Episord 27 コンテスト、初巡業 |
ジョージ・ハリスンは、メンバーに加わってから、ますますギターに熱中した。彼の熱心な態度を母親のルイーズは応援してくれたが、父のハロルドは心配していた。 |
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そして、ベーシストのスチュアート・サトクリフ。服装も髪形も、憧れのジョンのようなスタイルにして、ただ1人、サングラスをしている。彼は目立たぬように観客に背を向けて演奏していたと言うのだが、このときは、下手(しもて)を背にし、ドラマーのほうに向いて演奏している。 これは不慣れなベースに集中するためで、ジョンとポールが進言したものだった。観客やラリー・バーンスを目にするとテンパってしまい、演奏することさえままならなくなるからだ。 結局、オーディション合格者は居なかった。オーディションの目的は、ラリー・パーンズのバックで演奏するグループを見つけることにあったのだが、彼のメガネにかなうものは居いなかった。 だが、ビートルズには、もう1つの話が持ち掛けられた。ジョニー・ジェントルという新人歌手のバックバンドとして2週間のスコットランド巡業に出ないかというものだった。これはプロとしての最初の仕事である。彼らが断るはずがなかった。ジョージは、この時、まだ16歳。ポールは学生であり、きちんと卒業するためには遅れている分を取り戻さねばならない時期であったが、当然のように、スコットランド巡業を優先した。 ポールが、勉強さえすれば学業をなんなくこなすことを知っている者たちは、これに反対した。だが、ポールはこれを説得、あるいは何となくごまかした。父親のジムを説得するのも大変なことだったようだ。この巡業には臨時のドラマーが参加したが、今では誰もこのドラマーのことを記憶していない。 この巡業で特徴的だったことは、メンバーのスチュアートに対するイジメである。ジョン、ポール、ジョージは、もうそれぞれがよく解っており、ケンカ口調で話したり、ズケズケと相手を批判することは慣れっこになっていたが、スチュアートは、どうすることも出来なかった。口汚く言われたら、それ以上の言葉で言い返すなどというのは、彼の感覚には馴染まなかったのだろう。 「僕らは非道かった。一緒に並んで座るな。一緒に飯を食うな。あっちへ行ってろ。スチュはおとなしく従うんだ」 「そうやって慣れさせたんだ。バカみたいだけど、僕等はそんな風だった」(ジョン) 2週間の巡業は、あっと言う間に終わった。ラリー・パーンズは、これ以後、仕事を与えてくれなかった。仕方なしに彼らは、再びリバプールに戻り、運が良ければ、週に一度か、二度という感じで仕事をするのだった。とにかく仕事をというので、彼らは何処にでも出かけた。ストリプティーズの演奏までやっている。 そんな彼らが出演したクラブの1つにカスバ・クラブがあった。経営者のベスト夫人は、戦時中にインドで結婚した夫のジョニー・ベストと共にリバプールにやって来た。夫は、ボクシングのプロモーターをしていたという人物で、資産家だったのだろう。住宅地区であるウェストダービーに14部屋もある邸宅を持った。 長男はリバプールカレッジエイトという優秀校に通う真面目な子供だったが、社交的な母とは違って内気なところがあった。だから、いつの間にかクラスメートを自宅へ連れてくるようになっていた。母親もそれを歓迎したのである。 長男とその仲間たちは、大きな地下室をなんとか利用できないかとベスト夫人に相談する。ベスト夫人はこれを了承した。最初は単なる息子たちの遊び場のはずだったが、やがて、これが、十代のためのコーヒークラブを作ろうという話になる。カスバ・クラブの誕生だ。 ベスト夫人の内気な息子、将来は教員になろうと考えていた若者は、ピートという名であった。やがて、ドラマーとしてビートルズと一緒に演奏活動をすることになる、あのピート・ベストである。 |
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