Episord 51 屈辱

 エプスタインの会社は拡張し続けていた。最初の頃から比べると信じられないように巨大化した会社は、多くのアーティストと膨大なプロジェクトを抱えていた。その全ての責任がエプスタインにある。
アメリカのテレビ局から電話が入った。緊急の電話である。日本でも人気のあったルシル・ボール主演の番組(「ルーシー・ショー」か)にビートルズを出演させてくれないかという依頼だった。
ビートルズに仕事を頼むということは、当然、それなりの報酬を用意しているということでもある。スタッフが条件を聞くと、それは非常にビートルズ側にとって好条件だった。ピカデリーサーカスの角に立っているビートルズ。その横をルシル・ボールか通り過ぎる。そのあとで、ビートルズだということに気づいてびっくりする。

ただそれだけのシーンに、10万ドル払おうというのである。会議中のエプスタインに、電話を受けたスタッフが取り次ごうとすると、彼はその言葉を遮るようにして「後にしてくれ」と言った。スタッフは、相手に言った。
「今、お答えするのは無理のようです。会議中なんです」
しかし、先方は執拗に食い下がる。この仕事はビートルズに手間も時間もまったく取らせないということを強調するのであった。
「それだけの仕事に10万ドル払おうと言っているんですよ。今すぐ答えが欲しいんです。5分もあれば済むことじゃないですか。こちらはいろいろ手配しなければならないんです」

なるほど、その通りだった。スタッフは再び会議室に戻り、提示金額を紙に書き、エプスタインに手渡した。しかし、エプスタインは「まるで1杯のお茶を辞退するように」その話を断ったのである。
「だから、そいつらにじゃまをするなと伝えてくれ。頼むよ!!ダメだ、ダメだ、ダメだ」
ちなみに、この電話を受けたのは元、マット・モンロー(「ロシアより愛をこめて」の大ヒットがある)のマネージャーだったドン・ブラックである。

彼は、映画「野生のエルザ」のテーマソングの作詞をして1966年のアカデミー賞を獲得した才能溢れる人物だった。エプスタインもブラックには好感を持っていた。ビジネスとクリエイティブな仕事の両方こなすというのは、エプスタインにとって理想的な生き方だった筈である。
彼のことを“尊敬”こそすれ、意見を聞き入れない人間と言うのは不思議な話である。この頃すでに、彼は精神的な破綻をきたし始めていたのだろうか。

だが、それを否定する意見もある。彼の目的が金ではなかったからだと言うものだ。もし、エプスタインが自分勝手で欲深い人間であったなら、もっと組織的な会社づくりをしたであろう。そして、そこに莫大な資金を注ぎ込み、最終的には“売却”を考える筈だからである。

つまり、ロバート・スティグウッド(「ステイン・アライブ」「グリース」「グリース2」「タイムズ・スクエア」「年上の女」「サタデー・ナイト・フィーバー」「Tommy トミー」「ジーザス・クライスト・スーパースター」等の制作)やリチャード・ブランスン(ヴァージン・アトランティック航空会社航空会社創立者)のような方法をエプスタインは採らなかった。彼には、世界一の金持ちになろうというような野望が無かった。むしろ何かで成功すると、他の対象に目を向けて、そこで成功しようとした人間だった。

つまり、100万ドル稼ぐと、新たな100万ドルを稼ごうとするのではなく、それをそのままつぎ込んでしまうタイプだったのだ。エプスタインの仕事の仕方は、一代で家具店を創り上げた祖父がとった方法そのままである。それはきわめて家族的な発想だ。父親を中心としてすべてが機能する。大黒柱の父がバリバリと働いている限りは、家は見事に繁栄していく。
エプスタインは持ち前の上品さと優雅さで、ビジネスをこなしていった。全ての価値判断は彼の感覚によっていたのである。だから、今では、信じられないような“ミス”を犯しているのも事実だった。

例えば、ビートルズに係わるキャラクター商品の販売などは全く視野に入れてなかった。現在では、そうした商品の売り上げが莫大なものになることは常識である。だが、当時のエプスタインにとって、そんなことは問題ではなかった。
長髪が一般的でなかった頃には、ビートルズのカツラというのも十分に商品として価値があった。まず初めに問い合わせがあったのはビートルズのカツラなのだ。ご存じのようにこういった商品は何でもありである。ただ「ビートルズ」という名前さえつけば、売れるのである。ブーツ、人形、タオル等々。

そうした関連商品の販売許可を求める問い合わせがあっても、エプスタインはすべてを拒否していた。そんなことは、ビートルズとは本質的に関係の無いものであるというのが彼の考え方だった。つまり、エプスタインはビートルズを“利用して儲けよう”という発想が全く無かったのである。ビートルズの人気が国際的なものとなり、世界中から問い合わせが来るようになって、やっとビートルズ関連商品を管理する会社を設立することになる。

関連商品産業は、エプスタインにとって屈辱的な訴訟問題にまで発展している。アメリカの関連商品会社との間で起きた問題は、結局、ニューヨーク最高裁判所にまで足を運ばなくてはならなくなり、その判事室でエプスタインは消耗する。時間に追われて十分な準備ができなかったエプスタインは、しばしば言葉に詰まり、不愉快さに顔を紅潮させたという。
一応の決着を見たこの裁判をめぐる騒動は、彼を深く傷つけ、予想もしなかった事で平静を失ったということが、彼には屈辱だったのだ。ブライアンはそれほど恥じる必要はなかった。それらについては専門家に任せていたわけであり、恥ずべきは、むしろブライアンの期待を裏切った彼らなのである。

裁判沙汰にまで発展した関連商品の問題について、ビートルズは責めたという。中でもポールは、「何百万ドルも稼げたのに、きちんと契約しなかったのはあんたの所為だ」そうハッキリ言ったそうだ。これに対しては、あのジョージ・マーティンが反論している。
「ビートルズはブライアンをきちんと評価していなかった。成功を手に入れてからの彼らは、何かあるとブライアンを責めるようになった。成功を持たらしてくれた彼に感謝する代わりに、当然、自分達に権利があるものを与えてくれないと言って非難した。彼らはとても否定的な考え方をするようになっていった。ブライアンが何かで過ちを犯すと、彼らは大声で批判して、どうしようもないマネージャーだと彼をなじった。彼が居なければ、一流になれなかったということも忘れてね」

エプスタインは“優秀なマネージャー”ではなかったのかも知れない。金を稼ぐだけの人間なら、他に、そういう人間がいるだろう。しかし、ビートルズの成功は、彼無しにはあり得なかった。そのことだけは、確かだったのではなかろうか。

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