Episord 44 MBE勲章叙勲

 イギリス アメリカでの記録破りのコンサートツアーが続く。何処へ行ってもビートルズは、揉みくちゃにされた。その結果、彼らは混乱を避けるために、ホテルから楽屋へ移動するだけで、一切外出しなくなったのである。
身の回りの世話をする者たちも、それは同じだった。彼らは、付きっ切りでビートルズの世話をすることになった。そうした者達まで、全く外出できないということは、普通、考えられないが、これはビートルズの意思だった。
自分達が外に出られないということに対する反発なのか、あるいは身の回りの世話をする人間が知らない人間になるのが不安だったのか、おそらく両方の理由で、ビートルズはいつも彼らと共にいた。やることといえば、それぞれの部屋でトランプをしたりギターを弾いたりすることしかなかったのだが。

今や、彼らは望んでいたことをほぼ達成していた。それは間違いなく彼らが待ち望んでいたものに違いなかった。最初のヒットが出て以来、おそらく、かつて無かったほどのハードスケジュールを彼らはこなしていた。
エプスタインは、とにかく彼らを露出させること、多くの人達に認知させることを主眼に置いていた。出演料などは、驚くほど安かった。殆ど無名の時代、相手が驚くような出演料を主張して、ビートルズが特別なものであることを認めさせようとしたのとは、明らかに違う作戦だった。
ビートルズは人気投票でもずっと1位を保っていた。それは彼らを満足させた。旅公演で、自分達が一体何者であるかを確認する目安は、そうしたものでしかなかったのだ。彼らは自信を持ち、自分達が褒められると喜び、逆に批判されると、苛立った。

1965年6月12日。ビートルズに大英帝国彰勲章(Member of the Order of the British Empire)を与えられることが発表される。このニュースは日本にも即座に報じられた。だが、それは、ちょっとした物議をかもしだしているという話題と共にだった。
ビートルズの叙勲に対して、これまで勲章を受けていた人たち(枢密議員から戦時中の防火団員に至るまで)から抗議が殺到したのである。世界中からMBE勲章を送り返されるという騒ぎにまでなった。数年後に、当時を振り返ったジョンの言葉が面白い。
「MBEを貰うことになって、みんなが考えたように、僕等も妙な話だと思った。ありがた迷惑なだけだった」
「何だと思っているんだ。馬鹿げている。みんなでそう言ってた。だけどそのうちに、お遊びだと思えばいいような気がして来た。貰ったからといって損するわけじゃない。むしろ、このことでカンカンになって怒っている連中をもっと怒らせてやろうと話を決めたのさ。そういうものを信じている奴らにあてつけてやろうって」

「宮殿では、侍従に説明を受けた。歩き方からね。何歩進むかとか、女王陛下に拝謁するときの態度までことこまかに。とにかく侍従の言うとおりにしたのさ」
「女王陛下は、ご自分のなさっていることを心から信じていらっしゃると思った。女王としては、信じないわけにはいかなものね。僕はジョン・レノンというごく普通の人間だ。しかし女王陛下は、ご自分が普通の人間ではないと考えなければならない。それは確かなことだと思う」

「ブライアン・エプスタインは、ビートルズの叙勲を心から喜んだと伝えられていたが、実際は、そんな簡単なことではなかったようである。エプスタインが情緒不安定になった1つの原因として、“ビートルズが勲章をもらったのに自分には与えられなかった”ということがあるというのである。
そして彼自身、自分がホモセクシャルであること、ユダヤ人であること、そうしたことが原因なのだろうと考えたのだと。実際、どうしてエプスタインに勲章が与えられなかったのかといぶかる人たちが居たのは事実であった。それは、あれやこれやの噂話を呼んだわけで...

エプスタインはあるパーティで、酒に酔った映画俳優から、「MBEをもらいそこなった奴が居るぜ」などと言われたこともあった。ポールは記者会見のとき、MBEはミスター・ブライアン・エプスタインの頭文字だと語っている。
エプスタインはこれを大いに喜び、その後、何カ月にも渡って、友人達に、この話を繰り返し語っていたと言う。しかし、それほど喜んだということは、やはり、貰えなかったショックは、予想以上に大きかったと見るべきだろう。ビートルズの叙勲が話題になった1カ月後、エプスタインは黄疸にかかり、寝込んでしまう。普通、原因は疲労であるが、やはりショックによる深酒も原因したのではなかろうか。

リバプールで知り合いだったユダヤ人芸術家、ヤンケル・フェザーの言葉が思い出される。彼によれば、ブライアンの終生の目標は、典型的な英国紳士として認められることにあった。
「だから、ビートルズがMBEを貰ったのに、彼が貰えなかったのは、最大のショックの1つだったんだ」

1966年、ある変化が起きてきた。それまで、ビートルズの演奏の際には、ステージ脇で見守り、至福の時を堪能しているかのような表情のエプスタインだったが、この頃からビートルズとの間には険悪な雰囲気が漂うようになる。
エプスタインが楽屋に入ることが、歓迎されなくなった。初めは冗談半分のような感じだったが、やがてそれは深刻なことになって行く。エプスタインとしては、ビートルズが表紙になっている雑誌とか、話題になっている記事を見せて、話をしに来るのだが、その出鼻をくじくように、ビートルズは彼らの不満を投げかけた。元々エプスタインは論争が得意でない。
リバプール時代も、音楽関係者から反対意見を言われると、結局は怒りに顔を紅潮させながら席を立ってしまう、そんな人間だった。

エプスタインは「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」のオーナー夫人と親しくしていた。感情豊かで、鋭い処のあるこのユダヤ人女性は、当時のエプスタインについて誰よりもよく解っていた人物かも知れない。ある夜、彼女はエプスタインの泊まっているホテルのバンガローから、マリファナの匂いが漂って来るのに気が付いた。彼女はエプスタインを叱った。
「ブライアン、何やっているの?あなたは有名人で重要人物なのよ。こんな処で捕まっていいわけ?」
部屋に入った彼女は、酒で赤くなった顔のエプスタインが、すすり泣いているのを見るのである。
「彼は深い悩みを抱えていたわ。その原因は、多分、彼がゲイでユダヤ人であるということだったと思うの」
「彼は孤独が怖いと言っていたことがあったわ。でも、たいていの場合、人間は自分で自分を孤独に追いやっているものよ」

43 45