Episord 28 親たちの苦悩と心配をよそに

 カスバ・クラブは十代のためのコーヒー・クラブということであるが、要するにこれは若者たちが集まる場所の提供である。ピート・ベストの母親はテディ・ボーイや与太者が集まるのを恐れ、それを会員制のクラブにした。
しかし、一方で、若者達を集めるには、それなりのものがなければならない。そんなわけで、幾組かのバンドが招かれたのである。まだ、クオリーメンだった当時のジョンた達のバンドもピートの仲間の少女からの推薦で選ばれている。
ジョンとポールは開店前に店の掃除等をやっているというから、素人が商売を始めるというような、そんな雰囲気が伝わって来る。ジョンはペンキ塗りを頼まれてやっているが、近眼だったので分厚く塗り過ぎて、「開店までに乾くかどうか心配だった」とベスト夫人は語っている。

ジョンは、メガネを持っていたのだが、それをひどく気にしており、普段はほとんど掛けなかった。仲間と映画を見る時にも、かけなかったと言う。映画は見たい。だから映画館に行く。でも、眼鏡を掛けた自分は見られなくないというわけで。
カスバ・クラブは1959年8月末に開店した。コーヒーとお菓子が出されたというから、日本で言うなら喫茶店である。そこに生のバンド演奏があるという店だったわけだ。クオリーメンは2カ月ほど演奏を続けたあと、しばらくしてシルヴァ・ビートルズとしてスコットランド巡業に出ている。

ピート・ベストは、暇なときドラムを叩いていた。やがて、一時、クオリーメンにもいたケン・ブラウンと、ほかに2名を加えたメンバーでバンドを組む。ベスト夫人はこれを喜び、大いに援助した。ブラックジャックスと名のったそのグループは、次第にカスバ・クラブの顔となっていくのである。
ベスト夫人は、息子のピートがショービジネスの世界に進むことを薦めたようなところがある女性で、この辺りは普通の母親とはかなり違っていたようだ。ピート・ベストは完全にその気になって、ついには学校も辞めてしまう。ところが、その途端にバンドは解散。

それぞれがもっといい仕事を求めて辞めてしまったということなのだが、要するに本気で芸能界に入ろうとまでは思わなかったということだ。将来性、安定性といったことを考えれば、それは間違った判断とは言えないだろう。
ピート・ベストはその気になって学校を辞めたものの、新しいドラム・セットを眺めているしかなくなった。そんなとき、電話があった。ポール・マッカートニーからだった。

「ポールは、ハンブルグに仕事があるんだけど、俺たちのドラマーをやらないかと言った。僕はすぐにイエスと言った。報酬は週15ポンド。大金だった。教員養成所に行くよりはいい話だった」
ハンブルグでの仕事は、5人編成のバンドという要求だったが、当時、加わっていたドラマーはドイツ行きを妻に反対されており、ドラマーの必要があった。その時に、ポールがピート・ベストを思い出したのである。このあたりの事情は、特に記憶して置くべきかも知れない。ピート・ベストは、欠員補充のために急遽招かれた男だったと。

既に述べたように、この時、ジョージ・ハリソンはまだ17歳。子供と言えば子供だったが、一応、社会人である。(電気技師見習いの仕事をしていた)スコットランド巡業とは違って、今度は初めての外国巡業で、家族は反対した。だが、彼には強力な援護者である母親がいたのだ。
「あの子が行きたいと言うんですからね。初めてまともな報酬が貰える仕事でしょ。それに私はジョージ達の腕前を信用していました」

ポールの方は父親のジムが、やはり反対だった。ポールは教員養成所入学のための試験を受けたばかりだったのだ。ポールは彼らしく、まず弟のマイケルを味方に付ける。その上で、巡業の仕事のエージェントであるアラン・ウイリアムズを招き、彼から父親を説得してもらうのだ。

「ポールたちが認められたことは分かっていた。最初の大きな仕事だから行きたいとお言うのも無理もない。でも、ポールは18歳で学生だったからね。結局、学生のパスポートで行ったわけだけど、私としては年齢に相応しい振る舞いを忘れないようにと言うしかなかった」
いつも彼らの音楽を聴いていたジョージの母と、時々、聴くことのあったポールの父とは、それぞれに息子たちのバンドの成長ぶりを知っていた。どんな時も息子の味方をするジョージの母親の言葉はいくらか割り引くとしても、ポールの父、ジムは、バンド経験者である。心配はしながらも、息子達がそこそこやるのではないかという手応えを感じていたのではなかろうか。

問題はジョンだった。ミミ伯母さんは手ごわかった。彼女は、ポールとジョージが遊びに来ることさえ禁じていたのである。
ジョンがまともな仕事を始めることを望んでいたミミは、ジョンがバンドから抜けることを望んでいた。ジョンには家でギターを弾くことも禁じていた。
だから、ジョンは長い間、ウソをつきまくらなければならなかったわけである。ミミは、ジョンが真面目に美術学校に通っているものと思っていた。あるいは、思い込もうとした。ところが、お節介な人というのは居るもので、ジョンがキャバン・クラブで演奏していることを知らせた人がいたのである。

ミミは、キャバン・クラブに出かけるのだ。
「キャバン・クラブという恐ろしい場所のことは初耳でした。探すのに時間が掛かりました。やっと見つけて入ると入場料をとるといいます。私は言ってやりました。『ジョン・レノンに会わせて下さい!!』」
「物凄い音の中で女の子たちが押し合いへし合いしています。ステージには近寄れませんでした。ジョンを引きずり下ろしてやろうと思ったんですけどね」

「私は化粧室で待っていました。汚いところでしたけどね。やがてキャーキャー騒ぐ女の子達と一緒にジョンがやってきました。でも、メガネをかけていないので、私に気づきません。メガネをしてやって私に気づきました。『こんなところで何をしているの、ミミ?』。私は言ってやりました。『結構なことね、ジョン。本当に結構なことよ!!』」

ミミは馬鹿げた音楽をやめて、まともな資格をとる勉強をするように何度も何度もお説教を繰り返したのだが、ジョンには全く効き目がなかった。
ビートルズが成功してから彼らが語った有名な言葉の1つとして広く知られるようになるその言葉をジョンは当時からミミに言っている。

「伯母さんにどう言われようと、僕は9時から5時までの人間で一生を終わるのはまっぴらだ」

27 29