Episord 15 光る手腕 |
1963年1月13日。ビートルズとエプスタインは、人気テレビ番組「サンク・ユア・ラッキー・スターズ」の収録のため、旅立った。そこでエプスタインは、新たな知己を得る。 |
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このコンサートツアーのポスターは、急遽、差し替えられている。すでに大スターだったロイ・オービソンも、このことに同意したという。チケットは発売と同時にソルド・アウト。 もっとも、このときのチケットも驚くほど安かった。 地元リバプールでは、彼らの全国的な人気が認められるには、いささか複雑なものがあった。地元の人気者が全国区になるということは、何か自分の手から遠のくような思いを抱いたとしても不思議はなかった。 「プリーズ・プリーズ・ミー」が全国チャートで1位になったという知らせが、キャバーン・クラブ等にいる若者たちに告げられたときも、歓声が湧くこともなく、むしろ静まり返ったと伝えられている。 自分たちの手の届くところにいたビートルズが...という思いからの静けさが、熱狂的なものにかわり、リバプールの誇りとなるには、やはりいささかの時間を必要としたのである。 突然、別世界から現われて、ピート・ベストを解雇し、“ビートルズを奪った”エプスタインに対する評価が変わるのも、この「プリーズ・プリーズ・ミー」の成功から、しばらくしてからのことであった。 エプスタインは、ビートルズの他にジェリー&ペースメイカーズというグループのマネージャーも行うことになる。彼らは、それほど目立った存在ではなかったが、エプスタインは、彼らの雰囲気が気に入った。 リーダーのジェリー・マースデンは、元鉄道技師見習いという19歳の若者だった。彼らの何処に魅力を感じたのかは解らないが、エプスタインは、彼らにもビートルズ同様、スーツを着せるなどのドレスアップを行う。 ジェリーは、エプスタインと話していて、普通なら反論するだろうことにも素直に聴いている自分に気が付く。エプスタインは真剣だった。そして、いい曲を見分けるセンスが抜群であることも解る。 もともと、リバプールにいるロック・グループは、大人の言うことなど聞かないツッパリ野郎ばかりなのだが、エプスタインに掛かると素直にいうことをきいたのだった。 「彼を絞め殺そうと思ってオフィスに怒鳴り込んでも、納得のいくまで話し合い、最後には謝りながら出てきたものさ」(ジェリー・マースデン) エプスタインは、彼らのコンサートをジョージ・マーティンに聞かせる。ジョージ・マーティンは、すぐにレコーディングを考える。 ジェリー&ペースメイカーズは、「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」「アイ・ライク・イット」「ユール・ネバー・ウォーク・アローン」と立て続けにヒットチャートの1位になるという記録を残すことになる。 今や、エプスタインのマネージャーとしての能力が非凡なものであるのは、誰の目にも明らかだった。リバプールでは、次に彼が契約するのは誰かというのが話題となっていく。 |
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M O |