- Diary - October 2017
適当な時に適当な事柄を思い付くままに適当に
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 2017.10.28 (土) 帰国
 始めてのスペイン旅行...3年前のイタリアから二度目のヨーロッパ。同じラテン民族とはいえ、イタリア人とは気質がちょっと違いましたね。広大な国土と風土、大きく4つの民族から成り立つ国家ということで明るい国ながら、どこか暗さを感じました。我々日本人は単一民族であり、異国からの侵略などに遭っていません。そして宗教信仰はあれど、神も仏も何でも崇める外国の人から言うととんでもない宗教観(笑)
昔、ジョン・レノンが"イマジン"で「想像してごらん 国なんて無いんだと。そんなに難しくないだろう?殺す理由も死ぬ理由も無く そして宗教も無い」と書きました。まさしくその通りで、我々日本人のように相手の宗教、神を認めてあげれば簡単なコト...なんて安直なコトを思っていましたが、今回のスペインという国の生い立ちを聞くに宗教闘争の根深さ、怨恨、怨念を知ることとなり、得も言えぬ恐ろしさを感じました。
宗教の違う異民族から侵略され、追いやられた国民が数百年掛けて国を奪い返す。言葉にするとあまりに軽いですが、そのいずれにも大変な闘争や殺戮が繰り返され、血で血を洗う国盗り合戦が繰り返されたのです。お互いの立場から言えば、そのような相手を認め許すワケには...いかないですよね(-。-*)

旅行の最後にバルセロナ独立運動のデモもありました。スペインという国は4つの民族で成り立っていると言いましたが、日本に喩えて簡単に言うと、北海道にロシア人、本州に日本人、四国に韓国人、九州に中国人が住んで政治経済を分かち合っているという感じだそうです。習慣、言語も違う民族がひっくるめてスペインとなっているのですから、経済発展しているバルセロナの気持ちも分からなくはありません。
広大な土地を持った農業国スペイン。国土の殆どがオリーブと葡萄畑。イタリアと共に世界の60%のオリーブオイルを産出する国。国民の仕事においてのサービスという考えは殆ど無く、自分の楽しみの為に働いて金を稼いでいるという雰囲気がありありで(^_^;) 愛想は良くない国民性でしたね。特に大きな店や雇われ店員などはホント無愛想なのが多かったように思います。ま、いい加減と言えばそれまででしょうが、悪気もなく悠長であると言えばそう思えなくもありません(笑) 色々アクシデントもありましたが、楽しい旅行を無事終えられてホッとしています。9年後にサグラダファミリアが完成した暁には是非とももう一度スペインへ足を運びたいと思っております。生きていれば...(笑)


 2017.10.27 (金) 帰国の途
 早い朝食を済ませたらバスに乗って空港へ向かいます。何だか本当にあっと言う間に終わってしまいました(^_^;) そう感じているのは私よりヨメの方かも知れませんね。「あー帰ったらご飯作らんなん」(笑)
来た時と同じく、アムステルダム空港で乗り継ぎです。バルセロナ空港の免税店で買い足りないお土産やワイン買って時間つぶし。今回は何も無く無事に出国手続きが済んで(*´Д`)=3 やれやれ(笑)
2時間ちょいのフライトでアムステルダムに着いて、関空行きの便に乗り換え、ここから11時間。明くる土曜日の朝9時前後に着くとは言うけれど、全く眠れる様子がない(^_^;) うつつとしたら後ろで赤ん坊が泣くし、諦めて一睡もしませんでした。3回の機内食は堪えますよー(≧д≦)気持ち悪い。まぁ、辛抱、辛抱、無事にさえ着いてくれれば...(^▽^)
 関空に着いたのが日本時間の午前9時10分。つかの間のツアーでしたが、お知り合いになったツアーメンバーさんに御礼とお別れのご挨拶。今回、ツアーメンバーさんに恵まれて良かったです。気むずかしい人やウルサイ人がいると楽しさも半減しますが、皆さん協力的で明るくて良い人ばかり(ま、ツアーだからでしょう・笑)で助かりました(^▽^) 
関空バスに乗って奈良まで行き、JRに乗って家に着いたら正午過ぎでした(;´Д`A お昼は久し振りのラーメン(笑)あぁ、日本がいい(爆)その後は眠気との闘い。絶対寝ないように夜まで頑張りました。その甲斐あって時差ボケは無し!(*´Д`)=3 あーやれやれ


 2017.10.26 (木) バルセロナ 最終日 Vol-2
 カサ・ミラの見学を終えてグエル邸を目差します。デモのあるカタルーニャ広場まで恐る恐る徒歩で戻りましたが、周りがあまりにも平穏で肩透かし食らうほど(笑)国旗をマントにした学生がチラホラ見受けられるだけで、何処にも騒ぎなど見られません。さっきのサンジュセップ市場まで戻って、そこからタクシーでグエル邸へ。門前で並んでたので、並ぶとチケットを買いなさいと...(*゚Д゚) ここの国ではチケット売り場は殆ど別の場所にあります。で、隣のビルの券売り場で12ユーロ(1,650円)
大人しめの外観からは想像も付かないくらいの豪華絢爛な内装!それはそれはもう贅の極致!床、壁、天井とありとあらゆる部分が緻密に細かくデザインされていて、部屋が変わろうとも同じデザインが全く無いという凄まじい世界観。もの凄いです...もの凄いという言葉しか出て来ませんでした。サグラダファミリアやグエル公園は公共建築。カサ・ミラ、カサ・バトリョは大金持ちの家とは言え、このグエルの比ではありません。
グエルがガウディに惚れ込み、その莫大な財力によってガウディの理想とするデザインをさせた。それは設計士冥利、建築家冥利に尽きただろうと思います。石は腐るほどある石文化のスペインに於いて樹木、木材は大変貴重で高価な材料です。それを惜しげもなく使った内装はそれは素晴らしいものでした。
同業の者にとってこの建物はもう溜息モノ以外の何者でもありません。ただ、それは嗜好がついて廻りますが、嗜好云々を度外視してもこの建物の迫力は有無言わせないものがあります。サグラダファミリア、カサ・バトリョ、カサ・ミラと見学して来ましたが、このグエル邸に一番感銘を受けました。やはり、パトロンその人が住まう家ですから、半端ではありません。ガウディもそれこそ沢山の計画図を描いてグエル伯爵とディスカッションしたことでしょう。そのような光景が目に映るような気がしました。
この建物はガウディにとっての初期作品と言われていますが、屋上の排気筒は既に例の装飾が施されていました。まずもってこのようなパトロンに出会うことは私には無いでしょうけど、こうして自分の思うままに建物をデザイン出来たガウディを羨ましいというより、何やら嬉しい気持ちになりました。本当にここに来て良かったなと...^^
グエル邸から5分ほど海側へ進むと港が見えて来ます。そこにはコロンブスの塔と言う塔があって展望台に上がれるとのこと。係員込みで3人しか乗れないというメッチャ狭いエレベーターに乗って展望台へ。(≧д≦)メッチャ怖い!(笑) 人がすれ違い出来ないような展望台。グルリと一周するには10秒掛からないというくらいの小さな展望台。
写真撮って5分も居たら充分と言うか、気持ち悪くて居りたくなって即エレベーター呼んで降りました(笑) 今夜はスペイン最後の晩餐(≧▽≦) 美味しいと評判のレストランで本場のパエリアを食べるとのこと。郊外の海沿いのレストランでパエリア頂きました。日本で食べるパエリアは米がパサパサですが、こちらのはシットリしていてホント美味しいです。大概な量でしたが、ヨメが残した分まで頂きました(≧▽≦)ぷはー
さーて、いよいよ明日は帰国ですか...あっと言う間だったな。


 2017.10.26 (木) バルセロナ 最終日 Vol-1
ようやくやって来たなと実感したグエル・パルク。その昔、ここなどをモティーフにした住宅建築を任されて、見たコトも無いモノを見て来たかのように造ってたあの時代...当時26歳だったから、もう30数年前もの話になる(笑) ただ漠然と、いつかスペインに行ってみたいと思っていたのが現実となって、その現実を案内されるほどに「あぁ、こういうアプローチになっていたのか」とか「こういう感じにタイルを張っていたのか...自分達がやっていたコトと同じだな」とか、その他とんでもない事実などに驚愕したり(^_^;)
やはり感慨深いものがありました。とうとう来たんだ...みたいなね(笑) 何ともない広場ですけど、巧妙なテラスベンチの造り。こんな固いベンチにも人間工学を盛り込み、裸にした作業員を何度も座らせて背骨との納まりを検討したというデザイン。さすがタダモノではありません(^_^;) 上部テラスを支える柱廊柱列ホールも素晴らしい。ガウディの発想も素晴らしいけれど、これを造らせたグエル伯爵の度量も凄いモノがあると思います。
グエル公園を一通り巡って、次に向かったのはサンパウ病院。銀行家パウ・ジルの寄付で1401年からバルセロナ市内にあった6つの病院を統合し、1902年〜1930年に渡って建設された大病院です。病院と言いながらも、ここは世界遺産に指定された建物で、今は病院機能は一部にしか無いが内部公開されています。これも外見だけですが、中に入ると時間が掛かりそう(^_^;)
ここからカタルーニャ広場の先に戻って(この日はカタルーニャ広場で独立運動の学生デモがあると聞いていたので、そこでの乗り降りを避けた)ランブラス通り(以前、テロがあった通り)を歩いてサンジュセップ市場へ。ここは殆どが観光客相手の市場と聞きましたが、肉屋、魚屋、八百屋、果物屋、その他色々な店が建ち並んでます。至る処がカラフルに彩られて、見ているだけでも楽しくなってきます(^▽^)午前中はここで解散、あとは自由行動となります。
自由行動は昨日外見だけだったカサ・ミラに入場するのと、ガウディのパトロンだったグエル伯爵の自邸へ行く予定。タクシーに乗ってカサ・ミラ近くにあるレストランへ行って昼食。メニューを見ても全く分からず、ここでもピンチョのお世話に(^_^;) いやあ、変なモノ頼んでドッサリ出て来たりしてはいけませんしね。でも、やっぱピンチョはハズレなしで美味い!(≧▽≦)
お腹も満たされたのでカサ・ミラに行きました。入場料なんと20ユーロ、約3000円ですと!(*゚Д゚)たっかー!まぁ、ぼったくりですね。いくら維持費が掛かるったってこれはない。ま、そんなコト言ったところで始まらないし、さっそく上がってみます。
ここは元はアパートメントなんですね。今はオフィスになっていて部分的に公開されているようです。もちろん有名な屋上にも上がれます。兵隊の甲冑などをモチーフにした排気筒や煙突が立ち並ぶさまは、やはり嫌がおうにもガウディを感じます。


 2017.10.25 (水) バルセロナ
 「いざバルセロナへ!」いよいよ個人的な本題である場所、バルセロナへの移動です。ここは距離と時間を稼ぐのに飛行機を使います。
グラナナ空港は滑走路が1本しかない小さな地方空港です。そんな地方空港でスペイン国内ですが、手荷物検査、パスポート確認があります。「ここの係員は気分で検査しますからねぇ...」とツアーガイド。ふーん、いい加減なヤツらだなと思ってたら足止め食らいました(*゚Д゚)
手荷物検査で何か支障があったのか、女性監視官がスペイン語で何やら言いながら私のバッグの中に検査器を突っ込みます。先に検知用のペーパー付けて。(麻薬検知用なのか?)それを剥がして機械に突っ込む。両手の平を上に上げて┐(´〜`;)┌ オイ、どうやて?!何やねんそれ?で、もう一度同じ検査をやるも、恐らく結果は同じなんだろう┐(´〜`;)┌  ヾ(*`Д´*)ノ当たり前じゃ!こちとら何も持っとらんわ!日本語でまくしてやりました(笑)ら、デカイ監視官の男性が出て来て、荷物を持ってついて来いと言う(^_^;)
空港の中の別室に案内されて、再度手荷物の中を調べられます。しかし、怪しいモノなど出るはずもありません。空港のロビーで心配そうに見守るヨメ(^_^;) ここで少し待てと言ってパスポート持って更に中に入って行く男性監視官。奧でキーを叩く音がカチャカチャ...調書か報告書作ってんでしょうね。少ししてようやく開放〜(*´Д`)=3 ガイドに聞くと、たまにこうやって仕事する振りをするそうです(*゚Д゚)そのデスチャーの生け贄になったのかも...ヾ(*`Д´*)ノそう聞くと余計に腹立つ!
気を取り直してひとっ飛び。1時間ちょいでバルセロナに到着しました。市場見学のあとレストランでバル体験。名物ピンチョの中から好きな5個をチョイス(^▽^)うーん、さすがに美味しかったですね。食事が済んだら市内観光で、まずはカタルーニャ音楽堂。これはガウディの師匠の作品。威風堂々とした中にも繊細な装飾がなされていて、ガウディが受けた影響が部分的に確認出来ます。ただし、今回は外から見るだけ〜(^_^;) 見たい人は明日の自由行動の際にということです。
 お次は言わずと知れたバルセロナの代名詞サグラダファミリア。何度も写真でお目に掛かってはいますが、今更ながらその規模には驚かされます。建築そのものとそれに纏わる装飾や彫刻も溜息が出るほど素晴らしいですが、計算されつくした内部のデザインコンセプトが素晴らしい!
自然光の向きによって教会内部の趣きや色彩が変わるように考えられています。だから片面は赤、黄などの暖色系、反対の面は寒色系のステンドグラスで飾られています。内部は柱で木立を表現し、あくまで自然との対峙というコンセプトを貫いています。工事用エレベーターで上に上れるとの事で上がりましたが、何しろ工事中(笑)下界はちょっとした片隅からの眺めだけ。しかしながら、教会から下界を見下ろすのは本来神のみに許されること(^_^;) 完成すればあり得ない事になるんですね。
この工事の関係者によると完成まであと9年だとか...ガウディ没後100周年の2026年に間に合わせるとのこと。莫大な拝観収入と新開発された3Dプリンターによる石材加工のスピード化による予想なんですが、実際の工事の作業状況を見て参りましたが(^_^;) こりゃあ日本の一流ゼネコンがやったとしても、とても9年では出来ないと思いましたね。現在出来上がっているのは全体の40%程度に過ぎません。あと20年で出来ればいいところじゃないかと専門職ながら思いました。もし、9年で完成したのであれば、生きていれば是非とも見に来たいと思ってます(笑) 上がったのはいいが、降りるのは階段です。途中から名物「貝殻の螺旋階段」です。狭い階段ですが、中央が何も無くて落ちたら下までストン!で即死(*゚Д゚)世界一めっちゃ怖い螺旋階段です(笑)
 サグラダファミリアの内外、ガウディが作った学校などを自由散策して、お次は同じくガウディが設計したカサ・バトリョへ。これは元は平坦な普通の建物だったそうです。この建主が後から建った隣の宝石商の住宅に嫉妬して、それに負けないような建物に改築してくれとガウディに依頼したそうです。
元のファサードの柱梁だけを残して壁を撤去して、そこから先(前面へ)にベランダやバルコニーを持ち出して付け加えられています。コンセプトは竜の神話、カタルーニャの守護聖人サン・ジョルディの竜退治の伝説から来ているのでは?という説があるようです。ファサードの柱が骨を連想させ、バルコニーが犠牲になった人のガイコツだとか(^_^;) そう言えば屋上の屋根は竜の背にも見えます。
まぁ、これでもかというくらい直線部分はありません。徹底的に曲線のみを使った面構成となっていて感心するばかりです。30数年前このような建築の施工に携わったこともあって、ホンモノを手でなぞれるのは何とも感慨深いものがありました。あとは近くにあるカサ・ミラに行きましたが、今日は外見だけ。明日の自由行動の際に入る予定です。


 2017.10.24 (火) グラナダ
 グラナダのアルハンブラ宮殿はスペインで最も訪問者の多い世界遺産と言われていて、1万4000uもの広大な敷地に宮殿や城塞、庭を構えてます。庭に入るのはどうってないのですが、宮殿に入れるチケットを入手するのがかなり困難なようです。
この宮殿は711年にイスラム教徒のスペイン侵略が始まると、コルドバを首都としてイベリア半島全域がイスラム圏の勢力下となり、ナスル朝のモハメド1世の時代に着工し、14世紀に完成したイスラム建築の最高傑作と言われてます。しかし、キリスト教徒による国土回復運動によって15世紀にグラナダ王国が奪還すると、イベリア半島におけるイスラム王朝の歴史は幕を閉じました。イスラム最後の王朝の栄華と哀愁が伴う壮大な歴史遺産です。
 まずは広大な庭園から案内されました(^_^;) ここは夏期になると40℃を簡単に超えるくらい暑いそうで、日陰を作る為に植樹、庭造りがなされているそうです。湿度が極端に低いため、日陰にさえ入れば涼しいのです。この日も秋というのに直射日光はジリジリと熱くて汗ばむくらいでしたが、木陰では少し肌寒いくらいに感じました。
広大な庭を一通り案内されて宮殿入りとなりました。何と入場者は私達のツアー20人とアメリカから来たツアーが20数名だけ(*゚Д゚) 現地のツアーガイドもこんなガラガラの宮殿を始めて見たと驚いてました。普通はすし詰めの状態で見学もままならないのが常だそうで、あなた達は本当にラッキーだと言ってました(^▽^)
宮殿内部は当時の栄華を表現するに余りあるほど、それはそれは豪華な造りで当時のモハメド1世の権力を誇示しています。宮殿内はいくつもの間や中庭で繋がれていて早くて2時間半、少しゆっくり廻ると4時間掛かると言われてます。それほどの規模で、真剣に見るのなら丸一日は掛かるかも知れません(^_^;)
左上の画像がコマレス宮と言われる王の公的な住居にあるアレヤネスの中庭です。この四角い池は用水の池なんだそうで、宮殿の建物を水面に映す技法が取られてますが、これを元に設計したのがインドのタージ・マ・ハルだそうです(納得)
右上はライオンの中庭と言われる場所で、これも普段はこんな近くに近寄れないとのこと。よほど特別なんだなと感心(笑)これはコーランに書かれた天国をイメージして造られた庭園だそうで、現在は石敷きになってますが当時は草花が植えられていたそうです。ナスル朝の外交の場として使用されてましたが、ここは王以外の男性が入れないハーレムだったそうです(*´ェ`*)いーなー
この日は白い村ミハスに始まり、ここアルハンブラ宮殿で立ちっぱなしの歩きっぱなしで大いに疲れました(≧д≦) ツアーのみんなもクタクタ(笑)足が棒になりましたが、ホテルで夕食を摂って明日からのバルセロナに備えます。


 2017.10.24 (火) ミハス
 朝食を終えてバスで白い村ミハスへ。
ミハス山麓に広がる小さなこの村の歴史は古く、ファエニア人によって銀や錫の採掘が行われ、鉱山が出来たことに始まりますが、今ではもっぱら観光のみで成り立っている村だそうです。海抜420mのこの街からは地中海をバックに広がる白い街並みを一望できる素晴らしいロケーションです。
路地の両側には真っ白な壁の家並みが立ち並び、青空と対比するが如く美しい純白を晒します。昔の交通手段だったロバタクシーが、ここ最近再現されて乗る事が出来ます。単独で乗るのは10ユーロ、2人用馬車なら15ユーロとなってますが、ロバに跨って乗るなんざ、滅多に体験できるものではないと言う事で、年始のシンガポールでのセグウェーばりに乗ってみることにしました(^▽^) 最初、階段を使ってロバに跨がせてくれるんですが、ヨメ乗るなり「あかん!(*゚Д゚) これ、あかんかも!」と宣う(爆)
見ると乗るとでは大違いだったんでしょうな(≧▽≦) メシ喰ってる時に我々の目先を悠々と通り過ぎて言った小学2,3年生の小さな外人の女の子を見て、あんなモノ...とヨメは思ったのだと思います(*≧д)ノシ彡☆ そりゃあ、鐙(あぶみ)も何もなくて、タダ単に跨って乗るだけですから左右に揺れたら落ちそうな思いになります。かく言う私もヨメの気持ちが痛いほど解りましたから(笑) でも、まだヨメのロバは大人しめだからいいですが、私のロバは勝手に路上の何かを拾って食べようとしたり、真っすく歩かないで何処か違う方向に行きたがるので気が気じゃありません(爆)
7頭のロバと3人のスタッフとでロバタクシーの行進が始まりました。相変わらず私の馬鹿ロバは言う事を聞かず、常にスタッフのおじさんに喝入れられてます(笑) 道路の右端スレスレを通って私のだらんとした右足を歩道の鉄柱にぶつけようとする馬鹿ロバ(爆〜) コイツ完全にナメてやがんなヾ(*`Д´*)ノ腹立って手綱をグワン!と引くもなかなか言うことを聞きません。たかが20分そこそこの行進ながら、早く終わってくれと思いました(笑)気が付いたら、手綱を持ってた手がロバの背の敷物に擦られて指の皮が剥けてました(≧д≦)
 何しろ観光だけで食ってる街ですから、土産もの屋の数は凄まじいくらいあります(^_^;) ロバを降りてほっとした体で土産物屋を物色しておりましたら、革製品を売ってる店でディスプレーしてあるひとつのリュックに目が止まりました。ヨメ共々にいいな..と思ったんでしょうね、どんなんだろ?と手にしてたらすかさず店員の男性登場〜 チャラい!とにかくチャラい!「コレ・イイデショー!」たどたどしい日本語で話し掛けてくる。いくらかと訊くと「120ユーロ!」16000ちょいかー、高いわい。いらない、いらないと手を振ると「20%オフ...」いらん「30%オフ」要らないって!「じゃあ、40パー、いや、50%オフ」ってお前は韓国の土産モン屋かいヾ(*`Д´*)ノ
半額と聞かされるとサスガに心が揺らぐ(笑)革は間違いなく本革だし、すこぶる柔らかい革である。縫製やファスナー、金物はイマイチ信用ならないし、何処の国で作ったものかも分からない。でも、こういうのって、それを分かりながら買うところに醍醐味があると言うか勢いで買う処に面白さがある(爆) と言うことで買うことにしました(^▽^) ま、どうあったにしろ革であることには間違いないから、自分にとっては一生モノ。ここでこんな経緯で買ったっていうだけでいいじゃないの?とはヨメの弁。ま、ご本人がそう思われるのであれば、御意にござりまする(笑)
ここで始めてのフリーの昼食。半ばビビリながらも何とか注文出来ました。海鮮の揚げ物プレート1品を二人でと注文したものの、全部を平らげるに至りませんでした(;´Д`A 食事も終えてこれからまたグラナダまでバス移動です。グラナダでは一番有名なアルハンブラ宮殿ですが、旅行を申し込んだ時、入場の予約が取れなかったと聞いておりました。折角のグラナダでここに入れないってのはつまらないなぁ...というのが本音でしたが、とにかく入場チケットを入手するのが困難な場所なんだそうです。それが出発前に取れた!ということで凄いラッキーを授かったワケです(^▽^)


 2017.10.23 (月) コルドバ
 マドリッド9:05発の新幹線に乗って2時間弱の列車の旅でコルドバへ(^▽^)
陸路バスだと3倍以上掛かるようですが、イラチの私には絶えられません(笑)途中、広大なスペインの国土を感じさせる風景が流れていきます。基本的に殆どが岩盤地帯で大きな樹木はありません。そんな中、水が少なくても育つオリーブや葡萄の栽培が行われるようになったのは約2500年前だそうです。なんでも国土の60%がオリーブ栽培の地だと言いますから、見てのとおり、それはそれは凄いものです(^_^;)
平坦な処はともかくとして斜面にまでくまなく植えられたりしていますが、一体どうやって収穫するのやら想像も付きません(^_^;) 聞くところによると収穫は国外労働者がするとのこと。アフリカからの出稼ぎ労働者に頼んでるようです。
そんな風景を眺めているとあっと言う間にコルドバ駅に到着。そこからバスに乗って世界遺産のメスキータへ直行。
メスキータとはスペイン語でモスクの意味でアラビア語に由来するそうです。その昔、イスラム教徒であるアラブ民族の進入でスペイン人は北の山岳地へ追いやられたそうです。ここは元はキリスト教の聖堂があった部分をイスラム教徒がモスク神殿に建て直し、その後増改築を繰り返して世界最大規模のモスクに。
その後、1236年、フェルデナンド3世がイスラム教徒を追い払い、コルドバが取り戻されるとメスキータはキリスト教の礼拝堂として使われ始め、16世紀に入り、内部には大聖堂が建設されることによってメスキータは大きな転機を迎え、求心的なカトリックの祈りの空間がこの空間に挿入されたそうです。それはそれは広大な聖堂で、今も当時のモスク跡も遺されているイスラム教とキリスト教、2つの宗教が同居する世にも珍しい建築となりました。
我々単一民族、無宗教主義者の日本人から見ると、宗教争いでの闘争や殺し合いなど、何とも理解出来ないワケですが、こんな古くからの闘争を聞いたりすると、それは何とも消し難く、あまりにも寝深い歴史があるのだと改めて思いました。
メスキータの見学を終えて遅い昼食の後、バスにてグラナダのホテルへ。と簡単に言うけどこの間167qあります(^_^;) 3時間近くバスに揺られてホテルに到着。
ホテルの廻りをブラついたりして時間つぶし。ホテルで夕食後フラメンコショーを見に行きました。グラナダはフラメンコの発祥の地...ジプシーと言われる移民によってもたらされた踊りで、元は今ほど激しくなくて大人しい踊りだったと言います。横穴洞窟住居が並ぶ、何とも治安の悪そうな町に出掛けると、フラメンコ酒場がたくさんあります。その中でも一番の本格派と呼ばれるロス・タラントスというお店へ。
フラメンコは2部制になっていて女性の踊り手が2人、男性の踊り手が1人、歌手が1人、ギター奏者が1人という5人でひと組になってます。最初はやはり若手かな(笑) 喜怒哀楽を表現した踊りは見事で、ステップの音も大きく響いて迫力があります。サスガに男性は大きくて迫力がありますが、やはり色気が無いのでイマイチです(笑)
2幕めで踊り手ら5人が変わります。全体的に平均年齢の上がったベテラン勢とお見受けいたします(笑)
特に最後の踊り手はここのママさんで年齢不詳(爆) パッと見にはお婆さんですが、さすが第一人者と呼ばれるだけあってカスタネット捌きには魅入られます。もの凄い細かなリズムを刻むんですが、あれは簡単に出来るものでなく、踊り手にしてもなかなか手にさせて貰えないようです。実際4人の女性が踊りましたが、カスタネットを持ったのは最後に出演したママのみでしたから(^_^;)
素晴らしい芸能を見させて頂きながら、何かと疲れが溜まって来ているのかツアー客は皆眠そう。眠そうなのを失礼だから必死で堪えてるのが分かります(笑)ヨメなんざ、白目むいてましたから(*≧д)ノシ彡☆ 二人踊ってるのかと目を凝らしたら一人だったって(爆〜) そういう私も全く同じで、最後の男性踊り手の際には早く終わってくれと願うばかりでした(;´Д`A 
ようやく終わったのが10時半。ま、そりゃあ眠くもなりますよね。帰りがけに明日行くアルハンブラ宮殿のライトアップを見学して帰りました。とにかく早く眠りたい(笑)


 2017.10.22 (日) 首都マドリッド
 朝食を済ませてマドリッド観光です。バス移動であちこち眺めてたら、朝早くからケーキ作りに勤しむオバサン達。あぁ、外国だなーと再認識(笑)
最初はスペイン広場へ。特に何もない公園ですが、ドン・キ・ホーテの銅像があるということで...(^_^;) 写真撮ったらすぐさまプラド美術館へ。有名なゴヤの「着衣のマハ」「裸のマハ」やエル・グレコの作品など見て廻りました。撮影禁止で残念でしたが、ゴヤの2作を左右並べて見たのは圧巻でした。同じようで表情や仕草が色々と違うんですね。
お次はソフィア王妃芸術センターへ。ここはピカソの有名な「ゲルニカ」があります。もの凄く大きな作品でパリ万博用に描かれた絵だそうです。ゲルニカとはバスク地方にある町の名前で、1937年にドイツ空軍によって空襲され、多くの死者を出し、町の70%が消失した悲惨な無差別攻撃だったのをピカソが抽象画に描きました。
この他もの凄くたくさんの画家の絵を展示していますが、とても1日では見切れない数です(;´Д`A、ということで有名処のダリの作品を鑑賞^^
レストランで昼食の後、バスでトレドへ。トレドはマドリッドから南へ約70q離れたところ。ここは川が堀のように囲む城塞都市で、古代ローマ時代から栄えた町です。しかしながら、狭い道路に坂道ばかり(;´Д`A けっこう疲れます。街並みを古いままに保存しようと国が強い外観規制をして、勝手な改築や新築が出来ないようにしています。建物内部はどう変えようがOKなようですが(^_^;)
しかし、それはとても大事な事で、日本が成せなかった事です。こういうのを目の当たりにすると、とても羨ましくてなりませんでした(≧д≦)


 2017.10.21 (土) いざスペインへ
 台風21号接近前の小雨の降る中、今回は何のアクシデントもなく無事に飛び立てました(^0^) ここんとこ無事が続いてますんで心配はしておりませんでしたが、ただ飛行機が先日空から部品を落としたKLMオランダ航空なんでちょっと心配です(笑)
11時間の長いフライトでアムステルダム空港に到着。ここで乗り継いでマドリード空港へ到着したのが当地時刻の午後10時前。降りたって荷物を待ってたら館内放送「○×@▲ヨ・シ・ムラ×>▲〜」(*゚Д゚)?放送の中で私の名前のような言葉が聞こえる。まさかね..(^_^;) で、もう一回。家が台風で大変だとして空港に電話して来るなんて考えられないし、何かそう聞こえるだけだろ。と思ってたらツアーガイドから「何か忘れ物してませんか?」ヨメ共々に確認するもそういう忘れ物の覚えは無い...(*゚Д゚)「あっ!ハンドバッグ!」と叫ぶヨメ。(*゚Д゚)ええっ!すぐさまインフォメーションに駆け込んだら、そのうち持って来たら呼ぶとのこと。(*´Д`)=3 はー、あって良かった。全財産入ってましたからねぇ...
それから待つこと10分。日本ならそろそろ届く頃だが、ガイドによるとスペインは何事にも時間が掛かると言う。15分、20分と時間は過ぎて行きます。空港からバスに乗ってホテルに行くので待たされる他のツアー客達。申し訳無くて針のむしろに座る心境(≧д≦) 30分過ぎてもウンともスンとも。焦る(≧д≦) 焦る。他の客に悪いから先に行ってくれとガイドに頼んだが、ここのホテルは場所がややこしいし、タクシーに乗っても分からない確率が高いし、分からないという理由で途中降ろされてしまう事が予想されるとのこと。
40分が過ぎ、とりあえず先に他の客をホテルに送り届けてから戻ってくると言うガイド。ガイドが行ってから5分後、ようやくバッグを持った女性職員登場〜(*´Д`)=3 すぐさまガイドに電話すると今出発しようとした処という間一髪セーフ!申し訳なさ一杯で、他のツアー客に謝りました(´;ω;`) やれやれ、無事に着いたと思っても何かとあるもんです(;´Д`A


 2017.10.18 (水) 高校の合格発表以来...
 前立腺癌の疑いがあるとのことで生体採取の検査をしたのが今月の3日。午後1時半に来いというんで行きました。前回、触診とエコーをやったのに、またヤルんですか(*゚Д゚)
点滴と浣腸されて(≧д≦) さて生体採取。恥ずかしいカッコさせられて肛門から採取器を突っ込まれる(;´Д`A あーやだやだ...「パシン!という音と共に針が出て採取します。鈍い部分ですから激痛は無いと思いますが、頑張って下さい」医者は人ごとだから言うけど、こちとらされる側にとっては不安以外の何者でもありません。
「パシン!」(*゚Д゚)うっ!どんよりとした痛みあり。即刻横の看護師がどのくらいの痛みか尋ねます。6段階評価で0〜5...(^_^;) あのなー、こんな時に痛さ聞くかー!と思いながら「2くらい」パシン!パシン!と続いて行きます。6発目終了〜「はーい、半分終わりました」(*゚Д゚)て、まだ半分かい!中で採取器の方向を変えます(≧д≦)イテテテ!「この方が痛いと思いますー」と医者。
それどころじゃなくて段々と痛くなって来てます。事務的に毎回痛さを聞く看護師ヾ(*`Д´*)ノ 「3くらい」パシン!パシン!(≧д≦) いくら鈍感な部分とはいえ、そんだけ針刺されたら痛いわな!何とか12回の採取が終わりましたが、今度は止血と消毒と薬剤の塗布で3度の指入れ(≧д≦) くう〜早よ終わってくれー「4じゃ!」 「この麻酔無しの検査を今後も受けられますか?」と看護師のアンケート。「二度といらんわ!(≧д≦)」終わったら、終わったで尿が出るまで帰れないんですと。水飲みまくったけど、そんなすぐに出ないし、出そうになっても針刺された前立腺が腫れてしまって、出るモンも出ない(≧д≦) 絞るように何とか出して大量出血の無いことを確認してお役御免。

その後、4,5日お約束の血尿が続き(´;ω;`) 2週間後の今日、結果を聞きに行ってきました。(-。-*) どうなんだろ?心配した処で結果が変わるじゃなし、そんでもってすぐさま命に関わる程の事でもないし...とは思うものの、この2週間はずっと気が晴れませんでした。そらそうですよね、最悪癌の場合は前立腺全摘出になるんですから(怖) そうなるとあちらの機能の方もダメに...と言うと、そんなモンもう今更いらんやろと言われるし(爆) いえいえ、使おうと使わまいとも機能は大事(笑) パワフルなエンジンに「もうパワー出なくていいやん、飛ばさないねんし」と言っているようなもの(*^_^*) って、ちゃうか(笑)
診察室へ入るなり「癌細胞は発見されませんでした」(*´Д`)=3 はー、良かったー 一番最初にやった血液検査の結果で、例のPSAの数値が問題の5.1ng/mlから1.1ng/mlに下がってたし、正常値よりかなり低い状態だという。
ほらなーヾ(*`Д´*)ノ 高い検査費用と痛い目して、そいでもって結果を待つまでの憂鬱な半月を返してくれと言いたい。ま、結果オーライだったんですが、厳密な検査をしてると良い部分もあるけど、こういったリスクもあると言うことです。もし、今後この数値が上がったとしても、もう行きませんよあたしゃヾ(*`Д´*)ノ それにしても何ともなくて良かった...主治医に宛てた診断書の封筒を片手にトボトボ歩く感じは、高校入試の合格発表の帰りのような気分でした(笑)


 2017.10.16 (月) 誰が描いたジョンのだまし絵
 ♪雨がー降ります雨がふるー 先週の土曜日から何とも不安定な天気で、昨日、今日と連続の雨。まるで梅雨のようです。それに増してこの寒さ(≧д≦) 事務所のストーブ点けましたがな(笑)
ところでこのジョンのだまし絵、だりが描いたかって?ダリですがなー^^ 全く知りませんでしたが、その当時ジョンはヨーコを介して交流があったようですね。
ダリってジョンに限らず、たくさんのロックミュージシャンと交流していたそうです。これは文献の抜粋です。

『エルヴィス・プレスリーがデビューした1954年、ダリは既に50歳であり、積極的にリスナーとしてロックンロールを聴き込むことはなかったようだ。ただ、彼はロックンロールの派手で過剰なイメージを気に入り、エルヴィスを高く評価していたという。
1960年代に入るとダリは若い芸術家や単なるヒッピー達を集めた、一種のサロンを開いていたが、彼らを経由して、ロック・カルチャーにも触れるようになった。1967年、彼はパリでローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ、そしてモデルのアマンダ・リアと初めて会っている。ブライアンは恋人だったアニタ・パレンバーグをキース・リチャーズに略奪愛されて、心の傷を癒すためにパリを訪れたところだった。
 1969年、ダリはジョン・レノンとオノ・ヨーコと会っている。ビートルズの「ジョンとヨーコのバラード」は「セーヌ河畔でハネムーン?」という一節で始まるが、この歌詞で歌われているパリ滞在時の3月24日、ジョンとヨーコはダリと昼食を共にした。この翌日、25日にジョンとヨーコはオランダに向かい、26日にアムステルダム・ヒルトンで”ベッドイン”を行うが、”平和のためにベッドで寝る”という一種シュールなコンセプトをダリと結びつけるのは、穿ちすぎだろうか。』
画像を見ると、確かにジョンとヨーコのバラードのPVの出で立ちそのものですね。ダリ65歳。


 2017.10.12 (木) イタリアらしい画像だが...イタリア人らしくない男(笑)


FIAT 500 Anniversario
\2,530,000
アルファ乗りとは言え、他のイタ車は気になるもの。先日、知り合いのブログに掲載されていたFIAT500 Anniversario のイメージビデオ。現在にタイムスリップ?した男の話なのか?それとも何なのかよく分からないストーリーだけど、このアニバーサリオはちょっと欲しいかなと思いました(^▽^) 懐かしさのあるグリーンにホワイトとメッキのホイールのマッチングがイイだけなんでしょうけど、なんかそそられます。
ただ、エンディング近くで美女からのキスをかわすイタリア男...(*≧д)ノシ彡☆あれは絶対にありえない(爆) ちがうだろー!ちがうだろー!イタリア人ヤメろーと叫んでしまいました(≧▽≦)ご購入ですかって?滅相もない(笑)みーてーるだけ〜〜


 2017.10.09 (月) 生きていたなら喜寿か...
ジョンが生きていたなら今日で77歳...今の世界を見て何を言うのだろう...


 2017.10.08 (日) メガネでエグザイル

10月10日がメガネの日かと思ってたら...
10月1日だったんですと(*゚Д゚)1○○1(≧д≦)おしい!

しかし、なんでこんなにあるんでしょう?(^_^;)
壊れた時の一時しのぎで作ったり、修理したりで気が付けばこのありさま。
一般用(遠目)パソコン用(近目)遠近両用...
ひとつで全てをカバー出来なくなって来ました(≧д≦)
今やメガネを外しても近くが見えなくなり、裸眼で見ながら更にメガネを外す仕草に苦笑い(笑)
最近、遠くも近くも見えなくなりました(悲)


 2017.10.07 (土) つかの間のぬか喜び(^_^;)
 先月でクルマの車検が切れて再度車検を受けました(^0^)> これでなんと9度めの車検。我ながらスゴイです(^_^;) つか、新型ジュリアに愛想をつかしてリニューアルを始めてから早いもので、もう2年も経つんですね。
4日の日、車検から帰ってきて(^−^)ニンマリしてたんですが...クルマをガレージに入れた時、異変に気付きました。(*゚Д゚)なんだ、このガス臭さは...排気ガスにガソリン臭が混じったような臭いがガレージ中に充満してます。ひよっとして例の燃料ポンプか!?車内に入って匂うもそういった臭いはしません。
(-。-*) うー、一体なんなんだ?車検時に燃料関連など触るはずも無いし...でも気のせい?なんてことは無いだろうな。車検に出す前は何とも無かったんだから。
で、整備工場に電話して再点検してもらうことに。 二人掛かりでライト持ってエンジンルームから下廻りをチェックしてもらいましたが、何処にも燃料漏れの跡が見られない。
これはもう、燃料ポンプしか考えられない。156の燃料ポンプは7〜8年でダメになると聞いてますが、私のは19年間今まで一度も交換してないんです(*゚Д゚)ある意味奇跡的なのかも知れませんが、ここがダメになっていても不思議じゃありません。シート外して確認しましたら...(*゚Д゚)あぁ、やっぱり...ガソリンが滲んでました。室内は一気にガソリン臭くなりました(≧д≦) あーあー、とうとう。この連休にやっと乗れると楽しみにしてたのに(´;ω;`)これでオジャンです。

で、昨日、早速燃料ポンプを発注したら、思いの外早く今日の午前中に着きました(*゚Д゚)とても迅速なご対応!これで連休乗れるじゃないの!ってんで工場に入れました。暫くして工場から電話。( ^ω^) おおー早い、早い!と思いきや...
なぬ?直径が合わないだと?どーゆーこと?現車と新しいパーツの直径が違うのでパーツを押さえられないって(*゚Д゚)どゆこと?いやね...ちょっとした心配があったんですよね。156の燃料ポンプって仕様の品番と違うモノが着いてたりするって、何処かで耳にしたことがあって...(^_^;) だから、購入前にパーツ屋に車体番号から型式から全てメールして大丈夫か確かめておいたんです。相手先は間違いない大丈夫と回答。
でも、付かない物はどうにもならない(*´Д`)=3 両方並べた画像を向こうに送って、現車のパーツ番号を伝えたら「ええっ!それは後期用の番号です」と(*゚Д゚) 前期型なのに何故か後期型のが付いてたということ。やっぱり...こんなこってす(-。-*) イタ公のするこたぁ、こんなこってす(笑) パーツ屋さんの所為ではないけれど親切なパーツ屋さんは対応が良くて、その後期型を送りますとのこと。あぁ、あの時確認しておいて良かった(^0^)> ただし、手持ちが無いので出庫は連休明けとのこと。これで結局連休はパァになってしまいました(´;ω;`)


 2017.10.05 (木) 中秋の名月

 科学の発展とともに、人々は目に見えるものこそ真実と思うようになりました。しかしながら、人は時に科学では説明できないパワーなどを感じたりするのも事実です。
昔から人々は、月のパワーを信じ、神と崇め、月の満ち欠けと共に暮らしてきました。十五夜」とは、人々が月に祈りをささげる行事の一つです。「十五夜」旧暦の15日の夜のことで、新月と呼ばれる月が出ない時から満月になるまでおよそ15日ほどかかることからそう呼ばれています。そのためこの考え方であれば毎月十五夜はあるのですが、もう一つ十五夜には「旧暦8月15日の夜」という意味もあるので十五夜」といえば「中秋の名月」のことと考えて良いのです。
また、「中秋の名月」とは”秋の真ん中に出る満月“の意味です。旧暦では 1月〜3月「春」4月〜6月「夏」7月〜9月「秋」10月〜12月「冬」 となります。このため、8月は秋のちょうど真中であり、8月15日の夜に出る満月(あるいは満月に近い月)ということで、そう呼ばれるようになりました。
月の満ち欠けを基準にしていた旧暦と、太陽の動きを基準にしている新暦では1ヵ月程度のズレが生じるため、
現代では、9月7日から10月8日の間に訪れる満月(または満月に近い)の夜の日が「十五夜」「中秋の名月」となります。一説によると、丸い満月は、豊穣の象徴だとも言われ、「満ち欠けする月の様子」や「作物が月の満ち欠けとともに成長する」ことから、●農作物の収穫、●ものごとの結実、●祖先とのつながり、それぞれに感謝し、月に祈るようになったそうです。(^_^;) 受け売りですが...



 2017.10.01 (日) 琵琶湖周遊の旅
 2年振りとなります同窓会ツアー^^ 昨年は大同窓会開催のために旅行は取り止め...一昨年の伊勢志摩から2年振りの旅行となりました。今回はみんなの都合が付かず、男女6人ずつの小振りな旅行となりました。よってバスではなく、普通車2台に乗っての移動です。行き帰り、途中にクジ引きで乗るクルマを決めます(笑)男性の中に女性が一人、女性の中に男性が一人という事もあり得るワケですが、そういう気まずさも楽しんでもらおうという狙いです(爆〜)
午後1時過ぎに集合して1時半に出発!ミシガンの出航している浜大津アーカスに着いたのが3時10分前。還暦祝いだと言って証明書を見せると、全員が一気に3割引になります(嬉しいような悲しいような・笑) お天気はさすがにピーカン!直射日光が熱いです。3時10分出航!さっそく席を陣取ってビール、コーヒーなど購入〜!私は運転があるから(≧д≦)がまんがまん!ゆっくりゆっくり進むミシガン...廻りでは大学生のヨットがたくさん通っていてイイ眺めです。風が涼しくて心地よいクルージング...なかなかロマンがあって?いいかな(笑)ま、ロマンもマロンもよく分かってない連中ですが(´艸`) 80分の航海が終わって上陸〜船の前で記念写真を撮っていざホテルへ!
 今回お世話になったのは、琵琶湖グランドホテル。京近江という別館もありますが、我々は旧本館、それも西館の5階の端の端(^_^;) 風呂に行くにも食事に行くにも大概歩かなければなりません(;´Д`A 多分やかましいのを見抜かれていたのかもしれません(笑)今まで数回注意されてますから、ブラックリストに載っているのかも(*≧д)ノシ彡☆
温泉に入って6時半から宴会です。恒例の中野君の乾杯の音頭で始まりました(^▽^) たくさんの料理にみんな食べるのに必死(笑) 仲居さん「あのー、カラオケもありますし、どうぞ唄って下さいませ」(´艸`) くくくっ、仲居さん、大人しい団体と思ったんでしょうが、もうすぐ正体表しますから心配せんで下さい(笑) 私は思わず肩を震わせてしまいました(*≧д)ノシ彡☆ 
さぁ、一通り食べ終わったら、ザッツ・エンターテイメントの始まり始まり(笑)
カラオケ唄いまくり、歌に合わせて宴会場狭しと踊りまくります。今まで静かだったのがウソのような展開に仲居さん(*゚Д゚) 目が点(爆) それはそれはもの凄い盛り上がり方で、みんなコレを楽しみに来てるんだなーと分かります(*≧д)ノシ彡☆
終盤に差し掛かって、担当でない別の仲居さんまでやって来て「何だか私のよく知っている歌ばかり歌われてて、踊りも凄いと聞いて見に来させて頂きました」ですと(笑) うーん、よそ様の宴会の模様はどうなんだか知りませんが、こんなみんなでやんやと踊ったりするのは珍しいんでしょうか?それもエエ歳こいたオバハンとオッサンが(爆) 
2時間の宴会が盛況に終わって、皆ゾロゾロと宴会場を後にします。空かさず「無料カラオケルームもございますのでお使い下さい」と仲居さん。しかし、あれだけ盛り上がっておきながら「はい、ありがとうございます^^けっこうです」と返すメンバーに苦笑いの仲居さん(*゚Д゚)?「しかし、若い還暦だねー」と仲居さん同士の会話はしかと聞かせて頂きました(≧▽≦)
何故カラオケ2次会に行かないかと言うと、部屋でアトラクションをするからです(笑)アトラクション「ホンマかいなウソ発見器!」なんですのんそれ(^_^;) ウソ発見器のパーティグッズなんですが、質問に対してウソを言うと置いた手にビリビリと電気が走るというもの。ホテルに着くまでに質問を一人2つずつ書いて、それを抽選箱に入れて各自が引いて答えるというもの。
これハンパないくらい来るんですよね。引いた本人の次の人が質問を読みあげて本人が答える...そしてスイッチオンで(@Д@) ビリビリ!人のを見てると面白いんですが、自分となるとこわい(≧д≦) 「実は..今流行の不倫をしています」なんちゅうありきたりな質問する「いいえ...」♪ダン・ダン・ダン・ダン♪〜(@Д@) ビリビリ!(≧д≦)イテテ!モロに電気が来やがった。2回とも痺れた私はウソつきなんでしょうか?(^_^;) 2回廻っても一度も痺れない人もいます。そう、正直さんですね(笑) そんな正直さんも、やはりどんなビリビリなのか体験してみたいようで、無理矢理ウソついたりして(笑) そんなこんなで楽しいアトラクションが終わってお開きとなりました。

翌日の朝...湖西から見る日の出は美しい!お互いのイビキで眠りの浅かった男性陣は、お陰で美しいご来光を拝むことが出来ました(^▽^) 温泉の浴室から美しい朝日を眺めながらの朝風呂...(≧▽≦)サイコー!女性陣はよく寝たのか気付かなかったようで悔しそう(笑)
朝食を済ませて、浮き御堂〜琵琶湖大橋の道の駅へ。予定では琵琶湖テラスに行く予定だったんですが、ケーブルカーのメンテナンスなどで一時閉鎖とか(*゚Д゚) 再開は次の土曜日ですと...ショック。ま、仕方ありません。確認を怠った私が悪いんです。
「琵琶湖大橋」ここは小学校5年生の遠足で来た思い出があります。その当時は単なる砂浜でしたが、今ではそこに道の駅が建ってvます(^_^;) 当時と同じアングルで写真を撮ってみました。その約40年後の我々です(笑) そこから延暦寺に向かいます。途中展望台があって一休み。
11時過ぎに西塔に着いて、内陣の特別拝観へ。700円の拝観料とは別に500円の特別拝観料取るってな...何か悪どいつか、仏の道の者がこういう商売っ気出すってのも、なんだか切ないですね。
東塔に着いたのが12時15分頃。延暦寺会館のレストランで昼食に精進料理を予約してあります。精進料理なんて大した事ない食材ですが、意外と食べる機会も少ないだろうと言うことで。予約名を言うとレストランとは逆方向にある部屋へと案内されました「郡山中学同窓会ご一行様」( ^ω^)ノ)なかなか気が利くやん。で、案内されてビックリ!(*゚Д゚)
なんと広いこと、広いこと...残った場所でドッジボールかバレーボールが出来そう(笑) いくら満席とは言え、違うだろぉ〜〜違うだろ!ヾ(*`Д´*)ノ そこは結婚式場にも出来る大ホールでした。でも、まぁ、こんな処で食事するのも滅多に無いかと皆で大笑いしました。
食事の後、東塔内を散策。出来れば講話を聞きたいと申し込みましたが、20人以上の団体でないとと断られました(-。-*) 残念。仕方なく本堂に入りましたら、何やら静岡からお越しの団体さんが講話を聞く用意...(´艸`) これはこれはとみんな静岡県人に成りすまして有り難い講話を聞かせて頂きました(笑) しかしながら、昼食の後の暗いお堂での講話...みんな瞼が重くウトウト(笑)
その後休憩を経て帰路に着きます。しかし、お寺を出る寸前に鐘突き大会が始まりました。誰が大きく良い音を出せるか...って、エエ歳こいたオッサン、オバハンがやることではありません(爆) しかし、その真剣で大人げ無い処が何とも可笑しいのです。
 今回は男性6名、女性6名という今までで最少の携行人数でしたが、小振りで小回りが利くと言いますか...話しをするにしても相手が少ないから詳しい話しが出来ますし、結構、内容の濃い旅行だったと思います。参加されたみなさんはどう感じられたか分かりませんが、私個人の感想としましては、メッチャ楽しい旅行だったなと思ってます(^▽^) また、来年も行きましょう!


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