Episord 24 ジョージ・ハリスン |
ハロルド・ハリソンは14の歳には学校を辞めて働いていた。1926年から36年までは、海運会社のボーイ長だった。30年にルイーズ・フレンチと結婚。 |
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ポールの弟、マイケルの記憶によれば(彼も同じ中学だった)まだ誰も長髪にしていない頃から、ジョージは髪を長くしていたという。 「あの子は大きく盛り上げた髪の毛の上に、ちょこんと帽子をのっけて学校に行きました。もの凄く細いズボンを履いてね。こっそり私のミシンでズボンを細めに縫い直していたんです。ブレザーの下に派手な色のチョッキを着て行くこともありました」(母ルイーズ・談) 「洒落た服を着ること、人と違った格好をすること、それが反抗の形だった。学校なんか何とも思っていなかった。僕は何とか個性を失わずにいられた。僕は教師達に理解されなかった。今にして思えば、それが嬉しいね」 当然ながら、ジョージは教師たちからの目の敵にされた。彼もまた、ジョンとは違った形のトラブルメーカーだったのだ。だが4年生になったころから、ジョージは、少々態度を改める。 「冷静にしていること、沈黙していることが一等いいとわかったんだ」ジョージが落ち着いたのを見て、母のルイーズは安堵した。なにしろ中学に進んだのは彼だけだったのだ。ジョージは、ハリソン家の期待の星だった。 教育を安定した職業を得るために必要なものとして考えたのは、当時の親達ならば、ごく普通の考え方である。海から陸の生活に変えた時、就職難で苦労したハロルドが、わが子がいい学校を出て、いい職業に就くことを願うのは当然のことだった。だが、夫人のルイーズは、そうした考えに凝り固まることは無かった。明朗快活なこの女性は、常識程度にジョージをいさめることはあっても、結局は、どんな時でも彼の味方をしたのである。 彼女は、音楽やダンスが好きだった。市バス従業員社交クラブで、初心者のためのダンス講習会を10年も続けたというから、相当なのめりこみようである。 ある日、それまで音楽に殆ど関心を示さなかったジョージが、ギターを始め時、彼女はこれを大いに喜んだようである。 ジョージは誰にも教わらず、独学でそれをものにしようとしたが、なかなかうまく行かなかった。 「私は言いました。『大丈夫よ、大丈夫よ。とにかく続けなさい』ジョージは指から血が出るまで続けました。午前2時とか3時まで練習についてやったこともあります。そのたびにジョージは『ダメだよ。モノにならないよ』と弱音を吐きましたが、私は『大丈夫よ、大丈夫よ』と励まし続けました」 「ママは本当に僕を励ましてくれた。僕のしたいことを絶対にけなさなかったのが最大の励ましだったと思う」 こうしてジョージ・ハリソンは、少しずつ、ギターの腕前を上げて行くのである。 |
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