Episord 12 幕開け |
ここはロンドン...EMIスタジオ。 |
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ジョージ・マーティンは、自らが評価し、契約したリバプールの若者達が、間違いなく素晴らしかったという証明をする必要があった。「ラブ・ミー・ドウ」で注目を浴びたからには、彼らに大ヒット曲を与えなければならない。 彼は手を尽くして、これならば!という曲を見つけ、エプスタインに連絡する。エプスタインは、ビートルズに聞かせるが、彼らはこれを拒絶した。こんなものは...というような酷評なのだが、エプスタインは、もちろんそれを当たり障りのない表現に改めて、ジョージ・マーティンに伝えた。 「ビートルズもあの曲を大変気に入っております。しかし、彼らは、やはり自分たちで作った曲をレコーディングしたがっているのです。どうしたものでしょうか?」 ジョージ・マーティンは、フトコロの広い人物のようだった。自らが苦労して見つけた、これならばという曲を拒絶されたにも係わらず、それよりもいい曲であれば、それでもかまわないと答えているのだ。 ジョージ・マーティンとの出会いはビートルズにとっては、幸運という以外に言いようがない。普通は、こうはいかないだろう。ビートルズが、ジョージ・マーティンが用意した曲に対抗する曲として用意したのは、「プリーズ・プリーズ・ミー」だった。なるほどあの曲ならば!!と多くのファンは思うのではあるまいか。だが、繰り返すが、やはりジョージ・マーティンは偉大だった。 ジョン・レノンが作った“最初”の「プリーズ・プリーズ・ミー」は、とても使えないシロモノだったそうなのである。ジョージ・マーティンによると、それはスローで、悲しげで?、全く売れそうもなかったと言う。 ジョンは、ビング・クロスビー(「ホワイト・クリスマス」という大ヒット曲がある)の「プリーズ」という古い曲からタイトルをつけ、さらにロイ・オービソン(「プリティー・ウーマン」をヒットさせた)風ファルセット唱法で歌っていたのだ。 ここから、ジョージ・マーティンのマジックが始まる。彼は、このままでは使えないが、リズムをアレンジし、テンポを上げればなんとかなるだろうと主張するのである。ビートルズもこれを受け入れた。 私達が知っているあの「プリーズ・プリーズ・ミー」は、こうした経過によって日の目を見ることになる。 ジョージ・マーティンは、実際にそうして改められた「プリーズ・プリーズ・ミー」を彼らが歌い、演奏するのを聴いて、すぐにピンと来たという。 これは間違いなく彼らの最初の大ヒットになるだろうと。 |
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J L |