Episord 43 エプスタインの富と負担 |
1964年月、エプスタインはイギリスのベストドレッサー10人の1人に選ばれた。「彼の衣類に対する趣味は、タレントの選択眼に対するものと同じく的を射たものである」というわけである。エプスタインは、有名人、あるいは文化人としても認められていた。 |
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「ビートルズを成功させた過信があったのだろう。彼は、自分がいいと思ったアーティストが成功しない筈はないと、次々と抱え込んでしまったのだ。 「ジョンは偉大な精神の持ち主で、素晴らしい人間だ。今まで私が会った中で最高の人間のひとりだ。彼の成長を眺めているのはとても興味深い」 「ジョージのことは、常に友人だと思っているよ。気まぐれなところがあるから手に負えなくなることもあるけど」 「リンゴのビートルズへの参加は最大の出来事の1つだった。ビートルズが希望し、僕が実行に移した」 「ポールは人間的に一等成長したね。魅惑的な人柄だし、誠実だ。あまり変化を好まない人間なんだ。若者だけでなく、もっと広い層に向けて演奏するようになって、他の誰よりもまごついているようだ。彼は若者こそビートルズの観客だと思っているからね」 1965年当時のエプスタインによるビートルズの各メンバーに対する言葉である。 ジョンを絶賛する一方で、ポールに対しては、どことなく遠慮がちな感じを受けるが、エプスタインとやり合う(?)ことが一等多かったのはポールだったと言われている。 ポール・マッカートニーは、誰にでも愛想よく、人なつこく語りかけるが、そのため逆に相手を警戒させるような処があったようだ。ジョンが、口の悪さで返って好かれることになったのと比べると皮肉なことだが。ポールもエプスタイン同様、あれこれと気がつくタイプの人間であり、エプスタインがいろいろと口を出すことに反発していたのではなかかろうか。 ビートルズによって会社が巨大になって来ると、共同経営の話が持ちかけられたこともあった。ロンドンの芸能界のドンとでもいうべきバーナード・デルフォントも、会社経営をめぐってエプスタインと何度か語り合った人物である。 「彼には助言者が必要だと思いました。無理強いはしませんでしたが、彼が良からぬ人物に騙されてしまうのではないかと恐れたのです」デルフォントはエプスタインの会社の株50%を買い、引き続きエプスタインに“クリエイティブな面で”係わりを持って欲しいと説得する。デルフォントの申し出は、当時としては悪くはない。実際、エプスタインの負担はもう限度を超えていた。 しかし、エプスタインはビートルズにこの話を相談したあと、すぐに断った。「彼らは私と別れるくらいなら解散したほうがマシだと言ってくれたんです。ジョンは私に、『くそくらえ』と言ってくれました。とても感動しました」 エプスタインがビートルの言葉に感動したのは、紛れもない事実だろう。しかし、ビートルズがエプスタインの仕事の実態を正確に把握出来ていたかどうかは、大いに疑問である。 かくして、エプスタインは、この後もこれまで同様の巨大な“負担”を背負い続けることになるのである。 |
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