Episord 40 アメリカへ |
エプスタインは“アメリカ進出”について考えていた。イギリスで成功し、ヨーロッパでも人気を得たからには、そうした考えは当然のことだという風に思うかも知れないが、それは些か違う。 |
||
ところで、ビートルズにもアメリカの壁があった。かつて、トニー・シェリダンのバックバンドとして演奏したビートルズの売り込みで、ことごとく断られたあの時のように、アメリカもビートルズには関心を示さなかった。 大手のキャピトルは「プリーズ・プリーズ・ミー」を買おうとせず、仕方なしにマイナーレーベルから発売したのだった。しかも、契約条件は最低だった。次のヒット曲 「シー・ラブズ・ユー」は違うレーベルから出してみたが、やはり何の反応もなかった。今ではまったく信じられないことであるが、これは事実である。 エプスタインの寄り処は、ジョージ・マーティンの言葉だった。「ビートルズは実際にライブを見なければ、その良さが解らない」事実、ジョージ・マーティンは実際に彼らを見て、聴いて、レコーディングを決断したのだった。 エプスタインは、何としてもアメリカの人気テレビ番組に出ることだと考えていた。しかし、それにしたところで、ヒット曲が欲しい。 アメリカではシド・バーンスタインが、可能な限りの弁舌を尽くして、“イギリスを熱狂させたビートルズ”を売り込んでいた。「エド・サリバンショー」の番組プロデューサー達は、ついにこれを受け入れる。NEMSのエプスタインのオフィスに電話が掛かる。 不在だった彼の代わりに電話を受けたのが、あのピート・ショットンだったというわけである。ただし、この出演には金が掛かった。おまけにビートルズは、当時の彼らからすると極くわずかな小遣い銭でしかないような出演料でこの番組に出るのである。だが、エプスタインはそれだけのことをする価値があると考えた。とにかくビートルズを見てもらわなければ、聴いてもらわなければ。 1964年1月、ビートルズはパリに居た。オランピア劇場で3週間連続のコンサートが開始されていた。エプスタインにロンドンのオフィスから衝撃的な電報が届く。アメリカの音楽雑誌「キッシュボックス」で「I Want To Hold Your Hand(放題は「抱きしめたい」)」が1位になったと言うのである。 ビートルズは、アメリカを十分意識し、アメリカのゴスペルソングをイメージしてこの曲を作っていた。その目論見は見事に成功したわけである。第1週には80位台、2週目は40位台にいたこの曲は、3週目にしてついに全米第1位となったのである。 そして、それまで何の反応も無かった曲「She Loves You」が「抱きしめたい」を追うかのようにグングンとヒットチャート上昇し始めた。アルバム「Please Please Me」も、まさにトップになろうという勢いだった。近く「エド・サリバンショー」に彼らが出演するということが俄然、注目された。 728人の入場定員に対し、5万人の入場券希望が殺到した。アメリカでも、何かが始まろうとしていた。 |
||
39 41 |