最後にビートルズに加入した"遅れて来たビートル"とも称されるリンゴ・スター。その交代劇の真実を知る者は、 今やポールだけ。ここに来て彼の存在を自分なりに考えてみたいと常々思っていました。 Episord 1 |
ジョン>ポール>ジョージ>リンゴ 自ずとこういう順序で並べられるビートルズ。その昔、私が若かりし頃、リンゴの存在は「刺身のツマ」のようなものだった。他の3人より背が低く、一段劣るルックス...歌も上手くはないし、作曲さえままならない。 ユニークなキャラは嫌いではないが、他の誰かでも良かったのではないかとさえ思えた。 映画でリンゴを前面に出すのは「判官贔屓」かはたまた他の3人や周りの気遣いなのかとも思った。アメリカでは確かにそういう判官贔屓な風潮があって「リンゴってイギリスじゃあ一番人気が無いのか、だったらアメリカじゃ応援してやろうじゃないか」みたいな事になって、一時は大統領候補に!などという運動まで巻き起こったと言うのだから笑ってしまう。 そんなリンゴに対する私なりの評価、思いがこの宅録を始め、色々な文献などを読むに連れ大きく変わったことは確かで、一度きちんとした形で書き留めておきたいと思っていた。 ビートルズの成功は、リンゴ無くして語れない。ビートルズの中の潤滑油...バンドの誰とも仲良く、決して出しゃばらない。いつも控えめではあるが、他の三人の個性をそしてビートルズの音楽自体を更に良いモノに押し上げるドラミングは、彼の天賦の才と性格によるものだったのだろう。色々なエピソードを交えて、彼の人となり、そして私の彼への思いや推測などを綴って行きたいと思う。【文章内には文献からの引用文もあり】 |
リンゴ・スター 本名:リチャード・スターキーは1940年7月7日、リバプールはディングル地区というリバプールの中でも最も治安の悪い場所に生まれた。3歳の時に両親が離婚するなど家庭環境に恵まれず、生まれつき虚弱体質でもあったリンゴは、小学校に入ってから盲腸炎で入院。それをこじらせて腹膜炎を併発し、児童病院で手術を受けた。回復は早かったのだが、隣のベットの少年にバースデーカードを見せようとしてベットから転落。手術の傷口が開くなどして 結局、1年以上を病院で過ごすこととなる。 退院して復学しても、授業について行けずにズル休みの常習犯となり、リンゴは「ラザラス(文盲)」とあだ名を付けられるほどの勉強の出来ない子供になってしまったのである。11歳の時に皆が受ける中等教育のための共通診断テスト「イレブン・プラス」を受けることさえ出来ず、落第生達と一緒にディングル・セカンダリー・スクールに送られた。その後、13歳の頃に肋膜炎で1年間入院しているが、もはや学校の誰からも相手にされなくなった。この時に医者からドラムを教えてもらったと言われている。ドラムとは言っても単なる小太鼓(スネアドラム)だったようだが。 その後リンゴは若年者を対象とした職業紹介所で斡旋されたリヴァーサイド技術学校に学籍を置きながら、英国鉄道のメッセンジャー・ボーイとして働くことになるが、職場の健康診断に引っ掛かってしまい、5週間ほどで英国鉄道を解雇されてしまう。次に勤めることになった遊覧船内にあるバーのボーイの仕事は、酔っぱらってボスに文を言ったと因縁を付けられて2ヶ月で辞めさせられている。 やっとまともに職に就くことが出来たのはその後で、これは母の再婚相手が紹介してくれた体育館やプールの設備を設置する会社だった。義父のコネでここに就職出来るようになったリンゴは機械工見習いとして働いた。リンゴが本格的にドラムを始めたのは、1957年の17歳の頃だった。職場の仲間とスキッフルバンドを組もうという話が出た時にリンゴが手を上げたのがドラムだった。母の再婚相手のハリー・グレイブスは義父である引け目からか、常にリンゴの顔色を窺うような処があったが、このバンド結成という話を聞いた彼は、すぐさまリンゴのためにドラムを知人から譲り受けて来たと言う。 ただそのドラムはマーチングバンド用のものであり、必ずしもリンゴを納得させる物ではなかったそうだが、ともあれ"エディ・クレイトン・スキッフル・グループ"と名付けられたバンドが結成され、リンゴは音楽活動の一歩を踏み出すのである。 そして間もなく祖父から100ポンドを借りて新品のドラムセットを買い、リンゴは仕事そっちのけでドラムに没頭して行くようになる。そして数々のグループに在籍して腕を磨き、工場で働きながらダンス・パーティーなどでドラムを叩くというセミ・プロ生活を送っていたリンゴは、1959年にロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズに加入する。 ロリー・ストーム&ハリケーンズは、当時ビートルズよりも名が知られる存在だった。“リンゴ・スター”という芸名はハリケーンズ時代に付けられたもので、指輪をたくさん嵌めていたこと“Rings”に由来する。最初はリングスと呼ばれていたこともあったが、その内、リンゴ・スターキーとしたのを、呼びにくいからとスターキーも半分にして「リンゴ・スター」とした。 このハリケーンズ時代には既に結構な収入を得ていて、中古とは言え当時のイギリスの若者には決して持てない自動車を、それも大衆車ではなくて中産階級が乗るフォード・ゾディアックを乗り回すプロのドラマーだったのである。 |
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