- Diary - November 2014
適当な時に適当な事柄を思い付くままに適当に
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 2014,11.30 (日) 11月も早々と終わり
 早いもので11月ももう終わりですか...(^_^;) イタリア旅行から帰ったのが3日だから、約一月が経ったんですね。あっと言う間の12月突入で、あっと言う間に今年も終わります。
旅行から帰るなり仕事して、バタバタしている内にひと月経ってしまって、旅行の余韻にに浸る間もありませんでしたが、無職のヨメはずっと旅行の余韻に浸っていたそうです(笑) ま、言わば鯛の刺身を丸ごと食べて、それをあら炊き、そして骨になったのにお茶を掛けて啜るような(*≧д)ノシ彡☆ 骨の髄まで満喫するとは、こういう事ですなー(^_^;) なんと値打ちのあったことか(爆)
そこで旅行写真を本にしてみました。最近流行っているフォトブックってんですか、ネットで編集して注文すると約1週間足らずで製本にしてくれるというサービスです。私は今回、カメラのキタムラを使いました。サイズはA4サイズの見開きで60ページが6,700円。安いとは言えませんが、大きな写真
にも出来るので、あながち高いとも言えない価格です。注釈なんかも記載出来ますし、本になってるので人に見せるのにも雰囲気がいいですし、場所毎に整理しておくと解りやすいですしね(^▽^) 今回、撮った写真は全部で660枚(*゚Д゚) 厳選して350枚に絞りましたが、大変でした(;´Д`A


 2014,11.27 (木) ジョニー大倉死す
 ジョニー大倉が亡くなった...日本の本格派ロックの幕開け的バンド「キャロル」の代表的メンバーで、その役割は矢沢永吉と二分していました。リーゼントに皮ジャンというスタイルを提案したのも彼でした。エーチャンは最後までマッシュルームカットとスーツに拘ったそうですが、我々がリスペクトするビートルズのハンブルク時代はこうだったんだと説き伏せたのは有名なお話。ジョニーという名も彼がいかにジョン・レノンを慕っていたのかが解ります。
キャロル時代は主に作詞を担当し、メインボーカルの曲もありましたが、やはり矢沢永吉とは持ってる器が違い過ぎたんですね。エーチャンがキャロルを踏み台にしたと言うか脱ぎ捨てた感がずっとジョニーにはあったのでしょうね。ただ、それはそれぞれの立場での想いがあって、行き違いがあったのだと思いますが、ジョニーはその事を常々背負って生きて来たような感じを受けます。
ソロデビューし、俳優にもチャレンジし、一定の評価は受けたものの、それ以上は進めない...方や飛ぶ鳥落とす勢いでビッグに成っていくエーチャン...常々それを意識してたんでしょうが、何処かでオレはオレと吹っ切ったような処が見受けられましたね。元々精神的に不安定な面のある方で、言動、行動的にも不可解な部分のある人でしたが...(^_^;) でも、この人はとても正直な人だったんだと思います。聞いてる方が恥ずかしくなるような自己愛的発言を平気で言い、自分がどれほど素晴らしいかをアピールし、自分のスタイルを押し通し、自分の生きる場所を捜し続けた。それはスマートでなく、とても泥臭く混沌としたモノとして私には映りましたが、ようやくそういうモノからも解放されたように思います。
「ロックン・ローラー」という言葉、意味に於いてこの人ほど、この呼称がピッタリと来る人は居ないと思います。ある意味、矢沢永吉氏よりロックン・ローラーらしいかとも...ジョニー大倉氏のご冥福をお祈り致します。


 2014,11.26 (水) プール屋根の改修工事が始まりました
 夏頃にお話したプールの改修工事が始まりました。可動型のアーチ屋根のガラスの取り替え工事です。解体作業と足場組みの絡みを考えながらの綿密な作業計画です(^_^;) これって失敗すると命取りになると言うか、作業が後手後手になって遅れてしまいそうなんで心配しておりましたが...しっかりした施工会社が落札してくれたので(*´Д`)=3 ひと安心です。
随意契約で工事監理の仕事を頂き(ラッキー・笑)毎週火曜日に定例の打ち合わせに出席しております。現在は内外の足場が組み上がって、約半分のガラスを取り外したところです。
今年中にガラスの撤去と塗装のやり直しを完了させ、来年早々からガラスの搬入、取り付けを行って行きます。ただ、上から順番にガラスを入れては足場を外して行くため、1列ごとに確認の検査で屋根に登らなければならないんですが、何しろ1月〜2月に掛けてのコトなので、恐らく
うわっ(≧д≦)さっぶ〜!となるのは避けられないんでしょうが...これもお仕事...ガンバリます(;´Д`A


 2014,11.22 (土) 見えすぎちゃって困る
 ♪見えすぎちゃって困るのぉ〜♪見えすぎちゃって困るのぉ〜♪その昔、アンテナのCMでこんなのがありましたね。ネグリジェ姿の女性が雨に?濡れながらだったっけ?透けた下着で唄う姿に、当時小学生だった私は妙にドキドキしながら見ていたのを思い出します(*^_^*)
今から考えれば、凄いCMですよねー(笑)今ならどうなんだろ?セクハラCMだとか言ってクレーム囂々、ACに即刻告発でしょうかね^^だとしたら、悠長でいい時代だったってことですね。
で、何が見えすぎちゃって困ってるのかって?あー、私の下心...って、ちゃうがなヽ(`Д´)ノ わかった!頭頂部の地肌...って、それもちゃうやろ(笑)実はお袋の話なんですが、お袋も今年で82歳、お約束の白内障で手術となりました。夏の終わり頃から目が見えにくくなったとボヤくことボヤくこと(^_^;) これまで通っていた目医者によると、白内障ではあるが、まだ手術は必要ないとのことでした。
でも、完全にぼやけて見えて、少し離れると私の顔もハッキリ解らないと言います(*゚Д゚) そら、あかんやろ...ってんで、医者を変えたら、手術が必要と言われました。この眼科は入院することなく手術を受けられるのと、手術経験がかなり豊富な眼科だと言うのでそこで手術をすることとなりました。なりましたはいいんですが、何しろ人気の眼科ですから、待つこと一月半(*゚Д゚)
「かなんわー(´;ω;`)見えへんのんかなんわー 早よしてくれたらええのに...かなんわー」お袋のボヤキは日常の呪文のようになりました。で、やっと今月の4日に施術されたんですが...一日置いて眼帯を外したら...(@Д@) 見える、見える。なんと明るく綺麗なことか。一瞬の変わり様にお袋は唖然としたようでした。
すると明くる日から呪文が変わりました。「見えすぎてかなんわー」(爆〜)家の中のホコリや家具の汚れ、自分の顔のシワからシミ、今まで見えなくて幸せだったモノがハッキリくっきり見えるようになった今、それが気になって、気になってしょうがないらしい(爆)「こんな汚かったんかー かなんわー こんなんやったら、手術しいひん方がよかったわー(´;ω;`)」廊下のホコリや流し廻りを掃除し出したお袋にヨメも困惑(^_^;) 見えすぎるのも困るー(笑)


 2014,11.20 (木) 健さん死す
 寒暖の差が激しくなって、更に秋が深まったと申しましょうか、冬の訪れが間近に迫ったような昨今...如何お過ごしでしょうか?私はまだ鼻水に付き合わされております(´;ω;`)
昨日は高倉健さんがお亡くなりになったとの報道がありましたが...83才ですか。病気療養中の急死だったそうで、残念を語る後輩の俳優やファンの人達がたくさんおられました。映画一筋に生きて来られた俳優さん、また映画の主人公を地で行くようなストイックさは他に見当たらない方だと思います。バラエティには出演せず、CMなども自分がよしとする物でないと出ない。
たとえ、それが大会社でもなく縁もゆかりも無い企業であっても、その企業の持つ想いに感銘を受けて出演をOKしたという、想い、言葉、そして心を大切にする方だったと聞きます。逆に考えれば、それほど自分自身、いや俳優「高倉健」を大切にして来られたのだと思います。
植毛が経費で落ちると思ってたという元野球選手俳優氏が、競演した高倉健さんへの想いを語り「こんな急に知らない間に居なくなるなんて、なんて卑怯な人だ」と涙ぐんでましたが...この人、やっぱ付ける薬ありませんね(爆)
人間、潮時、引き際が肝心...生きている限り誰もが一度は通らなければならない、この上なく平等な死。個人的な意見で、とても失礼かとは思いますが、健さんの場合、これで良かったんだと思います。2年前に公開された最後の作品「あなたへ」で久々に健さんのお姿を拝見しましたが...やはり「老い」は隠せませんでした。いや、そういう年回りの役ではあったんですが、顔つきがどうも本当に爺さん化してしまってたのに限界を感じました。男気溢れて男が惚れる高倉健、常にストイックでカッコよくなければならない男...これ以降の醜態を晒さずにここで幕を引けたのが良かったように思いました。
83歳、まだやり残した事があったのか、どうなのか知る由もありませんが、先に逝ったお母さんと愛妻の江利チエミさん共々、手を取り合っておられるやも知れません。健さん、今までの長い間、色々と楽しませて頂きました、ごゆっくりお休み下さい。高倉健さんのご冥福をお祈り致します。


 2014,11.18 (火) 凝り風邪かもー
 旅行から戻って何事もなく、ただ、その反動のためか、ただただ忙しい毎日を過ごしておりました。強いて何も言うコトのない怠惰な?いや、素晴らしく穏和な日々を過ごしておりました...
が、ここに来て疲れ?が出たのでしょうか。季節の変わり目の所為なのか、旅行前の仕事の段取りと気疲れが災いしたのか、弱り目に祟り目(笑)極度の肩こりと風邪に見舞われました(≧д≦)
気が付けば、ハンパないくらいの肩こりで背中はパンパン(*゚Д゚) それにヨメの風邪を貰ったのか、咳が出て喉が真っ赤になってました。恐らく、今述べたような旅行までの色々な支度、そして旅行の緊張感や長時間の飛行機の疲れが一気に出たんじゃないかと思います。
さすがに堪らなくなって、先日の日曜日に近くのマッサージに行きました(^_^;) 整体師のお姉さん、体を触った途端言いました「よく、これでどうも無かったですね」(*゚Д゚)そんなですかい!背中はカメの甲羅、ふくらはぎと太股はワニ皮のようにパンパン!だったそうです。でしょうね、その前の日にサロンパス貼りまくってもらったんですがピクリともスーッともしませんでしたから...
あれからまだ2日ですけど、マッサージのお陰か、風邪も少しマシになり、鼻水とくしゃみは出るものの、喉の痛みはかなり無くなりました^^寒さにまだ慣れていないってのもあると思いますが、早くスッキリしたいものです。皆さんもお気を付け下さいましー。


 2014,11.15 (土) 寒くなりましたね...
 急に寒くなりましたね。木枯らし1号の到来ですか(^_^;) 私個人としては「冬慣らし」と呼んでます。あっと言う間に帰国後10日が過ぎました。今になると、想い出は鮮やかであるものの、何処か夢だったような気もします^^ で、イタリア旅行記の締めとして総括を書こうかなんて思ってます。ってな、偉そうに上手くまとめ切れないとは思いますが、今回の旅行で私が感じたこと、思ったことを書きたいと思います。
イタリア...正式名は「イタリア共和国」そう、元々は沢山あった類似国家が寄せ集まって出来た国家。だからその都市都市での文化の違いが解ります。イタリア人としての気性や言葉も違うのだろうけど、そこまでは解りません(笑)同じような大きさの日本だって、地域によって全く異なった文化を持ってるんですから、当たり前と言えば当たり前ですよね。イタリア人は、やはり古代から続いて来た高度な文化、またそれを守って来た事にに誇りを持っているように思います。しかし、意外とそれを強くアピールするような事は少ないようですが、各自が国民としてのキチンとした誇りを持っているよ
うに思います。これは、何だかんだと自国を嘆かわしく批判しながらも、心の中では文化的な奥ゆかしさ、民度の高さ、高い技術を持ち、仕事は勤勉で緻密であり、気配りには綿密である類似無き国民性、そのような国に生きる民族として陰ながら誇りを持っている日本人と通じるような気もします(笑)
良く言えば陽気で明るい民族...悪く言うと自己的でいい加減(^_^;) 仕事はちゃんとやってるですけど、他人や客の気持ちなんてお構いなし。店のレジやなんかで相当待たされるコトがあって、さすがにイライラしました。終業時間が来たらネジ締めが途中であってもスパナ放って帰るという国民性ですから(笑)でも、悪気は全く無いんですね(´艸`) いや、悪気が無いからこそ厄介なのかも知れません。それと、この国の福祉がどうなっているのか解りませんが、物乞いが結構目につきました。紙コップを持ち歩いて観光客に金をせびったり、路上に空き缶を置いて突っ伏したままの老婆、両足を膝上から無くした男性など。生活保護を受けられない処を見るとひょっとすると移民なのかも知れませんね。

移民と言えばあらゆる観光名所にジプシー(殆どが黒人)が居てまがい物のスカーフや日傘などを旅行客に売ったりして生計を立てています。それとスリがもの凄く多いと聞きます。それも単独ではなくて集団スリ(*゚Д゚) うまく声を掛けてはチームワークで財布を抜き取るんだそうです。後は観光地での声掛け商売。「写真撮りましょうか?」なんて以ての外!撮ってもらうと、カメラを形にお金を要求されるそうです。それも見た目でそれとは解らないんです。何処の教会だったか忘れましたが、気の良さそうなオバサンが声を掛けて来ました「ニホンノカタデスカ?」カメラを持っている風体は、如何にも観光客のようです「シャシントリマスカ?」カタコトの日本語でそう言いますが、それはオカシイでしょ(^_^;) こちらを日本人と確認して写真を撮ってあげようとする。本当は好意なのかも?知れませんが、ここは君子危うきに近寄らず、ご丁寧にお断りさせて頂きました。
そんなお国柄もあってか、ジプシー達が観光名所で売っている物に自分撮り用のアダプターというのがありました(笑) 伸びチジミする金属の指し棒のような形状で先にスマホをセット出来るようになってて、延ばせば1.2mくらいに伸びます。で、タイマーを押して伸ばすと、あーら、ちゃんと写真が撮れました(^▽^)というシロモノ。ま、そんな治安の宜しくない国ではありますが、凶悪な犯罪は少ないらしく、ひったくりはたまにあるものの、強奪なんてことはまず無いとのコトでした。スリ、置き引きがメインなんだそうで...ま、その昔「自転車泥棒」なんて映画もあったくらいの国ですからね。

あと、面白いと思ったのが落書き。アメリカに始まって、今や日本でも問題になってるスプレー落書きですが、イタリアも同じようなコトする馬鹿者が結構居るんですね。あちこちに例の落書きがしてあります。(-。-*) うーん、やれやれ...なんて思って見ていたら、あることに気付かされました。落書きされているのは、仮設の塀や店のシャッターなどが多くて、堅牢な古くからの石積みの教会、ホテルはおろか、アパートメントまで古い建物の壁に直接落書きしたものはありません(*゚Д゚) 新しめの建物などは書かれているのを見ましたが...加減が解ってると言うのか、解ってるならヤメロと言うか(笑)可笑しなヤツラです(笑)

最後に食ですが...ハッキリ言って大したコトはありません(^_^;) マズイ物はありませんが、それほど美味い物もありません。彼らは何でもレモンとオリーブオイル、バルサミコ酢で済ませてしまいます。意外に塩っ辛い料理が多いですね、リゾットなんかも結構辛かったです。それに比べて味の無いのが肉、魚料理(-。-*) 塩コショウなんて思い付かない国ですから、岩塩パラパラだけで肉を焼いてある。ソースも置いてないからバルサミコ酢なんかで騙し騙し食べる始末(≧д≦)
それにどんなレストランに行っても盛りつけがいい加減。まるで何処ぞの家庭料理みたいな感じで出て来ます。見た目なんて気にしない気にしない(爆) お前ら、金取っとんのやろが!ヽ(`Д´)ノなんて思う物の、それがイタリア料理なんだと思います。
これ食べると日本のイタリア料理なんて最高に美しいし、最高に美味いと思えます。何と言っても食のバリエーションが少な過ぎますよね...和食、洋食、中華、肉料理、鍋料理、寿司、お好み焼き、麺類(うどん、蕎麦、ラーメン)何でもござれ、何でも美味いという日本とは違います。出汁を基本とする我々日本人の食文化の高さをしみじみと感じました。ただ、彼らも日本に来て日本の料理を食べると、きっと美味い!と感心はするんだろうけど、「でも、やっぱりイタリア料理でなければネ」なんて言うに違いないと思います(^▽^)そんなイタリアですが、また行ってみたいですね。今は上辺だけしか見てませんけど、もっと色んな発見があるんだろうと思うとワクワクします。


 2014,11.11 (火) エピフォン・テキサン
 遡った日記を書いてたら、11月ももう10日過ぎ(*゚Д゚) あっちゅー間ですね。実は旅行に出掛ける数日前にギターを衝動買いしたんです(笑) オークション見てて、つい買ってしまったエピフォン・テキサン。
ポールが"Yesterday"を弾き語ったことで有名なテキサン。とは言ってもホンチャンものじゃないっすよ。あれは30万以上もする高嶺の花ですから、廉価版です^^ たぶん中国製かな?前から持ってるアコギ2台もエピフォン、エレキもエピフォン・カジノがあるからって、どんだけエピフォン好っきゃねん(笑)
ま、そういうコトもないんですけど、前から気になってたコトは確かで...今あるJ-45エリートを買う時に、このテキサンを買うかどうか一瞬迷ったんですけど、国産最上級モデルだからと「Elite」を買ったワケです。
ボディは全く同じサイズと同じ形のラウンド・ショルダーなんですが、ネックのスケールがJ-45の24.3/4に対し、テキサンの方は25.5というロングスケールになってます。スケールが長くなるというコトは弦のテンションが高く(張りが強くなる)なって高音から低音までクリアに出ると言われています。一瞬弾きにくそうに思えるんですが、このテキサンは弦高が低くて、意外に弾きやすいんですよ(*゚Д゚) ちょっと驚きました。
そこでエリートを引っ張り出して引き比べ大会(笑) エピフォン・エリート、定価13万円、方やエピフォン・テキサン定価6万円...比べるのは酷ですが、一通りチェックしてみましょう。まず重さが全然違います。さすがによく乾いた良い材料を厳選して作ったエリートは非常に軽いです。ま、テキサンはポリウレタンの塗料をドップリと塗ってあるので、薄いラッカー塗装のエリートより塗料だけでも重いのは確かですね(^_^;)
音の鳴りは、やはりボディの振動が違うのでエリートよりかなり引っ込んだような感じを受けますが、単にこのギターだけを聴いた場合にはジャキっとしたギブソン系らしい音だなと思われます。意外と低音域がよく出るような気がします。低音弦の音鳴りだったらエリートよりいいかも...ってんで「Rocky Raccoon」のギターをこいつで弾き直してみました。この曲、指弾きなんですが、ルート音(低音)がボーン、ボーンと強調されてるんですよね。エリートで緑った時、この部分が今ひとつ弱くて不満だったんです。ま、オリジナルはエピフォンじゃなくマーチンD28だから全然音質は違うんですけど、なんとか感じだけは出ましたかね(^_^;) あと、ボーカルをかなり歌い直してます。ホント難しいんですよね、この曲...最終的なYou Tube versionはもう少し掛かりそうです。


 2014,11.02 (日) 帰国の途
 飛行機の時刻が午後3時過ぎなので、朝はゆっくりです。なので朝から散歩がてら「ピンチョの丘」へ行きました。途中、予想通り迷って人に聞きましたが(笑)
小高い丘の上から見下ろすとポポロ広場が見え、向こうにサンピエトロ寺院が見えます。昨日見たサンタンジェロ城からの眺めから見ると北東に位置しているのが解ります。って、解らんか(笑)
楽しかった旅も今日で終わり...13時間掛けての帰国。座って眠れない私には辛い時間ですが、これ無しには帰れないのいで我慢するしかありません(^_^;)
初めてのヨーロッパで、短い期間ではありましたが、私なりに色んなことを発見したり、色んなことを感じました。イタリア人、いやラテン系民族に初めてコンプレックスを感じた反面、日本人に生まれて良かったなとか(爆)ヨーロッパ文化の素晴らしさも味わえた反面、日本文化の良い処も再認識出来ました。イタリア人の陽気でいい加減さも解りましたし(笑)日本人の几帳面で神経質な処も解りました(^_^;)イタリア料理のバリエーションの少なさやシンプル過ぎる味と言か、こういうのがイタリア料理だというのが解ったのと、反面、深い味わいのある日本の出汁の文化がどれほど素晴らしいかも良く解りました。
でも、ここはここで、とても素晴らしい処です。また訪れたい国ですね。次はナポリなど、ローマ以南の都市へ行ってみたいですね(^_^;) ま、何時になるのやら、二度と来れないのやら解りませんが..
そんな事をうつらうつらと考えていたら関空に着きました。日時は11月3日午前11時50分。リムジンバスに乗って1時間...同級生女子が停留所まで車で迎えに来てくれました。「お帰り〜〜無事帰れてよかったなー」ホント何事も無く帰れて良かったですね。でも、下駄を履くまで注意は必要...そんなこと考えながらスーツケースを車の座席に積み込んだ際、(*゚Д゚)!腰をやってしまいました(≧д≦) ここに来て、ここまで来てこれかい!明くる日から整形外科通いしてます(ノд≦。)。。


 2014,11.01 (土) ローマ最終日
 さぁ、いよいよ最終日。今日はローマで1日自由行動となってます。オプションでカプリ島へ「青の洞窟」を見に出掛けたペアもありますが、私たちは折角だからローマ市内を散策しようと...朝からローマの景色を一望出来るというサンタンジェロ城へ。よく解らないローマの地図片手に歩いて行きましたが、案の定間違えてポポロ広場に出てしまいました(笑) "地図の読めない男"みたいにお笑いでしょうが、ローマの道って方向が無茶苦茶で縦横無尽だからホント解りにくいんですよ。それに地図もいい加減だしね(^_^;) 他のペアもかなり迷ったそうです(笑)
間違えはしましたが、すぐさま方向転換してサンタンジェロ城に到着しました。この日は朝からマラソン大会があるらしく、大勢のイタリア人ランナーがお城の入り口前に集まってました。日本もそうですが、イタリアもジョギング、マラソンブームなんでしょうかね。この城は、ローマ帝国皇帝のひとりハドリアヌスが自らの霊廟として139年に完成させました。その後は要塞化して軍事施設として使用されはじめたそうです。結構な規模のお城です。
屋上に上がると360度ローマの街が見渡せます。何処も彼処も美しい建物で埋め尽くされた、如何にもヨーロッパらしい美しい景色です。ここに景色を眺めながらお茶出来るカフェがあると言うので行ってみました。カプチーノを頼んでテラスで味わってましたらウミネコ?みたいな鳥がやって来ました(*゚Д゚) どうやらエサのおねだりのようです。
次に行ったのがナボーナ広場。3つの噴水があって、ここも観光客で賑わっています。中央にある噴水は4つの大河(ナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川)を擬人化した彫像でバロック時代にジャン・ロレンツォ・ベルニーニによって造られたものなんだそうです。この習作のミニチュアがサンタンジェロ城に飾られていました。その広場の前にあった教会に入ってみましたが、ここらの教会って何処に入ってももの凄い造りですね、驚きます(@Д@)
流れで次に行ったのがパンテオン。元は紀元前25年に建てられたのが焼失して、今あるのが紀元128年に再建されたものだそうですが、それでも凄い(*゚Д゚) 中は一つの円形のお堂になっていて天井を見上げると丸い孔がポカンと開いてます。ま、孔っても直径4〜5mはありそうですけど...で、仕事がら閃いた。あれって開きっぱなしだから雨が降ったらどうなんだろ?と(笑) 絶対に排水が有るはずだと床を捜しまくったら、5カ所ありました。解らないように上手くデザインされていて殆ど気付きません。紀元前後にここまでの技術があっただなんて...つくづく感心しました。
お次はアルジェンティーナ神殿跡。ここはモロ遺跡なんですが、この中で野良ネコを飼っていると言うから驚きます(笑)ネコ好きのヨメですから、行くのは当然(^_^;) 遠くてあまり見えませんでしたが、10数匹は確認しました。ここで昼食タイム(^▽^) そこらの店でホットドッグ買って、このニャンコの遺跡に腰掛けて食べました。
食事が終わって次は、かつてイエズス会の本拠地だったジェズ教会。イエズス会と言えば?そう、フランシスコ・ザビエル。ここの教会にはザビエルの右手が奉られてると聞いて、怖いモノ見たさで入場(笑)中ではミサが執り行われていて、祭壇の前で神父さんが聖書片手に説法をしているようです。参加者は50人くらいでしょうか...お祈りをしている処を写真に撮るのはタブーで、してはいけない事だと聞いてたので終わるのを待つことに(^_^;) 少しして人々が中央の通路に集まり、ゾロゾロと前に歩き出しました(^▽^)おお、終わったんだな、さてザビエルの右手は祭壇にでもあるのかと前に進む信者の人々の後ろについて行きました。
段々と進んで行くうち、これはおかしい(*゚Д゚)と気付きました。前に立つ神父さんの前に一端ひざまずき、立ち上がって神父さんに何か口に入れてもらっているようです。(*゚Д゚)あれは聖水!このままだと洗礼を受けることになります。これはヤバイと思いましたが、戻るに戻れず、すかさず教会の椅子に腰掛けました。すると信者の人達が再び席に着き、またもやミサが始まりました(笑)
立つに立てず、戻るに戻れなくなりました(^_^;) ひゃ〜どーしよ...ヨメと顔を見合わせましたが、どうにも出来ず手を組み合わせて祈る振りを(爆)その後10分程でミサは終わり、解放さてやれやれ..(*´Д`)=3 ヨメはこの出来事がとてもおかしかったらしく、私があのまま神父さんの前でひざまづき、口を開けて聖水を放り込まれていたと想像しただけで笑いが止まらなくなったんだそうで、笑ったらいけないと椅子に座ってる間、堪えるのに必死だったそうです。
次に向かおうとしたのが古代ローマ時代の遺跡「フォロ・ロマーノ」昨日の夕方、上の道路から見たあの場所です。地図を片手に歩きますが、どうもよく解りません。迷いながら入り口があると書いてある処に行くと閉鎖されていたりで焦りました(^_^;) 閉園1時間前の3時半にギリギリ間に合いました。屋上庭園に人が登っていたのが見えたのでそこへ行こうと、その入り口を捜すもなかなか解りません。必死の思いで歩きましたが、途中の庭園までしか行きつけなかったようです。
しかし、何度も言うようですが凄いですよ。古代ローマの国家の政治・経済の中心地で紀元前6世紀頃からあったそうで、西ローマ帝国の滅亡と共に埋もれていたのを19世紀に発掘したそうです。閉園は4時半..どうせイタリア時間なんだろう^^なんてナメてたら、管理人のオ
ジサンが笛をピッピ鳴らし、指さして帰れと言う。まるで羊追いの犬のようです(笑) 観光客は履かれるかのように出口に寄せられて行きます。オジサン手慣れたもんですね(^_^;) 朝から歩きっぱなしで、さすがに疲れたのでタクシーで帰りました。途中でスーパーに寄ってお買いモノ^^ お菓子やチョコレートは何と言ってもスーパーがお買い得です。
夜は地下鉄に乗って2駅先のレストランに行きましたが、壮絶なまでの満員電車に驚きました。日本の通勤ラッシュより凄いと言ってた人もいました(^_^;) スリが横行するハズです。ムール貝のケチャップソース煮やスズキの塩竃などを頼みましたが、薄味、大味でイマイチでしたね(>_<) 明日は帰国です。


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