- Diary - December 2018 適当な時に適当な事柄を思い付くままに適当に |
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一度も掃除してなかったので中はカルキの結晶でカッサカサ!(*゚Д゚)きったねー!で、ホウサンを使った本格洗浄に挑戦。ホウサンを30gくらい放り込んで後は洗浄モードにして、置くこと1時間半( ^ω^)ノ)さてさてー (*゚Д゚)おおー!中のカッサカサカルキがヒラヒラと舞うように取れてトゥルットゥル!のお肌に(≧▽≦) うわー!気持ちよかー!!!これは最高に気持ちイイ!何だかんだと気持ちの良くなかった年末でしたが、これで何とかスッキリ出来ました。後少しで今年もお仕舞い!また新しい一年が始まります。皆さんもどうぞ、善いお歳をお迎え下さい。来年も変わらず、よろしくお願いします(^▽^) |
2018.12.30 (日) 無事之名馬ではない(≧д≦) | |
「無事之名馬」は私の座右の銘ですが...(^_^;) この年末に於いて無事に納めることが出来ませんでした。昨日は一日掛かりで事務所の片付けに没頭し、今日は事務所の掃除に掛かる予定でおりました。 朝から昨日のゴミを出して掃除機を掛け、拭き掃除をしようとしていた矢先。ゴミ出しして少し小走りに3歩ほど走り出した時に左ふくらはぎからブチっと音がして痛みが走りました(≧д≦)やってもたー_| ̄|〇 il||肉離れつか、腓腹筋断裂です。初めての経験ですが、すぐに分かりました。何かふくらはぎの中でペロンとめくり上がるような感覚がありましたから、断列した筋肉のスジが上へ持ち上がったのでしょう。 即座に脚を引きずりながら家に戻って湿布を貼りました。処置なんて出来ないのだろうと思いながら近くの病院で診てもらいましたら、やはり肉離れとのこと(´;ω;`) 痛み止めの薬と湿布を貰って帰りました。 |
で、お昼を食べてから何とか掃除の続きが出来ないものかと事務所に来てみましたが。やはり立つのもままならない片足で、作業をやろうとするのには、かなり無理があります。放っておくしか無いのでしょうかねぇ... それより、今年は歩いて薬師寺まで行ってお参りし、写経して来ようと楽しみにしていた企画がパーになってしまいました。その他、新春の催しやら、10日の戎神社へのお参りなどなど...どうなるのでしょうかね(´;ω;`) 今月半ばから始めたウォーキングで、脚にウェイトを付けて歩いたのが引き金になったんじゃないかと思います。自身はさほど変わらなくて、次は1sにしないとなぁ..なんて思っていたのですが、ここ3日ばかり異様にふくらはぎが痛いように感じていました。やはり無理があったのと、老いた筋肉が冷やされてて急に伸びたのが原因なのかも知れませんね。 年末に起こったのが不運なのか、年始だったらどうだったのか?などと今更ながら後悔と慰めの域を出ませんが(^_^;) とにかく安静にして少し様子を見てみます。 |
2018.12.28 (金) あっと言う間に御用納め | |
今年もあっと言う間に終わりますね(;´Д`A 昨日までに2件の仕事をなんとかやっつけて、今日は午前中に議事録や書類の残りをやって、午後からは事務所の片付け。と決めて事務処理をやり出したものの、3件あった内の1件が何だったのか思い出さない(笑) その内思い出すんだろうと思うものの自信がない(爆)ホント、ダメですねーここんとこ目も遠くも近くも見えなくなって(ノд≦。)。。情けない。 事務所の片付けと掃除は明日いっぱい掛かりますかね。30日は家の掃除、窓ふきと床のワックス掛けやら飾り棚の掃除やら...31日は押し寿司作り(´艸`) ちょっとした言葉の弾みから2日に食べる押し寿司を私が作るハメになってしまいました(笑) 押し寿司桝買いました(≧▽≦) |
2018.12.20 (木) 金沢ふたたび Part.2 | |
2日めの朝は少し早めの朝食。決して食べ過ぎないようにと思うものの、ついつい全部食べてしまう(笑)旅館のワゴンで松任駅まで送ってもらい金沢駅を目差します。駅に着いたら速攻でタクシーに乗り、妙立寺へ。 このお寺、別名を忍者寺と言って、色んな仕掛けが成されている要塞的な神社だそうで、拝観は完全予約制、それもネットやFAXではなくて直電でないとダメという、何とも時代にそぐわぬ制度を取っていて、遅刻するとアウト!(≧д≦) 10時からの予約だったので、気が気ではありませんでしたが、何とか10分前についてセーフ! 外人さんの団体が十数人、日本人観光客が十数人。私達は何故か外人さん達と同じ班に入れられ案内が始まりました。2階建てしか許されない規制に対して、外観2階で内部は4階(笑)落とし穴があったり、隠された階段や小部屋、切腹の部屋など、からくりがいっぱい(;´Д`A 職業柄、どういう流れで建てて行ったんだろうか?などと想いを馳せながら廻ること40分。薄暗い寺内部の案内は終わりました。 |
そこから数分歩くと西茶屋町に到着。ここは東茶屋町に比べると、かなり規模が小さく、資料館の案内の方に聞きましたら、その昔この一体が火事になって殆どが燃えてしまったんだそうです。規模的には東と同じだったと言います。東に比べて観光客の姿も少なく、土産もの屋などもなくてひっそりとした感じです。これという処も無いので次の武家屋敷街へ。 ここは実際の武家屋敷や足軽屋敷などが建ち並んでいる地域です。武家屋敷の中のひとつの資料館に入ってみました。当時の武家屋敷そのものが丁寧に保管されていて、手入れの行き届いた庭など、とても素晴らしいものです。このままですぐさま生活が出来そうなくらいです。見事な襖絵や粋な茶室など、当時の武家社会の権威が見て取れます。 足軽屋敷は実際に10数年前まで人が棲んでおられたそうで、今は資料館として無料拝観されてます。この加賀藩はよほど財力があったのでしょう、足軽であっても長屋などではなく、各自立派な庭付きの一軒家を与えられていたとは驚きでした。お昼も過ぎて、そろそろお腹が減ったと言うことで武家屋敷入り口にあった鮨屋で昼食を摂ることにしました。 |
このお店、外からはよく分からなかったんですが、入ってビックリ(*゚Д゚) 入り口すぐにテーブルがあるんですが、入り口ドア横に衣紋掛け、それに10個くらいのホコリ被ったハンガー、いつから置いてあるねん!という扇風機、カウンターには仕入れたネタのスチロールの箱が山積み(;´Д`A おいー、エライとこ入っちまったぞ(*゚Д゚)とヨメに目配せ。入るなりヨメが「海鮮丼出来ますか?」なんて訊いたものだから、今更出ますとも言えないし(^_^;) ままよ!旨けりゃいいんだ、旨けりゃ(笑)と腹くくりました。しばらくしておばさんが「はい、どうぞー、ごゆっくりー」 (*゚Д゚)おおー色んな刺身が乗っかってて、これは美味そ!恐る恐る口に運んでみる。(*゚Д゚)おおっ!これは旨い!刺身も新鮮で厚みがあって、どれを取っても凄く美味しいんです。よかったー(≧▽≦)よかったー! これでイマイチだったりしたら、ガックリコンで目も当てられなかったでしょう。ま、店が汚いのはよしとしましょう!(笑) |
食事を済ませてタクシーで主計(かずえ)茶屋街へ。ここは東と西の真ん中に位置する茶屋街です。川の畔の一角にあるお茶屋陣で、中央に細い路地があって、処狭しと立ち並んでいます。西と言い、この主計と言い、現在もちゃんと運営している処を考えると、それだけのニーズがあるということになります。バブルは遠くになりにけり..の現在であっても芸子遊びをするお金持ちが沢山居るというのが俄に信じがたい気がしました。 橋を渡って少し歩くと東茶屋街に着きます。ここは前回に来ているので、今更どうと言うこともありません。西、主計はひっそりとした街でしたが、ここはさすがに観光客で賑わってます。途中から雨が降って来たので、雨宿りがてらにお茶屋カフェで一服。お茶屋を改装した土産もの屋の2階がカフェになっていて、格子越に下の街路が見下ろせるようになってます。 |
金沢は北陸新幹線の開通と共に観光化が一気に進み、物価が急に上がったと聞きました。ホテルの単価などは驚く程に上がったと言います。アパホテルなどはそれまで朝食付きで6000円少しだったのが、急に1万円近くなり、土日祝日だと2万円近くに吊り上げたそうで、旅館組合から強く注意されて最近はかなりマシになったそうです。 ホテル業界もそんな状態ですから、近江町市場も同じで、観光客相手の相場になってしまって近隣住民が行くような市場で無くなって来てしまっていると言います。特に関東人は基本的に値切らずに言い値で買うし、関東は物価が高いから、こんなモノかと買うからかも知れません(^_^;) 関西人の我々には全体的に何でも高いように映りました。東茶屋街を見終えて、その悪名高き近江町市場へ(笑) 想像はしてましたが、もの凄い規模の市場ですね。ひとつの街並みを形成していて、中は迷路のようです(^_^;) 市場の地図も貰いましたが、意味を成さない感じです。沢山のカニが並べられていましたが、とても我々庶民に手の届くものではありませんで、見て見ぬ振りで通り越しました(笑)金沢駅で土産を買い、前回食べそびれた金沢おでんで一杯(≧▽≦) ま、言う程のモノでもなく、何とも普通のおでんでした(笑) |
2018.12.19 (水) 金沢ふたたび | |
先月フランスへ行く予定が、ヨメの足指の骨折でやむなくキャンセルとなりましたが、ヨメの足もやっと善くなり、仕事も一段落するという事で急遽、金沢に行くことにしました。 今年の1月にヨメと長女の3人で行ってからの二度目の金沢です(^_^;) ま、カニ目当ての旅ですが、前回行けなかった場所なんかがあるので、出来ればもう一度行きたいと言っていたので行くことにしました。 本日の予定は、宿泊する金沢辰口温泉にチェックインしてから、近くにある動物園か(笑) 陶芸村に行こうかと考えてます。京都11時55分発のサンダーバードに乗って出発!お約束の駅弁とビールは欠かせません(≧▽≦) 金沢駅の3つ前の駅「松任」に着いたのが午後2時10分、旅館の車が迎えに来てくれてました。 20分ほど走って旅館到着〜風情ある旅館ですが、周りに大して何も無い処です(^_^;) 部屋に案内されて一服。さて、どうするか...ですが、雲行きが怪しくなって来て、雨が降り出し、雷が鳴り始めました(*゚Д゚) この辺りは本格的な冬に入る前は、こうした天気が続くそうです。動物園はカピパラがメインの動物園だそうです(笑)しかし、雨で雷まで鳴ってて、そいでもって子供でも居りゃあ分かるが、ここに来てまで夫婦で動物園てな、絶対オカシイだろ(*≧д)ノシ彡☆ |
と言うことで、久谷陶芸村まで送ってもらいました。ここには美術館、ショップ、そして絵付け体験が出来る施設も有ると聞いてます。平日の午後3時過ぎ...殆ど人影がありません(^_^;)
ショップや美術館巡りもイイけど、客が自分達だけってのもなんかね。で、冷やかしがてらに絵付け体験の出来る処へ行きました。 冷やかしのつもりが何故か絵付けをやることに(*≧д)ノシ彡☆で、ウルトラシリーズの人形に絵付けですと!(*゚Д゚)(笑) こりゃあ、子供向けなんじゃ?といいつつ、ヨメはカネゴン、私はバルタン星人(爆)しかし、しかし、私達はこの絵付けをナメておりました(;´Д`A めっちゃめちゃ難しい(≧д≦) 洋絵具なんですが、重ね書きが上手く出来なくて凄く難しいんです。3時半から閉館の5時まで目一杯掛かりました(*´Д`)=3 旅行に来てまで、なんでこげな内職みたいな事せにゃあかんねんヽ(`Д´)ノとほざくも、やってみようと言い出したのが後の祭り(笑) |
一仕事終えた処で(笑)旅館に戻ってひとっ風呂浴びて、さて、今回のメイン・イベント(
^ω^)ノ)カニづくしでございます!前菜で出て来たセコガニ(ズワイガニのメス)はめちゃくちゃ旨かった(≧▽≦)
身も沢山で内子も、更に外子が凄く美味しい!(*゚Д゚)こんなに美味しいセコガニを食べたのは初めてです!セコガニにもランクがあってタグ付きのセコガニだそうです。 後はカニ進上、海鮮のお造り、カニ刺、蒸しガニ、カニ鍋、焼きガニ、カニ飯と至れり尽くせりのカニ三昧で満喫しました(*´Д`)=3 もう、お腹一杯! |
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2018.12.15 (土) 待ち人来たる | |
9月25日に注文した鮭茶漬けがようやく届きました(^_^;) 実際に届いたのは今月の3日でしたが、ちょいと書きそびれてました。 さてさて、お味の方はといいますと...鮭のほぐし身にシシャモの卵が混ざっていて、けっこう塩が利いてます。茶漬けとなっている為でしょう。 直接ご飯に載せて食べるのもよしですが、ちょっと塩辛いかな(^_^;) 「究極のご飯の友」とのことで大きな期待をしていましたが...さりとて言うほどでもないかなと(笑)まぁ、まずまず旨いんだけど、究極のーという程のモノではないなと(^_^;) |
2018.12.14 (金) ウォーキング再開しました | |
今年は暖冬だと聞いて、寒いのん大キライ(≧д≦)な私は喜んでおりましたが、どうやら糠喜びだったようです。12月に入ってからのあの異常な暖かさで、寒さに慣らされていなかった体にはここ最近の寒さが応えます。しかし、寒くなったとは言っても、これで平年並みなんでしょうね。 ところでずっとサボってたウォーキングを再開しました(^_^;) 6月に一度再開し掛けたんですが、雨やなんかで休んでズルズルと...この1年以上歩いてないので体型の方も怠惰な感じになって来たので慌てての再開です。 今回は効果を早く出すべく、左のようなグッズを買いました。ウェイトです(^_^;) ひとつ500グラムなんですが、これを両足に巻いて歩くと、負荷が掛かってよりイイと聞いたので...さっそく巻いて歩いてみましたが、さほどでもなく効果の方はイマイチよく分かりません。やはり私用には1sでないと効果が無いようですね、これはヨメに渡しましょう(^▽^) |
2018.12.12 (水) パラレルワールド | |
パラレルワールド(parallel world)とは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空ともいう。
ま、そんな世界があるとは思えないが、「もし、あの時こうだったら、どうなっていたのか?」と想像することがある。 二者択一を迫られた時、人生の分岐点に差し掛かった時など、人はそのジャッジに対しての逆側の結果を絶対に見て取れないが、現状の結果を目の当たりにして、もし、こうだったら...と、遡って考えてみたくなる時もあったりする(^_^;) 例えば、今回の貴ノ岩の引退について考えると、この人、何だか壊滅的というか破壊的と言うか、元貴乃花親方にとって、もの凄いジョーカーだったのではないかと思う。決してこの人だけが悪いワケではないのだろうが、この力士が居なければ、例の日馬富士事件も無かったろうし、元貴乃花親方の相撲協会との確執や、理事格下げ、親方廃業には至らなかったのではないかと思う。 |
しかしながら、元貴乃花親方のこの1年の出来事を振り返ってみると、あまりに悲惨な恐ろしい結果で、坂道を転げ落ちる勢いは留まるところを知らない。親方自身、今まで色々と問題はあったものの、将来の角界を担って行くべき人間として、相撲ファンならずともそう思っていたはず。それが一人の弟子のトラブルから理事降格、平役員になり、最期には部屋を畳んで親方引退、そして離婚。 何がいけなかったのだろう?今回の発端が元貴乃岩の事件が引き金になったとは言え、彼が居たからこうなったと言えるのだろうか?年寄り引退後の親方の言動などを聞くと、貴ノ岩が居たからどうのじゃなくて、どうやら全ての原因は元貴乃花親方そのものにあったのではないかと思える。 「付き人を殴るということは貴乃花を殴ると言うことだ」元親方は元貴乃岩のやったことに対してそう言ったそうだ。この言葉で私は確信した。元親方の弟子への日常的な教育が全くなっていなかったのだなと。この言葉は今になって言うべき事じゃない。部屋を初めて持った時から弟子達に対して重々に懇々と教え、刷り込むべき言葉だったはず。 事が起こってからの軽はずみなインタビューでキレイゴト言ったところで、その言葉に重さは無い。それは子育てと同じだと思う。小さい時に躾ずに大きくなってしまっては後の祭り。今更言い聞かせて何が分かると言うのか。平成の大横綱と呼ばれた元貴乃花親方だが、現役時代からの執拗に頑なな考えが、自身の親兄弟を遠ざけ、周りの協力者さえも遠ざけ、挙げ句の果てには将来を誓った伴侶や実の息子さえも遠ざけてしまった。これも身から出たサビではないのだろうか? パラレルワールドがあるのなら、あの日馬富士事件の時点での元親方の対応や、いや、もっと以前の横綱時代の親、兄弟との確執の時代に遡って、改心、開眼出来ていたなら、今がどうなっていたのか見てみたい気になる。いや、元貴乃花親方自身の躾、教育と考えると、先代貴乃花親方の教育に問題があったのかも知れない。しかし、たとえそうであっても、最終的には全て自分の撒いたタネなのだ。 |
2018.12.08 (土) IMAGINE | |
正確には日本時間の1980年12月9日の正午だったかな。結婚して間もない頃の昼食時に、仕事の合間に家でメシ食ってたらテレビの速報テロップが...(*゚Д゚) そして緊急ニュースが...「元ビートルズのメンバーのジョン・レノンさんが、ニューヨークで何者かに射殺されました」(*゚Д゚)?(*゚Д゚)?(*゚Д゚)?「ウソやろ...」何かの誤報、誤認であって欲しい。全く信じられなくて、いや、信じようとしなかったのを思い出す。 その後のニュース報道や追悼番組を見ても信じないようにしていた自分を思い出す。彼の死を認めるまでに一年以上は掛かったような気がする。 それから今日で38年。ジョンが殺された明くる年の夏に生まれた長男も今年で37才。ジョンが亡くなった年齢の3つ下にまでになった。40才、若いよな...ホントに若い。さてこれからまた本腰入れてやってヤルぞ!という矢先の出来事、本人も思いも因らなかった最期だったろう。無念、残念無念だったに違いない。 |
世界はあれから長い年月が過ぎたけど、ジョンの掲げた理想の世界とは逆方向に進みつつある。人が我のみの利を、国が自国のみの利を考える世界。貧富の差は更に大きくなり、そこに住まう人の心も荒みがちで、今ではロクでもない輩や若者が増えて、とんでもない犯罪が起こるまでになってしまった。各地で戦争や紛争が起こり、逃げ出す難民、それに対しての受け入れでもめる国々。いつまで経ってもジョンの理想郷には程遠い時代が続いてる。イマジンの詩のような世界が来る日があるのだろうか。 |
2018.12.03 (月) 今時の結婚式 | |
昨日は姪の結婚式でした。いや、結婚式と言うよりは、殆どが披露宴で、親族紹介さえ省略されてて、誰が誰やらよう分からん状態で始まりました(^_^;)
ま、同棲して数年が経っての結婚式ですから、花嫁主演のお披露目会さえ出来れば良いのかな?とは思いましたが、親戚、縁者を呼びながら放りっぱなしと言うのは、
あんまりかと個人的に思いました。 式もかなり略式過ぎて「厳かさ」に欠けると言いますか、何とも軽々しい感じがしました。向こう様のご家族に挨拶も出来てない状態だったので、お色直しの間に花嫁の伯父でございますと、お母様、ご親戚の方々にご挨拶を済ませました(;´Д`A 花婿側のお母様もどうしたものかと困惑されてたようで、申し訳なさそうな面持ちで恐縮されてました。 これは新郎新婦に罪があるのではなく、式場のプロデュースが悪いのであって、初めて結婚式、披露宴を経験する二人には思い及ばないことです。この式場のプロデュースがなってないと言うことですね。今後こうした結婚式が当たり前になるのかと思うと、何ともスッキリしない気持ちでおりました。しかし、モノ申せる立場でありませんから、食事とお酒だけたんまりとよばれて参りました(笑) |