Episord 4 ブライアンの求めるもの |
ブライアンは、ホモセクシャルであることを自覚しているにも係わらず、どういうわけか女性との付き合いを持っている。それも、殆どは自分から働きかけたと思われる節があるのだ。この頃、4歳下のユダヤ女性との付き合いがあった。ブライアンはハンサムで、優雅で、上品で、語り口も美し...そして、すでにユダヤ人社会では成功した人間として有名人であった。つまり、女性から見れば、理想の結婚相手に見えたのは当然のことだった。 |
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「彼が毎晩、街中を遊び回っているのを見るとショックだった。とても魅力的で、社会的にも有利な立場にあった彼が、そんなことをしていたからさ。そんな風に自分を大切にしないのは最低だと、私は彼に言ったんだ。私はしつこく口出しし、忠告し、彼はうんざりしていた」 果たして、彼の指摘がどれほど的を射ているのかはわからない。だが、NEMS(ノース・エンド・ミュージック・ストアーズ)が繁盛し、気ままな社交生活を送っていた彼は、さらに何か刺激(?)を求めていた。1961年中頃のブライアンは、自分は退屈のあまり危険な夜遊びをしているのだと話したという。お互い相容れない人間だと知りつつも、この二人は交流を続けていた。 ユダヤ人であり、芸術的センスがあるゲイだという共通点が、そのつかず離れずのような接触が続けられた理由のようだった。 フェザーの忠告などまったく気にもしていなかったブライアンだが、ある日、何気なく言ったひとことに、珍しく狼狽した。それは、花の絵の描き方を教えて上げようというものだった。ブライアンが、うろたえたのをフェザーは見逃さず、しつこくそれを薦めた。 「僕には才能がないんだ。RADA(王立演劇学校)にも行ったが、ダメだった。画家としてもきっと失格さ。成功するまでがんばるほどの興味もないしね」 フェザーはこのとき気づいたのだという。ブライアンが求める「成功」が、自分たちが思い描くようなレベルの成功とはまったく違っていることを。彼の“悩み”を解決するための「成功」は、もっとスケールの大きなものでなければならないのだと。 ブライアン・エプスタインについては、非常に興味深い話が残っている。レコード店経営者として、ポップスミュージックに興味を持ちだした彼は、大人の意見にはほとんど耳を傾けなくなったというのだ。それに対して、15歳から20歳といった若年層の意見には、辛抱強く、注意深く、かつ非常に興味を持って耳を傾けた。 彼は、時代の流れをつくるのは若者だと考えたのである。だから、十代の若者に意見を言われれば、それを受け入れたが、年上のものにまったく同じことをいわれたとしても、受け付けなかったと。 やがて、エプスタインのレコード売り上げに関する判断力は従業員を驚かせることになる。 彼の音楽に関する感受性は飛び抜けていた。トップ20のリストを見て、どの曲が上昇し、どの曲が下降するかを予測すると、それはまず間違うことはなかったのである。 |
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