Episord 47 バイブルベルト地帯

 1966年8月、第4回目のそして最後のアメリカ公演が行われる。この公演の5カ月ほど前、ジョン・レノンは「ロンドン・イブニング・スタンダード」のインタビューで、次のようなことを述べていた。
「キリスト教はいずれ無くなるだろうね。力を失って衰えて行くだろう。僕の言っていることはいずれ証明されるさ。僕等は今じゃ、イエスより人気がある。ロックンロールかキリスト教か、どちらが先に消えるかは知らないけど。キリストは立派な人だったけど、弟子たちは鈍感で平凡な人間ばかりだった。キリスト教をダメにしたのは、イエスの考え方をねじ曲げてしまった弟子達だね」

当然、インタビューをした記者による手が加わっているものと思うが、この記事が発表されても、イギリスでは特に問題にはされなかった。いつものジョンの毒舌だという程度にしか受け止められなかったのである。
ところが、この記事はアメリカの雑誌に大々的に転載されたのだ。アメリカのオフィスには抗議の電話が殺到した。バイブル・ベルト(Bible Belt)と呼ばれる地帯がある。そのまま訳せば聖書地帯となるが、アメリカ南部と中西部には、聖書の記述の全てがそのままの事実であると信じている人達が集中して住んでいる地帯があるのだ。
火の手はそこから上がり、やがてアメリカ全土に飛び火して行った。

アメリカの秘密結社クー・クラックス・クラン(KKK)が現われて、バイブルベルト地帯でビートルズ人形をつくり、それに火をつけ、ビートルズのレコードが投げ込まれた。彼らの音楽を放送禁止としたラジオ局も多数あらわれた。
病気で療養中のエプスタインは、(「腺熱」...体中のリンパ節が腫れて高熱を出すという病気だった)直ちにたアメリカ行きの手続きをとった。ニューヨークに着いたエプスタインは事態の深刻さを知ると、万が一に備えて、コンサートをキャンセルしようとした。エプスタインは記者会見する前にジョンに電話をしている。コンサートを行うためには、ジョンが謝罪するしかないとエプスタインは告げた。それ以外にビートルズの安全は確保されないだろう。

だが、ジョンの答えは簡単だった。「謝る理由がないよ。心にも無いことを言うくらいならコンサートを中止した方がいい。発言を取り消す気はない」エプスタインは記者達の前で、彼なりに最善と思われる釈明をした。
つまり、数カ月前、ロンドンでジョン・レノンが記者に語った言葉は、間違った形で引用されてしまった。ジョンは、ごくローカルな記事になると思って発言したのに、ああいうような形で紹介されてしまったのは、予想外なことだったのだ。
たが、肝心な処が抜けていた。ジョンは社会現象として、今やビートルズの方が人気があると言っただけで、キリストよりビートルズが「偉大だ」などとは全く言っていなかったのである。そのことこそが重要だったのだが...

エプスタインの記者会見は終わったが、それでもまだアメリカは、アメリカ国民は納得しなかった。ジョン・レノン本人が現われて、彼自身が語る言葉を聞きたがった。もはや、エプスタインも打つ手がなかった。
再び、彼はジョンに電話する。コンサートは行うべきだというのが、アメリカのプロモーターたちの考え方だった。
ジョン自身の言葉があれば、ファンたちは納得し、騒ぎも鎮静化するだろう。
しかし、エプスタインには、フィリピンでの出来事がまだ記憶に新しかったのだ。慎重の上にも慎重を期さねばならない。彼は緊張感ただようシカゴのホテルの一室で、ジョンと語り合った。現在の状況を可能な限り詳しく説明した。

事態は深刻である。しかし、事情をきちんと説明すれば、元々アメリカはビートルズを愛しているのであるから、コンサートは問題なく行えるだろう。キャンセルはいけない。
中止でもしようものなら、それこそ大変なことになってしまうだけだ。

この時、何とジョンは、頭を抱え泣いたという。信じられないことだ。果たして本当のことだろうかと疑問にさえ思うが、考えてみれば、このときジョンは、まだ26歳の若者なのだ。おまけに、数カ月前、フィリピンで危険な目に遭ったばかりだった。
ジョンが泣いている姿はエプスタインにはショックだったろう。そんなジョンは見たくない。だが、今はそんな場合ではなかった。なんとか事態を収拾しなければならない。その後も話し合いが続くが、ジョンは断固として謝罪を拒否した。
エプスタインは、ジョンのスピーチに自分の考えを盛り込もうとしたが、それも拒否された。結局、ジョンの記者会見は、全くこれといった準備をしないままに行われたのである。

「あの時は、若者にとってキリストや宗教より僕たちの方が訴えかけるものがあるんだと言っただけで、キリストをけなしたりするつもりは全くありませんでした。事実としてああ述べたまでなんです。社会現象としては本当のことですから。特にイギリスではそうだと思います。
僕らの方が優れているとか偉大だとか言ったわけじゃないし、とにかくキリストと自分達を比較するわけはありません。発言に他意は無かったんですけど、間違って受け取られたんでしょうね。これだけ騒がれるんですから」
「あの記事に書いたようなことは一言も喋っていません。反宗教的な不愉快なことを言うつもりなど全くありませんでした」
(※「あの記事」というのはイギリスの雑誌を引用したアメリカの雑誌の記事のことだと思われる)

ツアーは決行された。コンサート期間中、宗教関係者により、コンサートに出掛けた若者たちを許すようにと祈りを捧げる集会が行われたという。だが、コンサートは大成功だった。
バイブル・ベルトでの演奏は、彼らのベストだったとも言われている。皮肉なことだが、毎日、毎日、同じことの繰り返しにウンザリしていたビートルズが、久しぶり緊張感を持って行った演奏だったということも出来るのである。

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