Episord 67 アップル・ブティック

 突然、ジョンがピート・ショットンを訪ねたのには理由があった。当時、アップルの経営を始めようとしていたビートルズの一員として、ジョンはピートを誘いに来たのである。
ジョンはいつもの調子で、それが当然のように話をした。
しかし、ピートにしてみれば大変なことである。すぐに荷物をまとめてロンドンに来いと言われても、そんな簡単に話が進む筈もない。
元よりこの時、ピートにはアップルが一体なんであるかも解らなかったのである。ジョンはいつもこういった調子だから、驚きはしなかったが、だからと言ってすぐに彼の言葉を真に受けるわけにはいかなかった。

彼はヘイリング島で、ごく普通に暮らしている人間だった。その基本は崩したくない。収入は多いとは言えなかったが、ちゃんとした、真っ当な生活を送っていたのである。
「ビートルズは、僕とは全く違う世界に住んでいた。一度、ギリシアの島に移住しようという話があった。友人達、仲間達でね。要するにコミューンを作って共同生活をしようと言うんだよ。
ジョンが色々考えて、実際に島を見に行って、確か土地も買ったんじゃないかな。何処の島だったか忘れたけど。だけど実現しなかった。アップルの話も似たようなことじゃないかと思ったんだ」

ピートは後で調べて、今度は本当の話だとわかった。しかし、断ろうと思った。そのために、彼はジョンに会いに行く。しかし、ジョンは不在だった。ロンドンのポールの家だと言う。
「それでわざわざロンドンまで行ったんだよ。そしたら、みんな集まっていて、ポールが僕に抱きつきながら言ったんだ。参加してくれて嬉しいって。ジョンに参加しないよと言ったんだけど、ジョンはウソ言えって。みんな凄く興奮しちゃって、わざわざ僕が出掛けたのは参加するからだと信じ込んでいるんだよ。ジョンは、僕が同意しているってみんなに言ってたんだ」
彼らのあまりの歓迎振りに、ピートは断れなくなってしまう。さっぱり要領を得ないピートだったが、ジョンは1つの計画を説明する。ザ・フールというオランダのファッション・デザイナー達のグループが参加して、洋服のチェーン店を世界中に展開するというものだった。

アップル・ブティックの1号店をロンドンに開く。その責任者としてピートが決まっていたのだ。ピートは洋服のことについては全く解らなかったので、そのことを言うと、ジョンは、とにかくまず、やってみろというのだった。ピートの知らないうちに、話は決まっていたのである。
ピートは、ウールトンでずっと店をやっていた母親にスーパーの管理を頼み、ひとまず、ロンドンに滞在する。妻と子どももいずれロンドンに住まわせることになるだろう。
しかし、実際、準備が進み、話が具体的になって来ると、そんな簡単なことではないということが解ってくる。
3週間後、開店準備を進めていたピートは役員会に出席を求められる。ところが、役員である筈のビートルズは誰も出席していなかった。

「スーツを着た弁護士や会計士が座っていたよ。何の話をしているのか全くわからなかった。そのうちビートルズのバースデイ・カードの企画が出た。メンバーのイラスト入りのね。みんなはそれはいいアイディアだと言って賛成した。
その後は、またバラバラにおしゃべりしているんだ。さっぱり解らないと言うと、役員の1人が解散を宣言してお終いだ。業務マネージャーのアリスティア・テイラーがグラスにウイスキーを注いでくれた。完全に責任を押しつけられた感じだった」

ピートは役員会に出席を求められたのにもかかわらず、その待遇は他の役員とはかなり違っていた。
ピートが担当したのはアップルの小売部門で、実際に忙しく働かねばならなかったが、その収入は収益の1%という契約で、事実上、年に2500ポンドしかなかった。家族を呼ぶつもりでいたが、ロンドンの借家は家賃が週に20ポンドもした。
これでは全く生活の見通しが立たない。しかも責任を任されていた筈なのに、ポールが来たらポールの、ジョンが来たらジョンの、それぞれの指示に従わないわけには行かなかった。
店内の配置について、ポールがこういう風にしてくれと言われれば、そのようにする。しかし、後でジョンがやって来て、なんだってこんな風にしているんだと言うわけだ。

「それでも、ピートは獅子奮迅の努力をしていたというべきだろう。彼もまた当時のビートルズと同じように、長髪にし、ヒゲをたくわえた。1日15時間働いても、ブティック開店は1カ月遅れた。
「ビートルズは、流行の最先端の人間が最先端の物を買いに来るという店にしたかったんだ。店の物はなんでもかんでも売物にするんだ。お客が天井の照明やディスプレイ棚が気に入れば、それさえ売るんだ。そんなものまで在庫を揃えるなんて考えられないだろう?」
しかし、それだけではなかった。どういうわけか、アップルはやたらと人を雇ったのである。何だか、よく解らない人間が採用されていた。店員も当時で言う処のヒッピーのような連中ばかりだった。アップルはクリスマス前には大盛況となり、商品はどんどん捌(さば)けていった。

「並べるそばから商品がなくなった。だけど問題は現金が入らなかったことさ。店員はみんなヒッピーだったから、万引きを捕まえるなんてことはしなかった。気に入ったものを盗んでいく連中を見逃しても良心が咎めないんだ」
アップルは理想を追うあまり、現実を全く無視して経営をしていた。アップル・レコード設立時の広告はこうだった。
“才能のある男がいました。彼はテープ・レコーダーに歌を吹き込んでロンドンのベイカーストリート○○番地アップルミュージックに送りました。あなたも同じことをして下さい。彼は今、高級車ベントレーに乗っています”

「ビートルズ以外の誰もが想像した通りの結果になったよ。世界中から何万本というテープが送られてきた。小説や映画のシナリオ、詩や絵まで送られてきた。直接持ってくる場合もあった。もう大混乱だよ。応募作品をどう整理するかなんて、アップルの連中はだーれも考えなかった。結局、山積みにされた挙げ句、捨てられてしまったんだ」
ピートはさすがにうんざりしてしまった。7カ月目にジョンに辞めると伝えた。責任者の後任が決まったが、間もなくアップル・ブティックは閉店となる。結局、8カ月で20万ポンドの赤字を出しただけの話だった。

ビートルズは閉店の前夜、ガールフレンド達と共に店に入り、在庫品から気に入った物を持ち帰った。経営について何も知らないビートルズは、いいように利用されていただけだったのではなかろうか。
それでもピートは、まだジョンとは切れていなかった。何故なら、ピートがアップル・ブティックを辞めると告げた時、ジョンはピートに自分のPA(personal assistant「個人秘書」)をやらないかと言ったのである。

 「PA?なんだいそりゃ?」

 「ピス(小便臭い)アーティストのことだよ」

 要するにジョンは、ピートに居て欲しかったのである。


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