Episord 56 生き甲斐

 ビートルズはドイツのハンブルグで長時間の演奏をこなした時に薬物を使ったことがあった。アンフェタミンである。当時、すでにマリファナがあった筈だが、彼らは手を出していない。ポールの母親はナースであり、子どもの頃から薬物についてはうるさく言われていたようだ。
それが逆に、すでによく知られていた薬物を使用することになったのかも知れない。(認められていた薬も、その後、禁止されるわけだが)当時、まだよく分かっていなかったマリファナには、本能的に手を出さなかったのではなかろうか。

彼らの初めての“マリファナ体験”はアメリカでだった。ニューヨーク公演の後、人気絶頂の彼らは例によって全く外出できなかった。ホテルは警察が警備していたが、その周囲にはファン達が押し寄せ、ビートルズの歌をうたい、それぞれがお気に入りのメンバーの名を叫んでいた。
6階建てのホテルのほぼ全室がビートルズとその公演スタッフ達にのために用意されていた。そのため、警察は、ホテルの廊下、ロビーといったところにまで配置されている。
ビートルズはニューヨーク・ポストの記者を通して、ボブ・ディランにホテルまで出向いてくれるように頼んだ。ビートルズは初期の頃からボブ・ディランがお気に入りだったのだ。とりわけジョンは、影響を受けていた。
「悲しみはぶっとばせ」(アルバム「HELP!」に収録)はディランの影響を受けなければ出来なかった曲だと言う。

ホテルに到着したボブ・ディランは警察に囲まれ、その後、ビートルズのスタッフに守られるようにして案内されてやって来た。エプスタインが、礼儀正しく、飲み物は何にするかを尋ねる。ディランは「安ワイン」と答えたという。
ホテルは、ビートルズのために高級ワインしか用意しておらず、わざわざ「安ワイン」を買うためにスタッフが出掛けたと言う、よくわからない話だ。高くていけない理由があるのだろうか。
このあとディランは、ビートルズに対し、挨拶代わりのようにマリファナを勧める。エプスタインは当惑し、まだ吸ったことが無いのだと告げた。ディランは実に意外だという感じだったと言う。

わざわざ「安ワイン」を注文したのに、ディランはその場にあった高級ワインをいつの間に飲み、早くもどこからか取り出した“葉っぱ”をロール紙に巻き始めていた。彼は落ち着かない様子であり、指先もふるえている。いかにも不器用な手つきだった。
廊下には警官が居る。ホテル内には大勢のマスコミも待機している。よくもまあ、こんなところで...という気がするが、ボブ・ディランという人は、相当な人見知りであり、ビートルズと初めて会って、リラックス出来なかったのだろう。
多分、自分でもそうなることを見越して、マリファナを用意していたのではなかろうか。
ディランとリンゴは部屋の窓際まで行き、ブラインドをおろすと、ドアの隙間に濡れたタオルを押し込んで煙がもれないようにした。細めに捲かれたマリファナをディランはリンゴに差し出す。普通それは、その場にいる者たちで回し飲みをするものなのであるが、何も知らないリンゴは1本1人で吸ってしまった。

ビートルズの中で最初にマリファナを試したのがリンゴだというのは、ちょっと不思議な気がする。どんな感じだと訊かれたリンゴの答えは「天井が落ちてくる!!」というものだった。
そいつは凄い。やってみなきゃというので、他のメンバーがそのあとに続く。ジョン、ポール、ジョージ、そしてエプスタインまでもが、一斉にマリファナを吸い始めた。ハードスケジュールに堪えるために、興奮剤を飲むのは、イギリスのロック・バンドでは常識だったというが、当時、マリファナはよく知られていなかった。
彼等には、さほどの罪悪感は無かったのではあるまいか。5分ほど吸っていたが何ごとも起こらなかった。全然、変わらないじゃないか...などと言っていた彼らだが、次第にゲラゲラと笑い始める。

「僕等は二組に分かれてグループになった。僕はジョージとブライアンとでグループになった。ブライアンがちびったタバコを吸う姿は、彼のイメージとギャップがあり過ぎた。
僕等は死ぬほど笑った。ブライアンも鏡を見て笑った。
全員で笑い転げた」(ポール)
「ブライアンは自分のことを『ユダ公』なんて叫ぶんだ。
自分のことそんな風に言うなんて初めて聴いた。最高だよ。僕らにとってこれはもの凄く開放的なことだった」
マリファナは、その時点で、もう不要となった。あとは酒を飲みまくるパーティと突入する。

「一晩中、僕は紙と鉛筆を探し回っていた。寝室に戻ったとき、突如として『人生の意味』が解ったからなんだ。これは何としても書きとめておかなければと思った」そして、それを書いたメモをマル・エバンスに渡して厳重に保管するように言った。
「翌日、メモをみると『7つの段階がある』と書いてあった。『なんだこれは?7段階ってなんのことだ?』なんてみんなで大笑いしたけど、これは宗教にも通じることなんだ。その後、宗教も探究したからね。しかし、ディランにマリファナを教わったなんて、マハリシにマントラを頂いて瞑想の世界に入るようなものだ。これはステイタスだよ」

「マリファナに関する意見は、今も殆ど変わっていない。
ただしアドバイスを求められたら、手を出すなと言うよ。それが確かに一等いい。でも、僕は酒とマリファナを比べたらマリファナの方が無害だと思う。すぐに眠くなるし、暴れて殺人を犯すことも無い」
こうした情報は誤って伝わるとまずいので、音楽と薬物との関係についてポールの考え方を紹介しておこう。
「僕等には自制心があった。作品の向上に結びつかないと思ったらお酒にしてもすぐに止めた。ワインを飲んでレコーディングをしたことがあるけど、酷いものだった。僕等の最高の作品は、正常な環境の中で録音されたものが殆どだ。アイディアを思い付くのは簡単なことじゃない。クスリで酔っている状態だと奇跡でも起きない限り無理な話だ」

ブライアン・エプスタインは、ビートルズやシラ・ブラックとの絆を再確認すると、新たな展開の必要を感じていた。アメリカでの活動はさらに重要となる筈だった。
彼はアメリカでの代理人としてナット・ワイスと契約。契約後、エプスタインは医師から精密検査を受けるように言われる。
エプスタインは入院するが、かなり自由に外出を許可されており、彼が入院したと知っている者はごくわずかだった。
入院後、すぐに重要な仕事が待っていた。ビートルズの新しいアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の発売記念パーティだった。
報道関係者が大勢招かれた会場には、久しぶりにビートルズの4人が顔を揃えた。このパーティの仕切りは、すべてエプスタインがこなした。
テープルに並ぶ豪華な料理、上等なシャンペン、高級ワインなどなど。そうした細々としたことを手配することこそ、彼の最も得意とする処だった。エプスタインは、口数こそ普段より少なかったが、生き生きとしており、とても病人とは思えなかった。ビートルズは、彼の生きがいだったのだ。

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