Episord 30 クラウスとアストリット

 クラウスが、アストリッドに自分が見て来たことを話したのは、ビートルズを初めて見た翌日だった。クラウスは、興奮しつつ、その夜の体験を語ったのだが、アストリッドは興味を示さなかった。何よりも、クラウスが入ったという店のある地区は、好ましい場所とは思えず、露骨に嫌な顔をしたのだった。
それでも、クラウスにとっては、昨日のことは凄い出来事だったのだ。彼は何とか彼らに、近付きたいと考えた。そこで、彼は自分がデザインしたレコードジャケットを持参する。それに彼らが興味を持つのではないかと考えたわけである。
長い間待ち続け、やっとビートルズの休憩時間になると、クラウスはリーダーと思われるジョンに近付いた。
「ジャケットを渡されたのは覚えている。でも、何だかワケが解らなかった」(ジョン)

クラウスは一生懸命に英語で語りかけた。しかし、ジョンは、こういうのはスチュアートに見せた方がイイというようなことを言った。それで、スチュアートに近付こうとしたが、何らかの邪魔が入り、機会を逸してしまう。
クラウスは、場違いな場所に来て、一体何をしているのだろうという自己嫌悪に陥りながら席に戻るのだが、その夜も最後まで聴いてしまうのだった。
再び、アストリッドにビートルズの良さを語るクラウス。今度こそ一緒に行って見てくれと熱心に口説かれ、アストリッドは重い腰を上げる。クラウスとしては、自分の感動が本物であることを仲間によって確認したかったのだろう。結局、もう1人の友人を誘い、彼らはその夜3人で出かけるのである。
渋々出掛けたアストリッド。だが、彼女もまたビートルズに魅せられてしまう。

「かなり怖かったわ。鼻のつぶれたテディ・ボーイとか、正真正銘の乱暴者が居たんです。でも、あの5人を見た時、全てを忘れました。自分でもワケが解りませんでした」
「写真や映画で観るテディ・ボーイには興味がありました。服装なんかね。でも、髪を盛り上げて細いズボンを履いた人達が、目の前に居るわけでしょ。私はポカンと口を開けたまま、身動きも取れずに眺めていました」
クラウスとアストリッドが、彼らを激賞した結果、その友人達が少しずつそのクラブに訪れるようになる。そしてついには、彼らは、ある種の勢力といえるほどの集団となり、店の雰囲気まで変わって来るのである。
ビートルズも休憩時間には、彼らと話すようになっていた。彼らはドイツ語を話せなかったが、ドイツ人の中にはいくらかでも英語の出来る者が居たのである。

「僕等には急に美術家タイプの友達が増えた」(ジョージ)
「実存主義者みたいな連中だった。いい奴らだったよ」(ポール)
「連中は僕が話し掛ける気になった最初のドイツ人だった」(ジョン)
もっともジョンの言葉はクラウスにはよく解らなかったらしい。ジョージの言葉はよく解ったそうだ。ジョージにはゆっくりと話してやるだけの優しさがあったのだ。

しばらくして、アストリッドはビートルズに写真を撮らせて欲しいと頼む。「彼らは、まんざらでもないような顔をしたわ。ジョンは何か妙なことを言ってましたけど、彼はいつもわざと非道いことを口走るんです。私に向かって直接は言わないですけどね。本当はそんな人ではないと言う気がしていました」
アストリッドのお目当ては、スチュアート・サトクリフだった。一目惚れだったと言う。クラウスとは単なる男友だちという認識だったのだ。ジョンの話でも、ジェームス・ディーンに雰囲気の似たところのあるスチュアートは、新しく訪れるようになった“実存主義者達”に人気があったということである。最初の撮影が終わったあと、アストリッドは彼らを自宅に誘った。この時、ピート・ベストだけはドラムの補修ということで、別行動だった。他の4人は、ドイツ人の家庭に入ったわけである。
アストリッドはその後、何度も彼らの写真を撮る。彼らと会うときには、いつもカメラを持って行くようになった。アストリッドは光と影を巧みに使った。彼らの顔半分が影になるような写真をたくさん撮っている。

これはハーフ・シャドウというもので、初期のビートルズでは、しばしばこの写真が使われている。スチュアートに恋したアストリッドは、クラウスに英語を習い、独英辞典持参で話し合うようになる。そして1960年11月、出会って2カ月後には婚約するのである。この当時、アストリッドが感じていたビートルズの印象は、なかなか興味深いものがあるので紹介しよう。

「スチュは知的な人でした。それはジョンも認めていました」
「その次に、ジョンとジョージが好きでした。それからピート・ベストね。彼はとても内気なんです。本当は面白い人なのにね。あまり付き合いはありませんでした。その頃からピートはみんなに忘れられがちだったわ。もう一人前だったということね」
「ポールは近寄りにくい人でした。愛想はいいんですけどね。一番人気があってステージで何か喋ったりするのもいつも彼でした。ファンは彼がリーダーだと思っていたみたいです。でも、リーダーはジョンでした。なんといっても彼は強かったんです。肉体的な意味ではなくて、個性がね」

「ジョージは私のような人間には出会ったことが無かったらしく、そのことを素直に言ってました。彼は17歳だったんですものね。私は車を持っていて、カメラマンで、革ジャンパーなんか着ている変な女の子でしたからね」
ビートルズは、テディ・ボーイ風の男たちも含めたロックファンと、新たにファンとなった“実存主義者”達という2種類の支持を得たのである。当初の契約はすでに何度も延長されており、6週間だった筈のハンブルグでの生活も、すでに5カ月となっていた。彼らは、さらなる可能性を探り、もっと大きなステージに立つべくオーディションを受け、これに見事合格し、契約を取り付ける。

ところがである。ジョージが国外退去を命じられた。年齢が問題となったのである。彼が17歳であることをアストリッドが知っていたように、ジョージは特に年齢について気にしていなかったようだ。しかし、18歳以下の夜の労働は禁じられていたのだ。誰かが、ジョージの年齢についチクったのだろう。
ほかの4人は残り、新たな仕事場であるクラブで演奏するのだが、一晩ステージをこなしただけで、結局ハンブルグを後にしなければならなくなる。
ジョンとスチュアートは、それまで利用していた映画館の屋根裏から、既に新たなクラブに荷物を移し終えていたが、ピートとポールはまだだった。荷物を整理していたら、ピートが何処からかコンドームを見付け、それを壁に吊して燃やす悪戯をしていて通報されるのである。

「大した火事じゃなかったけど、僕等2人は警察に引っ張られ、国外退去を命じられた」(ピート)残るは、ジョンとスチュアートだが、ジョンは労働許可証を取り上げられ、やがてスチュアートも国外退去を命じられてしまう。
ジョージから始まったビートルズの国外退去命令の本当の原因が何であったのかは解っていない。そこに何らかの力が働いていたのかどうか。
いずれにせよ、さらなる成功を目指していた彼らは、あっと言う間に、失意のどん底に落ち込むのである。

29  31