Episord 52 水と油の合併

 ジョージ・マーティンが、ビートルズのエプスタインに対する態度に批判的だったのは、それ以前のビートルズとエプスタインの関係を知らなかった所為もあるだろう。
キャバン・クラブに突然現われた別世界の人間に対して、ビートルズは警戒し、信頼するに足る人間かどうかを常に確認しているような処があった。ジョン・レノンとエプスタインとの関係は、普通の常識ある人間からすれば、全く理解出来ないものだったろう。ジョンは、エプスタインを日常的にいじめていたとしか思えない筈だ。こんな言葉は、ごく普通にジョンの口から出ていたものである。
「おい、見てみろよ。ユダヤ人のくせにイギリスのパスポートを持ってるぜ」

リバプール時代から彼らを知っているボブ・ウーラーは、エプスタインがジョンのそうした言葉に耐えられたのは、彼がホモセクシャルだったからだと言う。
「彼が普通の人間だったら、とっくに違う仕事を捜していただろうね」エプスタインはジョンの天才を信じて疑わなかった。
天才と付き合うためには、それくらいの忍耐は当然だと思っていたのである。ジョン・レノンはジョン・レノンで、辛辣な言葉の裏には必ず繊細すぎる感受性が隠されているという厄介な人間だった。ある時、彼はドイツ人女性を泣かせたことがある。言葉による攻撃は情け容赦なかった。その場にいたエプスタインを指さして、ジョンはだめ押しのように言った。
「君らは、彼の親戚を600万人殺したんだ」

ジョンがこうした辛辣な言葉を投げ付けるというのは、反対にそのことを非道く気にして、拘っているということでもあった。彼は、自分の弱さを認めようとせず、全く逆の態度を示すことで精神のバランスを取ろうとするような処があったのだ。それは、親しくなれば解って来ることなのだが、初めてそうした言葉を聞けば誰だってショックを受けるだろう。
エプスタインは、こうした時にも、ジョンの代わりに、ドイツ女性に対して謝罪するのであった。エプスタインが、ジョンの考え方、その存在に魅力を感じていたのは明らかだった。最初は当惑していた辛辣な言葉さえも、やがては受け入れてしまっていたのである。

エプスタインとポールとの関係は、最初から芳しくなかった。ポールは初めからエプスタインには「喧嘩腰」だったと言う。エプスタインは最後まで、ポールに対して腫れ物に触るような態度を崩さなかった。ポールのご機嫌を損ねないようにという気遣いはジョン以上のものがあった。
何のかんのと言っても、ジョンはビートルズの中で誰よりもエプスタインを信用しており、それをまたエプスタインも感じていたのだ。エプスタイン自身は、ポールとの関係は徐々に改善しつつあると考えていた。エプスタインが最も批判的になったビートルズはジョージだった。ジョージがシタールを始めた頃にも、「本筋を外さないように、適当に取り入れるくらいでいいのだけど」などとこぼしている。

ジョージは、ビートルズの中であまり貢献していない(当時)のに、色々と口を出してくることが多いと、エプスタインは感じていたのである。ジョージは、NEMSの収支についても知りたがった。かつてのジョージは金銭に執着があった。というより、心配性の処があったというべきか。彼は自分達が騙されるのではないかという態度を常にとり続けていたのだ。エプスタインにしてみると心穏やかではなかったのも当然かも知れない。

リンゴに対するエプスタインの評価は、すこぶる良かった。
「リンゴは実にいい奴さ。一等いいところは、ほかの3人ほど才能はないけれど、そのことを気にしていないことだ」リンゴの“才能”についての評価は、作曲能力といった点に限ってのことだろう。彼の“才能”については、ジョンの言葉があるので、それを紹介しておこう。
「リンゴは、リバプールで自分だけの才能でスターになっていた。僕らのグループに入る前からね。だからリンゴの才能はいずれ、どういう形にせよ花開いただろうよ。具体的には、演技の才能か、ドラムの才能か、あるいは歌の才能かは解らなかったんだけど、リンゴには、ハッキリそれとわかる何かがあった。ビートルズに加わろうが加わるまいが、いずれ必ずスターの道を歩んでいただろうね」

オーストラリア人、ロバート・スティグウッドは英国の芸能関係者で知らぬものは無いという人物だった。興行主として才能を発揮し、演劇の世界に手を伸ばし、クリーム(エリック・クラプトンがいた)、フー、そしてビージーズといったグループを抱えていた。
彼の仕事の仕方は、エプスタインとは正反対のものであった。繊細な感受性のままに、アーティストとの人間関係を大切にしようとしたエプスタインとは違い、イヌイットにも冷蔵庫を売りつけることが出来るようなしたたかさがあった。

このスティグウッドの会社、ロバート・スティグウッド・オーガナイゼーションとNEMSとの合併を知らされた時、多くの人は、驚きの声を上げた。NEMSのスタッフは誰もそのことを知らされていなかった。これはまったく不可解な決定だった。
取締役から秘書に至るまでの全員が、驚き、憤り、エプスタインを非難した。スタッフに何も相談せずに決定したというのはエプスタインらしくなかった。NEMSのスタッフはほぼ全員、スティグウッドという人物を気に入っていなかった。そのことをエプスタインは知っており、相談すれば反対されると考えての行動だった。しかし、エプスタインはスティグウッドの経営能力を評価していたのだ。合併は必ずよい結果を生むことだろう。

しかし、まもなく両者の経営スタイルが全く違うことが歴然として来る。全く違った経営方針に戸惑ったのはジョージ・マーティンも同様だった。スティグウッドの経営人がNEMSに入って以来、それまであった会社の美点は明らかに損なわれてしまったのだ。
取締役だったジェフリー・エリスは語っている。
「まるで水と油だったよ。NEMSは世界一能率的な会社とは言えなかったけど、元気で若々しく、熱意に溢れた会社だったのに」エプスタインもさすがに後悔し始めていた。ただ、合併がNEMSに全くマイナスだったわけでもなかった。ロック界の大物、ビージーズ、クリーム、フーがその傘下に入ったからだ。

だが、スティグウッドがビージーズに熱心なあまり、NEMSの資金を“浪費”していることに気付くと、エプスタインは憤慨した。エプスタインはスティグウッドがビージーズを“第二のビートルズ”と言うのが気に入らなかったようだった。
しかし、とにかくそれでも、エプスタインはエネルギッシュに仕事をこなした。アメリカ、ニューヨークでは大勢の記者たちに、クリーム、フー、ビージーズについて熱心に語った。しかし、アメリカの記者たちは、そんな聴いたこともない(当時)グループよりも、マネージャーとしてのエプスタインのことを知りたがり、それはエプスタインを上機嫌にさせた。表向き、NEMSもエプスタインも順調のようだった。

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