Episord 55 陰と陽 |
結婚せず、独り者であることについて、エプスタインは語っている。「私はとても残念なんです。妻や子供が居ないことで、何かを失っているに違いないと思うんです。子供がいれば楽しいだろうと思いますね」妻や子供を持たないエプスタインが、家族のように考えていたビートルズとの契約が、再び交わされた。 |
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こうした考え方が発表され、一般的になって来ている。現在、例えば日本でも芸能界にはっきりそれと解る人たちが、活躍する場を与えられて、大多数の人達から受け入れられている状況からすれば、それらの言葉は何やら大袈裟すぎるかのように思われるかも知れない。 しかし、宗教上の問題が大きく関わっていた西欧諸国で、やはりホモセクシャルは特別に問題視されたと理解すべきだろう。こうした考え方が出るまで、エプスタインは待てなかったわけだが。 エプスタインは、自分の考え方にユダヤ教の影響があることを認めている。聖典や祈祷の中に“素晴らしくためになること”がたくさん書かれていることも認めていた。 だが、それらも形式を重んじられることによって、彼には受け入れ難いものとなった。彼は、礼拝所では不安感を覚えるほどだったという。 6月18日、ポール・マッカートニー、25歳の誕生日。 「ライフ」誌のインタビュー記事でポールがLSD体験を認める発言をすると、イギリス中の新聞はこの話題に飛び付き、一斉に書き立てた。 ポールはエプスタインに電話で弁解する。ちょっと試してみたと言っただけだと。当然、エプスタインにコメントが求められることになるだろう。エプスタインの悩みがまた増えた。眠れぬ一夜を過ごした彼は、「自分もLSD体験がある」と発表することを決意する。 「1つにはポールを楽にしてやるためでした。人は誰でも孤立するのは辛いものですから。そして、2つ目に、私自身、事実を隠していられなかったのです。幻覚剤のドラッグには多くのよい効果があると私は信じていますし。皆さんはシスコのヒッピー達を惨めな若者達だとお思いでしょうが、彼等は我が国の指導者たちよりずっと素晴らしいことを実践しているのです」 同時に、このとき裁判中であったローリング・ストーンズについても言及している。「彼らがスケープゴートにされたのは残念です」 「彼らはドラッグに飢えて“手を出した”のではなく、それは“実験”だったのです」良かれと思った決断は、波紋を広げていく。 1967年の夏。エプスタインの友人達は、彼の気分や態度が、陰と陽との間で激変するのに気づき始めた。仕事をこなしながらも、彼が“寂しそう”なのがはっきり解ったと言う。 |
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