Episord 17 初アルバム |
リバプールでは、エプスタインが「次に誰と契約するか」という話で持ち切りとなっていた。エプスタインは、魔法のようにスターを創り出してしまう。 |
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しかし、この頃のビートルズには、アルバムに時間をかけているゆとりは無かった。ジョージ・マーティンが、当時を回想する。 「キャバーン・クラブでの演奏やアメリカの曲に対する博識ぶりから、彼らが豊富なレパートリーを持っていることは知っていた。だから、私は言ったんだ。君たちのレパートリーを手当たり次第に録音しようってね」 そうして出来たのが最初のアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」だった。なんとこのアルバムは、たった1日で録音を終えている。 「朝の10時にスタートして、夜の11時には終わっていたよ」 今とは録音技術もまったく違うのだけれど、ほぼ一発録りである。これは、ビートルズは曲はいいけど演奏が... などと言われた事を否定できるものなのではなかろうか。 「PLEASE PLEASE ME プリーズ・プリーズ・ミー」1963年3月22日発売(英) このうち「ミズリー」は、ヘレン・シャピロに提供した曲だが、彼女は歌詞が暗過ぎるという理由で断ったという。 ビートルズはデビュー当初、ヘレン・シャピロをメインにしたツアーに同行していたわけで、彼女にとって、ビートルズは格下だった。あとで彼らの成功を知った時、この曲を受けなかったことを後悔したのではなかろうか。 最後の「ツイスト・アンド・シャウト」も一発録音。と言うより、テイク2に行こうにも、もうジョンの声は枯れてしまって出なかったと言う。そりゃそうだろう。これ以上の演奏は無理だ。ちなみにライブでもこの曲は頻繁に演奏されており、かのロイヤル・バラエティ・パフォーマンスでも演奏された。この曲を紹介したジョンのジョークは今も語りぐさになっている。 「次の曲は、みなさん参加してください。安い席に座っている人たちは手拍子を、高い席の方々は、宝石をジャラジャラ鳴らしてください」 その高い客席には、エリザベス女王とマーガレット王女が居たのである。 あとで、女王は、ジョンの言葉に気づきましたかと問われ、ニッコリ微笑んで気づいたと答えておられる。 |
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