが叶わなかった。でも寂しさと孤独は違うんだ。彼の場合は孤独というより、寂しかったんだと思うな」

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