Episord 66 メリー・ホプキン

 ビートルズが、アップルという会社を立ち上げた時、伝えられた情報は非常に曖昧なもので、彼らがいったい何をしようとしているのか、さっぱり伝わって来なかった。
単に、自分達のレーベルのレコード会社を作るというのでもなさそうだった。ビートルズのことだから、きっと何かをやってくれのではないかという期待もあったが、ファン達は内心、心配していたと思う。
やがて、次に伝えられて来た情報は、「果たして経営は大丈夫なのだろうか」というものだった。

最後は、それぞれが「もういいや」という感じで放り出してしまったという、会社ごっこのような印象しか残っていない。ビートルズファンは、音楽における新たな展開を期待していたのだろうが、いったいあれは何だったのだろうか...
要するに、何処からか現れた会計士達が、寄ってたかってビートルズを食い物にしてしまった...ということなのではなかろうか。
一方で、ビートルズは漠然と抱いたイメージを追って、自分達ならやれるかも知れないと考えた...そんなイメージが残っている。会計士達は、節税対策としてビジネスを勧めたわけである。当時の最高税率は90%。
高額納税者のビートルズは、ある意味で同情されていた。
 ジョージ・ハリソンが「タックス・マン」を書いた時、なるほどと思わなかった関係者はいなかったと思う。
ジョージの歌は皮肉っぽく、なかなか面白い。

■TAXMAN
  If you drive a car I'll tax the street
  ドライブするなら、道路に税を
  If you try to sit I'll tax your seat
  座るのなら、座席に税を
  If you get too cold I'll tax the heat
  寒いのなら、暖房に税を
  If you take a walk I'll tax your feet
  歩くのなら、あなたの足に税をかけましょう
  'Cause I'm the taxman yeah I'm the taxman
  手前どもは税務署員ですから

しかし、彼らがアップルの創立で、さらにより多くの収入を得ようとしたと考えるのは間違いである。彼らは、埋もれた才能を育てるということが最大の望みだったと思われる。自分達のように、生まれ持った才能と個性だけで、勝負しようとしている人たちにチャンスを与えようとしたのだ。

メリー・ホプキンは、テレビのオーディション番組に出ていた全くの素人だった。ポールは、たまたまモデルのツィッギーと話をしている時に、テレビのスカウト番組に出場していたこのウェールズの17歳の女の子のことを教えてもらったのである。ツィッギーは、マネージャーがエプスタインの採った方法を忠実に実行することによって、成功したモデルと言われていた。

ツィッギーは、ポールに、テレビで見た女の子は絶対有名になると語ったのである。ポールは、次の週の放送を早速見た。
「これはいけるぞ、アップルで契約したら、面白いレコードが出来るかもしれないと思ったんだ」周りにいる何人もの友人が彼女のことを噂しているのを耳にしたポールは、早速、彼女に連絡を取る。
「美しいウェールズ的な声が受話器の向こうに聴こえると、僕はこう言った。『アップルレコードに来て、レコーディングする気はない?』『母と話してもらえますか?』彼女がそう言い、お母さんと話した。その後、2回電話して、その週のうちにメリーはお母さんと一緒にロンドンにやってきた」

「お昼を食べてから、ディック・ジェームスのスタジオで聴いたが、やはり素晴らしかった。心を込めて歌詞を歌っているのが感動的だった」たった1つ、気になったのは、ジョーン・バエズ的なところだったと言う。

彼女の活躍は比較的短期間だったが、彼女は根本的にフォークソングを歌いたかったらしいのだ。やがてポールの方が手を引き、彼女は、そのフォーク・アルバムをプロデュースしたトニー・ヴィスコンティと結婚し、芸能界から引退し、家庭に入るのである。
ポールは彼女のために「悲しき天使」という曲を用意した。最初聴いた時、これはポールの作ではないかと思ったが、これはポールが、たまたま何処かで聞きつけて、いつまでも頭に残っていたという曲だった。
プロデューサーとして、誰かにこの曲をレコーディングさせたいと考えていたポールは、ムーディー・ブルース、それからドノバンに話を持ちかけている。

ドノバンは曲を気に入ったが、レコーディングはしなかった。自分には向かないと考えたのだろう。そういう経過のあった曲をポールは彼女に用意した。
しかし、ポール自身、曲の詳しいことは知らなかったので調べると、ジーン・ラスキンの曲だと解った。元々はロシアの歌だったらしいが、それをアレンジして歌詞を付けたということだった。
ポールが用意したこの曲は、メリー・ホプキンも気に入った。アップル最初のヒット曲は「ヘイ・ジュード」だったが、「悲しき天使」は、イギリスでは首位の座を奪い、アメリカでも「ヘイ・ジュード」に続き2位を確保している。

ポールは彼女をエド・サリバンショーにも出すなど、売り込みにもかなり力を入れている。アルバムづくりに際しては、ジャケット写真をリンダ・イーストマンに依頼した。
「彼女はとてもいい子だったから、仕事は楽しかったよ。あのアルバムは手づくり感覚のとてもいい作品だった」
「悲しき天使」の次に、ポールが用意したのは彼の自作「グッドバイ」だった。「グッドバイ」もヒットした。イギリスのチャートでは5位までになっている。

ポールはこうした路線で彼女を育てて行きたかったようだが、やはり彼女自身はフォーク・ソングが好きだったようで、ポールは彼女から離れることになったわけだった。
このようにポールは、かなり積極的にアップルで活動をしていた。ビートルズの中でアップルに積極的でなかったのはジョンだった。彼は、シンシアと離婚調停中であり、リンゴが持っていたアパートの空き室に移り住んでいた。彼は、アップルよりも、1人の日本人女性に夢中になっていたのである。


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