Episord 20 母ジュリア |
育ての母であるミミは、ジョンに実母のジュリアについて、殆ど話さなかった。だが、ジュリアの方からは連絡が絶えることはなかった。 |
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ジョンと音楽との出会いはどうだったのだろう... ジョージ伯父さんに買ってもらったハーモニカがジョンのお気に入りだった。自己流に吹き方を覚えたと言う。 毎年、ジョンはエディンバラの親戚の家に行っていたが、その時、バスに乗っている間中ハーモニカを吹き続けていた。10歳くらいの頃のことである。 「バスの車掌さんは、あの子のハーモニカに感心したんです。エディンバラに着くと、ジョンに言いました。もっといいハーモニカをやるから、明日の朝、停留所に来いよってね。ジョンはその晩眠れず、翌朝飛んで行きました。音楽に関してジョンを褒めてくれたのは、その車掌さんが初めてでしょうね」 中学生になるとラジオで聞いた流行歌を覚えて歌っていたようだが、ミミはこれを嫌がったという。ミミにとっては音楽とはそういうイメージではなかったようだ。 「幼いときに音楽を習わせようかと思いました。ピアノかバイオリンをね。でも、あの子は嫌がりました。レッスンというと毛嫌いしてました。なんでもすぐにやりたがったのです」 正式にピアノの教育を受けたジョン・レノンというのも、想像してみると、なかなか興味深いものがあるが、まあ、ここでは深く考えまい。 ビートルズが登場する以前の50年代。最も影響力のあった人物、エルビス・プレスリーが登場する。 1956年に出したシングル「ハートブレイク・ホテル」は、世界中の若者を魅了した。くねる腰、幾分めくれ上がった唇、わざとしたように不明瞭な発音で低く唸るかと思えば、しゃくりあげるように歌う。そして芝居がかったアクション。それらは、まさに若者達を興奮させた。 ジョンは、それまでにあったポピュラーソングを聴くには聴いたが、プレスリーほどの興奮をもたらすものではなかった。 「エルビス以前に僕が影響されたものは全くない」(ジョン) リバプールでもプレスリーに影響された若者達が音楽を始めた。ジョンも何かを始めたかったが、楽器が無かった。ギターを借りて試してみたが、すぐには弾けないと解るとあきらめた。 母親のジュリアは、バンジョーが弾けた(フレッド・レノンに教わっている)ジョンがねだると、ジュリアは中古のギターを買って与えた。いくつかのコードを教えたが、それはバンジョーのコードだった。弦のチューニングもバンジョー風にしたのである。 しかし、正式なレッスンを受けなくても、コードを覚えれば演奏出来る。これはジョンには大変なことだったのではなかろうか。 やがてジョンを中心にクオリーメンというバンドが結成された。メンバーは見るからにテディボーイ(非行少年)といった風であり、ますますジョンは、母親達から嫌われた。 ジョンが最年長であり、ケンカが絶えないこのグループはメンバーの入れ換えも激しかった。 ある教会でのライブの日、仲間のアイバンが自分の学校から1人の友人を連れて来る。彼自身はジョンのバンドに関心が無かったようだが、ジョンが喜ぶと考えたのだろう。 「奴が大物なのはわかっていたさ。僕がジョンに紹介した奴は、みんな大物だった」 1957年7月6日ポール・マッカートニーとジョン・レノンの出会いの日である。 |
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