Episord 34 リンゴ・スター |
ピート・ベストが、ビートルズからクビになった経緯については、後になっても様々なことが言われており、「これが真相だ」と言い切れるものは無い。それぞれに言い分があり、それぞれが真実だとする処のものを未だに抱えている。当事者であるピート・ベストも、もちろんそうだ。 |
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ジョンは後年、こう語っている。 「ピートをクビにしたとき、僕等は臆病だった。ブライアンにそれをやらせたんだからね。でも、面と向かってピートに言うことは、もっとひどい結果になったと思う。きっと最後は殴り合いになっただろう」 いずれにせよ、誰か1人の意見で決まったことではなかった。ジョン、ポール、ジョージの3人は、ピート・ベストを初めから仲間だと認めていなかったようだ。あくまでも一時しのぎの補充人員だった。だから本格的なプロデビューが決まったとき、彼の役目は終わったのだ。 1936年、リバプール市内のパン焼き工場で働いてたリチャード・スターキーは、同じ職場のエルシー・グリーブと結婚した。 2人は、リバプール市内で最も柄が悪いとされていたディングルへ引っ越す。そこはジョンやポール、ジョージが育った郊外より港寄りで、かなり陰鬱な印象を与える地区でもあった。 当時、ディングル出身と聞くと、リバプールの人間は、身構えるような感じになったという。まるで、凶悪犯が住んでいる地区の出身者だと言わんばかりに。もちろん、そんな人だけが住んでいるわけではなかった。ただ、いかにも貧乏長屋といった佇まいの家々が建ち並んでいたのは事実だ。 1940年7月7日、予定より1週間遅れで、1人の男の子が誕生した。リバプールに空襲が始まった頃のことである。父親のリチャード28歳、母親のエルシーは26歳であり、2人にとって初めての子どもだった。 この子は父親と同じリチャードという名前がつけられる。これは労働者階級としては当然のことだった。愛称までもが父と同じくリチーと呼ばれたこの子供は、3歳のときに両親の離婚を体験する。と言っても、もちろんその当時の記憶はない。 あのジョン・レノンが、幼い時に体験したこととよく似た環境だが、リチーの場合、特にドラマティックなことは無く、両親は話し合いによる正式な離婚だった。そして、母親のエルシーがリチーの親権者となった。 母親の記憶によれば、リチーは両親の離婚について悩んだりする様子は見られなかったという。 「でも、時々、2人じゃ寂しいというようなことを言いました。雨が降っている時なんか窓から外を見ながら、『弟か妹がいればいいな。雨が降ると話し相手がいないよ』なんて言っていました」 リチャード・スターキー。 後にドラマーとしてビートルズの一員となるリンゴ・スターの幼年時代である。 |
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