最後にビートルズに加入した"遅れて来たビートルズ"とも称されるリンゴ・スター。その交代劇の真実を知る者は、 今やポールだけ。ここに来て彼の存在を自分なりに考えてみたいと常々思っていました。 Episord 6 |
ビートルズのドラミングは、ジョン・ポール・ジョージ、そしてリンゴ自身のボーカルを食うことなく、それでいてギターやベースに負けないくらいのオリジナリティと存在感を示すと言う絶妙さが求められていたのである。これは主役でも脇役でもないという、実に難しいポジションなのだが、リンゴはこの難しい大役を見事にこなし、唯一無二の最高のドラマーとなったのだ。 ジョンは後にビートルズ独特のサウンドについて「ビートライズする」という言葉を使ったが、「ビートライズ」つまり、ビートルズのサウンドを完成させたのは、リンゴとジョージ・マーティンに他ならないという事だ。先に「Love Me Do」の完成度について苦言したが、それはリンゴとマーティンが力を発揮していないから、つまりビートライズ出来てなかったからと言うことだ。だから、ビートルズ解散後のジョン、ポール、ジョージのソロ作品がイマイチ物足りないのも然り。唯一、ジョンのソロ第一弾の「ジョンの魂」が高い評価を受けているのは、あのアルバムでドラムを叩いているのが、誰あろうリンゴだからである。 |
リンゴのドラミングの先進性についてもあまり語られる事は少ない。初期のイエイエサウンドに於けるシンバルの多用は、それ以前にはあまり聞かれなかった物だし、「抱きしめたい」の弾むようなドラミングは気持ちよくて画期的である。一方で「涙の乗車券」や「Rain」などは、発表当時あれほどヘビーなドラムサウンドは無かっただろうと言える。また、同世代のドラマーと比べて、リンゴのドラミングには抑揚がある。 ヘビーなドラムサウンドを軸に、一時ビートルズのライバルと言われたディヴ・クラーク5だが、クラークのドラムと言うのは、常に弾みっぱなしで全く抑揚に欠け単調であった。これが理由でかトッテナム・サウンドはマンネリ化し、1966年になると全く流行から取り残されてしまった。一方のビートルズは、1966年6月にアルバム「Revolver」を発表する。「Tomorrow Never Knows」「She Said She Said」などの独創的なドラミングは、まるでドラムが唄うかのようで圧巻である。 「唄うドラム」ポールのベースは「唄うベース」として有名だが、このリンゴのドラムも実は唄うのである。ここにリンゴ天才たる逸話があるので紹介する。 「練習ってのが、僕はどうしても出来なかった。ドラムセットの前に座っても2分もすると飽きちゃってね」これは本当の話だ。ジョージのギターテクニックを疑問視する輩は少なくないが、ジョージのテクニックは血の滲むような練習の賜物であることを知る者は少ない。ポールにしても努力型の人間で、スチュに代わってベース担当になってからは指にタコが出来るほど練習に練習を重ねたと言われている。ポールはベースを弾きながらボーカルを取らねばならなかったからだ。 一方、ジョンはリンゴと同じく、直感的才能型で、大してギターの練習はしてないように思われる。リズムギタリストとして類い希なる才能を持ってはいたが、自分のギターテクニックには終生コンプレックスを抱いていたと言われる。 そう考えると、大して練習もせずに、ポールと同じくらいのレベルで終始演奏が安定していたリンゴは、やはり特筆すべき才能であったのだ。ジョンに多大な影響を与えたミュージシャンは、チャックベリーやロイ・オービソン。ポールはリトル・リチャードやエルヴィスから歌唱を学んだ。ジョージはチェット・アトキンスのギターサウンド、テクニックをとことん学んだ。 しかし、リンゴに影響を与えたミュージシャンやドラマーは一人も居ない。リンゴは誰の真似もしなかったし、誰の教えも乞わなかったのだ。目指すべきミュージシャンが居ないので、自ら主体性を持ってドラムを練習することがなかったのだろう。というより、ビートルズ登場以前は、ジャズはともかくとして、ロックやポップスの分野で誰もが知っているような有名なドラマーなど居なかったのだ。 ドラムなど所詮、リズム楽器に過ぎず、ボーカルやギターに比してその地位は低かったのか、当時は殆どの楽曲でスタジオ・ミュージシャンが使われていたのだ。要するにリンゴのドラミングは誰に影響されるでなく、自らの内から生み出されたものなのだ。唯一無二のそれは、芸術的で絵画や彫刻に通じると思う。 |
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