Episord 57 大論争と大義名分

 時間厳守は、エプスタインが信じる美徳の最上のものであった。彼は何よりも時間にうるさかった。だが、1967年には、しばしば約束した時間を守らなかった。
そればかりではなく、精神的な落ち着きを失っていたようにも見えた。会議の最中、些細なことに拘り、突然、声を荒らげたりしたのである。元々議論することは得意ではなかったが、会社のトップとして、全体の流れを把握したりすることは十分に出来ていた筈であったが、この頃は、とてもそのようには思えなかったという。

スタッフは、何とかしてエプスタインの気持ちを仕事に向けさせようとした。瞬間瞬間に的確な判断を下さねばならない制作部長は、突然、エプスタインから掛かって来る電話で、重要な約束をキャンセルさせられてしまう。
彼は、直接話をするのを避け、電話で済ませてしまおうとするのだった。「この件については電話で手短に済ませよう」
その他、決裁を下さねばならないエプスタインが、いつまでも何もせずスタッフを焼きもきさせるようになっていた。
例えば、コンサートプログラムのデザインの承認を求める印刷業者からの連絡に対しても、一向に返事を出さないのだ。

OKして判でも押せばいいは...向こうはサインが...まあ、要するに、大して面倒なことではない筈だが、そんな簡単な仕事がどんどん溜まっていく。
明らかに薬物による影響だと思われるが、彼自身は、ドラッグは慎重に用いれば、全く問題がないと考えていたようだ。社会的に問題となっていても、それは単に過渡的状況だと信じていたのである。

この年の夏、タイムズ紙に「マリファナ禁止法は倫理的にも現実的にも無理がある」という見出しの全面広告が掲載された。この意見広告は大論争を巻き起こしている。
「マリファナは犯罪、青少年の非行、性的興奮、中毒などの直接的誘発剤とはなり得ないというのは、医学界では一般的に認識されているということ。マリファナにかかわる諸問題は、むしろ誤った情報に基づいて社会がつくり上げたものと言える」

広告には次のような文言が記されていた。
この請願書の著名人たちはイギリス内務大臣に、カンナビス(大麻のこと)に関して、以下の5項目の法律改正基準プログラムを検討することを要請する。

1.政府はカンナビスの使用方法について、医学的適用を
  含むあらゆる面からの研究を許可し、支援する。
2.個人の敷地内においてカンナビスを吸うことは違反
  行為と見なさない。
3.カンナビスを危険を伴うドラッグリストから削除し、
  特別措置により現在の禁止制度を廃止し、政府の
  管理下で流通させる。
4.カンナビス症状は、法的に認められるか、少なくもと
  初犯10ポンド、それ以外の者も25ポンド以下の罰金
  刑にとどめる。
5.マリファナ所持や私有地内でのマリファナの使用を認
  め、現在、服役中の受刑者を減刑する。

そして請願に署名した英国の65人の名が列記されている。小説家グレアム・グリーン、舞台監督ピーター・ブルック、評論家ケネス・タイナン。さらに、DNA分子の発見者でノーベル賞受賞者のフランシス・クリック、科学者フランシス・ハクスリーといったそうそうたる名前があった。
その他、下院議員数名、医学博士、心理学者、有名アーティスト。そして、ここには、ビートルズとブライアン・エプスタインも名を連ねていたのである。ビートルズは「MBE勲章受賞者」としての肩書付きだった。これは、まさに衝撃的な広告であった。

この広告が発表された後で、エプスタインは「メロディー・メイカー」紙のインタビューで次のように語っている。
「私は、マリファナがアルコールより害が少ないことは間違いないと確信しています。マリファナとその効果については、とんでもない誤解があります。マリファナは有害に違いないと多くの人々が言っていただけなのに、その意見は疑問を持たれないまま、受け入れられてしまったのです。ソフトなドラッグに対する世間の考え方は、変化していくと信じています」

さらに思い切って、こんな表現までしている。
「犯罪だと考えられていた頃の同性愛と似たような状況だと思います。改正法が成立するまで、何年間も大人しく我慢するのは馬鹿げたことです。最近、同性愛罪の告発なんて耳にしないではありませんか」マリファナがさらなる危険な薬物への誘因剤となる危険性については、このように語っている。
「そういった危険があることは確かでしょう。しかし、アルコール依存症の人が危険な薬物に手を出す危険は既に存在しているのです。私の知り合いにマリファナを吸う人間がいますが、危険なドラッグに手を出す人間は1人もいません。それがどんなに危険なことかはっきりと解っているからです」

このように言いながらも、エプスタインは、誰もが試すべきだと言っているわけではないということは強調した。エプスタインは、マリファナに留まらず、LSD体験があることも公表しているのだから、彼の話には矛盾があるように思うが、LSDについても彼は容認する態度だった。
「LSDは、私のエゴを小さくしてくれました。LSDで危険な目に遭った人は極く少数です。少なくとも酒の飲み過ぎで死んだ人間ほど多くないことは確かでしょう。もしかしたら、アルコールと一緒にLSDを飲んだ場合にそうなるのかも知れません」

「LSDは自分自身をよく知る手助けをしてくれたと考えています。怒りっぽい性格も少しは変えてくれたように思います」
エプスタインは、66年頃から全部で6度ほどLSDを服用したと言われている。彼は、それらは全て感動的な体験だったと語っているのだ。
果たして、彼の言葉は何処まで信じられるのであろう。周囲の人間の証言によれば、エプスタインは、むしろ怒りっぽい性格になって来たように思えたそうだ。さらに、エゴが小さくなったというのを認めるとしても、それは彼のような職業の人間にとって好ましい傾向ではないと指摘する人もいる。

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