Episord 32 再びハンブルグへ

 ジョージ・ハリスンの母親ルイーズは、キャバン・クラブに何度も出掛け、息子達の演奏を熱心に聴いていた。ジョンの母代わりであるミミが、まったく聞く耳を持たなかったのとは好対照である。ジョンがバンド活動を続けているということ知らされて憤然としたミミが、このキャバン・クラブにやって来た時、彼女は既に熱心な客としてその場に居たのだった。
物事を悲観的に捉えず、陽気で社交的なこの女性は、自分だけではなく、親戚、友人、知人までを引き連れて、キャバン・クラブにやって来ていたのである。
「ミミが出て行くのを見掛けましたから、『素敵じゃないの』と私はイイました。あの人は振り向いて、『そう思って下さる方がいるのは嬉しいわ』とイイましたよ」この時、ミミはジョンが一体どういうことになっているのか、さっぱり解っていなかったが、ルイーズはすでにビートルズの“ファン”の1人だった。

しかし、初めてキャバン・クラブに来たときには、さすがの彼女もたじろいだようだ。ジョージ達は、顔からポタポタと汗をしたたらせながら演奏を続けていた。
「そこはまるでゴミ箱でした。むっと息が詰まりそうでした。ジョンは盛んに叫んでいましたわ。『うるさい、黙れ!』なんてね。ほかの人も。でも、ジョージだけなんにも言わず真面目な顔でした」
不思議に思ったルイーズが、ジョージに訊いたところ、自分はリードギターだから、間違うとすぐに解る。絶対にミス出来ないんだと答えたという。
「あの子は昔から音楽とお金のことはとても真剣でした」

ジョージがお金に拘ると言うのは、若かりし頃のビートルズを紹介する時に、しばしば語られていたエピソードである。やがて東洋への憧れから、精神的なものに傾斜していくジョージなのであるが。ミミはルイーズに会うたびにこう言っていたという。
「あなたがおだてさえしななければ、我が家もお宅も、みんな平和に暮らしていたはずなのに」最初の熱狂が押し寄せてから、キャバン・クラブをメインとしてビートルズは確実にリバプールの若者たちに受け入れられていた。

そして、再び彼らはハンブルグにやって来た。前回、オーディションを受けたクラブでの契約が残っていたのだ。アストリッドがスチュアートを出迎える。ビートルズの写真を本格的に撮った初めての女性である。
彼女がスチュアートに寄せる想いは、やがてビートルズまでも変えることになる。アストリッドは、フィアンセのスチュアートの髪型を変えてしまうのだ。スチュアートは、ジョンに憧れてバンドに入ったくらいなのだから、ジョンのようにテディ・ボーイ風に油で固め、盛り上げるようなヘア・スタイルだった。だからかなり抵抗を示したようだが、ついには彼女の意見に従う。

その夜、ステージに現れたスチュアートの髪型を見て、他の4人は、腹を抱えて笑ったという。スチュアートは髪をきれいに梳かして、それをそのまま垂らしたヘアスタイルだった。あまりに笑われた所為か、スチュアートは、元のヘアスタイルに戻した。だが、翌日はまた、同じヘアスタイルで現われる。
再び彼は嘲笑されるのだが、翌日、ジョージが同じヘアスタイルで現われた。ジョージは、アストリッドに憧れており、アストリッドからは仲のよい弟のような扱いをされていたから、彼女に感化されてしまったのだろう。やがてポールも、この髪型をするようになった。さすがにジョンは抵抗した。彼がそのヘアスタイルで現われるのはかなり経ってからのことである。

スチュアート、ジョージ、ポール、そしてジョン。ビートルズの代名詞ともなったヘアスタイル、“マッシュルーム・カット”はこうして誕生した。1人、ピート・ベストはこの騒ぎになんの関心も示さなかった。このあたり、グループで彼だけは、感覚的に違っていたと言えそうである。

アストリッドは、デビュー当時に話題になった襟なしスーツもスチュに作った。これまた他のメンバーの笑いのタネになるのだが、結局は、ヘアスタイル同様の結果となる。
アストリッドは、当時のビートルズに最も影響を与えた人物と言えるだろう。ビートルズは、滅多なことで自分達を変えようとはしなかった。
アストリッドという1人の女性が、当時のビートルズにとって、どのような存在であったかが窺われる。彼女はスチュアートに夢中だったのだが、それとは違った意味で、強烈な個性のジョンにも興味を示していたようだ。

「ジョンは時々、万引きをしていました。私は『凄いわね』と言ったものです。誰だって、とんでもないことをしたくなる時があるでしょ。実際にはしませんけどね。ジョンは急に両手をこすり合わせながら、『ちょっと万引きでもしてくるか』なんて言うんです。ただ単にスリルを味わっているだけなの。だから全然驚かなくなったわ。ジョンは何でもそう。アイディアが閃くと、すぐに実行して、その後はずっと何もしないんです。じっくり考えてから行動に移すポールとは全く違うの」

ハンブルグで特筆すべき事柄は、彼らが初めてレコーディングをしたということだ。人気歌手トニー・シェリダンの伴奏を依頼されたのである。
「楽な仕事だと思った。ドイツにはロクなレコードが無かったからね。僕らがやればいいものが出来ると思っていた。5曲ほど僕等の曲をやってみせたのだけど、彼等はお気に召さなかった。『マイ・ボニー』みたいな曲がいいんだそうだ」(ジョン)

かくして、レコーディングは行われた。この時、後にエプスタインがビートルズのレコードを探すのに苦労する原因となった「ザ・ビート・ボーイズ」というグループ名になっている。これは、ビートルズという語感が、ドイツでは、ちょっとはばかれたためだった。スラングとして、男性のシンボルを示す言葉によく似ているからだ。
ところで、このレコーディングにスチュアートは参加していない。彼は、アストリッドと結婚し、ハンブルグ美術学校で学び直すことを決心するのである。

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