Episord 17 初アルバム

 リバプールでは、エプスタインが「次に誰と契約するか」という話で持ち切りとなっていた。エプスタインは、魔法のようにスターを創り出してしまう。
だが、エプスタイン流の方法が成功した例もあれば、失敗した例もある。成功以前にエプスタインの逆鱗に触れて、袂を分かつ例もあったのである。その殆どは、エプスタインの几帳面さ、清潔さ好みに耐えられなかった連中だった。

最初からスーツを着て洗練されたステージであったとしても、時間を守らない場合には、問題にもならなかった。
車の渋滞や事故という原因があったにせよ、それを言い訳にすることは許されなかった。遅れた側が恐縮し、申し訳ございませんでしたと詫びれば、もしかしたら、どうにかなったのかも知れないが、それほど自分を押し殺せる若者がリバプールにいる筈もなかった。ウソ偽りじゃないのだと、激しくエプスタインに反論し、すべてはご破算となってしまうのだった。

ビートルズが有名になるにつれて、エプスタインへの評価は高まるが、一方では傲慢になったとも囁かれた。
彼は、自らの判断に自信を持つあまり、それに従わないものを冷酷に切り捨てたとも言われている。
反論するにしても、冷静に論理的に行えば、エプスタインは聞く耳を持っていた筈だ。だが、多くの場合、その反論はエプスタインのプライドを傷つけるだけだったのだ。

ビリー・J・クレーマーも、エプスタインのお気に召さなかったばかりに消えて行った歌手の1人である。
彼は、エプスタインによって、服装、喋り方まで直すように指摘されるが、渋々といった調子であり、彼の声が気に入ったというジョンによって提供された「ドゥ・ユー・ウォント・ノウ・ア・シークレット」さえ気に入らなかったと言う。
彼は、エプスタインにこう言うのである。
「もっといい曲を見つけるべきだとは思わないかい?」

エプスタインはこの言葉に唖然としたと言うが、それはそうだろう。自分が最も評価しているジョンの作品を否定する人間が居るとは信じられないからである。
結局、レコーディングしたその曲はランキング1位となる。
(ビートルズの最初のアルバムにもそれは収められ、ジョージ・ハリソンが歌っているのはご存じのとおり)

クレーマーは、その後もビートルズ作品を提供されヒット曲を出すのだが、彼はそれを自分の実力と思い込んだのか、違う感じの曲を歌いたいと主張する。さらに、例によってテレビで売り出そうとしたエプスタインに対し、まだ準備ができていないと抵抗するのだ。
エプスタインは我慢をするが、両者の関係は危うい状態が続く。結果は出したものの、彼は再びレノン=マッカートニーの曲を拒否し、さらにエプスタインのマネージメント方針にまで口出しをする。
これでは、エプスタインならずとも機嫌を損ねると思うのだが、クレーマーはそのことが解らなかったようだ。

「プリーズ・プリーズ・ミー」が成功した時に、次になすべきことは何か。
ジョージ・マーティンとエプスタインは、3カ月に1枚の割合のシングルと、半年に1枚のアルバムを作ることだと結論づけた。ビートルズは殺人的なスケジュールが続いており、すぐにはアルバムにまで考えは至らなかったようで、そういえばアルバムを出さなければならない...そんな感じだったと言う。

しかし、この頃のビートルズには、アルバムに時間をかけているゆとりは無かった。ジョージ・マーティンが、当時を回想する。

「キャバーン・クラブでの演奏やアメリカの曲に対する博識ぶりから、彼らが豊富なレパートリーを持っていることは知っていた。だから、私は言ったんだ。君たちのレパートリーを手当たり次第に録音しようってね」

そうして出来たのが最初のアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」だった。なんとこのアルバムは、たった1日で録音を終えている。
「朝の10時にスタートして、夜の11時には終わっていたよ」
今とは録音技術もまったく違うのだけれど、ほぼ一発録りである。これは、ビートルズは曲はいいけど演奏が...
などと言われた事を否定できるものなのではなかろうか。

「PLEASE PLEASE ME プリーズ・プリーズ・ミー」1963年3月22日発売(英)

このうち「ミズリー」は、ヘレン・シャピロに提供した曲だが、彼女は歌詞が暗過ぎるという理由で断ったという。
ビートルズはデビュー当初、ヘレン・シャピロをメインにしたツアーに同行していたわけで、彼女にとって、ビートルズは格下だった。あとで彼らの成功を知った時、この曲を受けなかったことを後悔したのではなかろうか。

最後の「ツイスト・アンド・シャウト」も一発録音。と言うより、テイク2に行こうにも、もうジョンの声は枯れてしまって出なかったと言う。そりゃそうだろう。これ以上の演奏は無理だ。ちなみにライブでもこの曲は頻繁に演奏されており、かのロイヤル・バラエティ・パフォーマンスでも演奏された。この曲を紹介したジョンのジョークは今も語りぐさになっている。

「次の曲は、みなさん参加してください。安い席に座っている人たちは手拍子を、高い席の方々は、宝石をジャラジャラ鳴らしてください」
その高い客席には、エリザベス女王とマーガレット王女が居たのである。
あとで、女王は、ジョンの言葉に気づきましたかと問われ、ニッコリ微笑んで気づいたと答えておられる。

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