- Diary - November 2012
適当な時に適当な事柄を思い付くままに適当に
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 2012,11,30 (金) なるほど!でも、どーでもいいんだなーこれが(^_^;)
 半月前に大阪で公演のあった「RAIN−BEATLESに捧ぐ」が東京で開催されたのが、この23日〜28日。SNSの趣味人でも多数のBファンの方が見に行かれたようです。感動する人あり、感涙した人ありで、それぞれの受け止め方があったようです(^0^)> で、見られた方の日記を2,3読んで...(*゚Д゚)?
「ポールが左でベースを弾く姿に感激」(*゚Д゚)なんでやねん?この人の書き間違い?ポールが左に居て弾く姿って意味?...なこつないわな(;´Д`A 私が大阪で見た時は一貫して右のベースに右のギターでしたよ。あいつひょっとして左でも弾けたんか..?いやね、実際そういう人間居るんですよ、日本人ですが一人だけ知ってます(笑) いや、しかし、もし左で弾けるんならわざわざ右では弾かんでしょう。あぁ、RAINのメンバーのポール役が体調不良かなんかで急遽、The Fab Fourのポール役に来てもらったとか(笑)(-。-*)うーん
で、また別の人の日記を読むと「またもや奥から出て来たかと思うと、今度は右でアコースティックギターを弾き...」一体、どないなっとんねん(>_<)つーことで、このオフィシャルサイトを調べてみました(;´Д`A
ふむふむ...メンバー紹介がされてます(*゚Д゚)なになに...ジョン2人、ポール3人、ジョージ3人、リンゴ3人って...(*≧д)ノシ彡☆わらかしースペア2つもおったんかい!
なるほど、これは私の思い違いだったんですね。私は「RAIN」という名のトリビュートバンドが居て、彼らを中心としたショーをブロードウェイでやってるモノだとばかり思い込んでたんですが(^_^;) そうではなくて「RAIN−BEATLESに捧ぐ」という名のショーありきで、そこに出演するトリビュートバンドないしプレーヤーとして採用されていただけなんですね。
そのバンドごとに1ステージやっているのか、はたまたシーンが変わった時に全くの別バンドが出て来て演奏していたのかは知る由もありませんが...なるほどね。単に1バンドのメンバーで、もし体調不良や不慮の事故があった場合、たちまち立ち行かなくなりますもんね。アーティストなら中止となりますが、単なるショーですから穴は開けられません。そのためにスペアが要るんですね。私は全部1つのバンドのメンバーが演奏しているものだとばかり思って観てたので頭がこんがらがったようです。でも、いくらショーとは言え、1ショー内でポール役を左や...右や...とやるのはどうかと思いますけどね。


 2012,11,29 (木) 妙な夢を見た...
 朝の目覚め前は一番夢を見る...というか、目覚めまでの時間が短いために見た夢をよく覚えてるだけかも知れませんが。ウチのにゃんこは早朝5時からゴソゴソやり出すので、その辺りからうつらうつらとレム睡眠状態を繰り返してる私です(^_^;)
煙草を止めて早や8年が過ぎましたが、今でもたまに吸っている夢を見ます。2ヶ月に一度くらいにはなりましたけど(^_^;) あとは車の夢とかオートバイでツーリングに行ってる夢、旅行で旅館に泊まっている夢。そして何故か自分の履き物が無くなってしまって困っている夢(≧д≦) うー、この履き物無くすってのは一番キモチ悪いですね。その他、鉄道に乗って移動する夢とか、それはそれは色んな夢を見ますね。夢見る壮年☆ってか?(*≧д)ノシ彡☆ いい歳こいて「夢見る乙女」なんて言ってる暢気なオバサンもたまにお見受けしますが(爆) 私はそのような類とは無関係です(^▽^)
で、妙な夢とは今朝の話...ある人に電話してるんですよ。昔の上司で、私を可愛がって良くしてくれた松田さんって常務さん。
「もしもし、ご無沙汰してますCutsです。お元気にされてますか?」「おぉ、Cutsか久し振りやのぉ...」聞き覚えのある太い声と変わらないイントネーションは正しく松田常務。
「あのですねー、今年、常務の年祭は行われるんでしょうか...?」「............」返事がありません。
「常務のお墓の場所を知らないので、教えて頂きたいと思いまして」「............」息づかいは聞こえるが返事無し。
あぁ、何か悪いこと聞いてしまったかなと、少し慌てましたが続けました。
「奥さんや娘さんのご住所も解らなくなってしまって、何処に常務をお奉りしているのやら見当が着きませんで、昔から何度もお参りに伺いたいと思っておりました。どうか奥様の現住所かお電話番号をお教え下さい」「.............」
数度呼びかけるも、返答がありません(^_^;) この松田常務が亡くなったのは今から20年前、53歳くらいでしたかね、肺ガンでした。あの世と電話が繋がるなんざ、夢以外の何者でもありませんが...場所を聞けるものなら聞いてお参りしたいと思いました。
今日はジョージの命日...ジョージと電話が繋がれば...(笑)って、よくよく考えたら、英語話せなかったんですね私...(悲)


 2012,11,27 (火) ペイパーバック・ライター
 現在公開しているのはmix_1のデータです。特にいけない処は無いんですが、コーラスの感じがあまりに真面目過ぎたので(笑)イマイチ雰囲気が出てないなと...あの最後の方で出てくるジョンのおどけたようなコーラスの処です。なんつーか、こう綺麗過ぎると言うか、キッチリと真面目に唄いすぎたきらいがあるんで、是非ともここは修正してからYou Tubeにアップしたいと...
ところがご存じの通り、新旧MTRの故障で頓挫(≧д≦) アンタッチャブルなデータと化してしまって、何とも歯がゆいばかりなんですが、何とか対処して出来るだけ早くアップしたいと思ってマス(^_^;)
ところでこの「ペイパーバック・ライター」ですが、なーんか滑稽な感じがしません?特に取っ掛かりのコーラス...「ぺーぱばっくらいたぁー」(´艸`) あ、こんなコト言ってしまうと、これ読んだ人は今後この曲を聴く度にそう聞こえてしまうから、言うべきじゃないのかな...(笑)
この曲のイメージ壊しちゃうし...(*゚Д゚)えっ?なになに?って?(´艸`) いやー止めといた方がいいね。知らぬが仏ですから(笑) えっ?それでも気になるって?( ^ω^)ノ)じゃあ、そうなってもいいと言う人は、これから先をお読み下さい。
このちょっぱなの「ぺーぱばっくらいたぁー」のフレーズですけど、一度ご自分で唄ってみて下さい。はい♪( ´θ`)ノ「ぺーぱばっくらいたぁー♪」はい、よく出来ました(笑) これってアレに似てません?ほら、これからの季節...寒くなると街角で聞こえる「ひゅー」という音と共に聞こえてくる有名なフレーズ...勘のいい人はもう解ったかな(^▽^) そう♪( ´θ`)ノいーしやーきいもー♪ですよ。
(*≧д)ノシ彡☆ヒャハハ 「いーしやきおーいもぉ〜♪おーいもー♪おーいも〜♪」いっぺん唄ったんさい。ほらね(´艸`)
なんて冗談めかして言いましたが、実はこの曲...ビートルズが来日した1966年、ポールがホテルを抜け出した時に遭遇した焼きいも屋の売り声にインスパイアされて作られたと、まことしやかに囁かれていた曲なんですよ(*゚Д゚) ホント!
って、担いでやりたかったんですけど(笑) この曲のレコーディングが1966年4月で、来日が1966年6月だから、このジョークは通じないんですよねー(≧д≦) おしいー(爆) でも、あまりよく知らない人には通用するかもー(*≧д)ノシ彡☆ヒャハハ もうこれからはコレ聴くたび、そう聞こえてしまいますから...もう逃れられませんよ、お気の毒ですが(爆)


 2012,11,26 (月) 紅葉づくし...(≧д≦) 飲みづくし
 昨日は久し振りの晴天でしたね。3連休最後の行楽日和というコトで、昨年からヨメと約束していた正暦寺に行って来ました。ここは紅葉の名所なんですが、何と家から車で20分ちょっと。
地元に居ながら全然知りませんでした。それを聞いたのが昨年のことで、今年はかならず行こうと言われてました(^_^;) お昼を済ませて1時過ぎの出発です。車を走らせ15分、正暦寺へ繋がる旧街道の入り口に差し掛かった時、数珠繋ぎで渋滞するバスと車の列(*゚Д゚) その交差点から全く動きません。10台くらい前には大きな観光バスが、臨時運行バスとのすれ違いに躍起になってます。待つこと十数分...全く進みません。業を煮やして2,3台の車がUターンして帰って行きます。行くべきか戻るべきか...これ以上進むと街道に入ってしまい、もう戻ることは出来ません。さぁ、どうする?(*゚Д゚) で、Cutsさんのジャッジは「戻る!」でUターン(≧д≦)
しかし、明日は雨だと言うし、今日のこの日が実質の最終日...あの場所から寺まで2.2qと書いてあったなー(-。-*) そっかーたった2qちょいかぁ...歩けないことはない(笑) 400mほど戻った処に病院の職員用の駐車場があったので、そこに車を停めて歩きました。いい天気だし、ここ最近走ってないし、運動がてらにいいでしょ(^0^)> さぁ、戻った交差点ではまだまだ続く車の列。それを横目にグングン進みます。道が狭く行き違いが大変なので数カ所で止めてるんですね。
途中で自分の前に居た車を追い越した時は(´艸`) やったーと内心ほくそ笑みました。やはり正解だったようです。歩くこと35分で正暦寺に着きました。やはり、紅葉のピークを少し過ぎてしまったのか、結構散っている木々が多かったですね。今年は急な冷え込みで例年より少し早い紅葉だったようですが、反面その所為か色づきは鮮やかな感じを受けました。
福寿院客殿から見える庭とその背景はまるで絵のよう...秋の光が射し込み、渓流のせせらぎが聞こえて何とも言えぬ風情があります。それからそこを出て本堂に。本来は大きく立派な本堂であったそうですが、その昔に焼き討ちに遭って全焼してしまい、その後再建された現在の本堂は意外に小さく素朴なお堂で、少し驚かされました。そこにある展望台から山並みの紅葉が見渡せます。一通り見て廻って正暦寺を後にしました。そしてまた歩くこと35分(笑) いい腹ごなしになりました。
夜は同窓会幹事らの忘年会(^_^;) 三日連夜の飲み会で、ホント大丈夫かなと少し心配?しましたが、なんのなんの二次会のカラオケまでキッチリとお付き合いさせて頂きました。でも、紅葉とお酒は当分要らないですね...って、うそつけ(笑)


 2012,11,24 (土) SNSオフ会
 趣味人のオフ会で奈良は吉野の千本桜で有名な吉野山に行きました。春は桜で大賑わいの当地ですが、紅葉の秋も結構な人出です。その中でも金峯山寺の蔵王堂が特別ご開帳ということで、そちらも大変な賑わいです。大仏殿もデカイですが、この蔵王堂も負けてないですね。階段を上がると現れる威風堂々としたお堂には圧倒されます。そしてその中に奉られている3体の秘仏、蔵王権現さま。これがまたデカイ(*゚Д゚) 高さ7mの真っ青な忿怒の形相は、釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩を本来の姿とする変化身なんだそうです。3尊は、それぞれ過去、現在、未来を表し、三世にわたって私たちを守ってくださる守護仏だというコトです。
迫力ありますよー(^_^;) なんか自分の煩悩を見透かされてるみたいで怖い(笑)本来は殆ど目にすることのない仏像だそうですが、このお寺の正門である仁王門の大修理の資金集めの為のご開帳とのことですが、まだまだ足りないのか開帳期間が長引いているようです。今の世知辛いご時世では、蔵王権現さまも大変ですね(^_^;)

名物の葛うどんと柿の葉寿司を食べて、近くにある吉水神社に...ここは後醍醐天皇南朝の皇居だった処です(*゚Д゚) 建てられたのは今から1300数十年前。役行者によって建てられたとされていますが、後醍醐天皇の他、源義経、静御前、豊臣秀吉などのゆかりある地とのこと。ただね...この展示が何とも、ちょっといい加減なんですね。いや、建物の中にちゃんと展示されてるんですけど、何となく敷居が低いというか、こんな重要文化財がこの程度のセキュリティでいいのかな..?という感じを受けるのと「ほんまかいなー」とつい口に出てしまうような展示形態なんです(笑) 入り口で拝観券を買うんですが、人出が足りない感じで、混み合う券売り場をそのままひょいっと横から入っても解らないような感じ。中で券をチェックする人も居ませんしね(^_^;) なんとも大らかです。
ここには究極のパワースポット「邪気祓所」という場所があって、邪気を祓って元気をもらうのだそうです。恐らく邪気だらけだろうと噂される私は当然のごとく邪気祓いの儀式をして来ました。なんだか肩が軽くなったような気がします(´艸`)

それから帰り掛けに如意輪寺に寄りました。ここは楠木正成の長男、楠木正行ゆかりの寺とされています。楠木正行が四条畷の戦いの出陣の際に辞世の句を鏃(やじり)で本道の扉に書いたとされてます。勿論、達筆な辞世の句はちゃんと保管されてました。
行く寺の先々で幾度もお賽銭を上げ、幾度もお参りをして来ました(^▽^) これで当分はお参りは必要ないでしょう。あ、邪気も祓いまくってきたしね(笑) 美しい紅葉を目に焼き付けて帰路につき、カラオケで1時間半ビートルズ唄いっぱなし。
ビートルズの歌にエコーが掛かるのが嫌いなCutsさんは生のまま唄わせて頂きました(笑) これこそ生Cuts...ご一緒された方は儲けモノでしたね(*≧д)ノシ彡☆飲み放題なんでビール飲みっぱなし(^_^;) 5,6杯飲んでモト取って、さて次の居酒屋へ...そこから最終電車まで...最後は誰が支払いを済ませたのか解らないくらいになりました(爆) いやーとっても楽しかったです。


 2012,11,23 (金) 老兵死す...(ノд≦。)。。
 ゾンビのように箱の中から蘇った老兵MTRでしたが、今朝死にました(ノд≦。)。。つか、思い悩む私に引導を渡してくれたのかも知れません。新兵MTRが倒れてから、老体に鞭打っての復活でしたが、わずか5日で命尽きました。次曲のデータを新兵から譲り受け、何とか全パートの録音を終え、夕べ気になるボーカルとコーラスを録り直し、そして今朝、今一度他のコーラスの部分手直しをしたいとやりかけたところ...「プッ!ポッ!バダ・プッ!」(*゚Д゚)ブルータス、お前もかっ!
老兵MTRが血を吐いて倒れました。って、違うがな(笑)新兵と同じくハードディスクが音飛びをし始めました。(≧д≦) うわ〜 もうチョイやと言うのに...何とかならんのかい!とスイッチの入り切りをしているうち、システムエラーが表示され、全く作動しなくなりました。ま、現状の録音でもそう悪くないんですけど、更なる向上には今一度コーラスの修正が必要だったんですが...
しかし、どちらのMTRも完全に壊れてしまった今、もう手だてはありません。そりゃ、ここまで酷使して来たお役御免のMTRですから、最後のご奉公として1曲だけでもカバーしてくれたのは、有り難い事と受け止めね
ばなりません(笑) 現在も老兵の中には80曲ほどのデータが残っています。その殆どはパソコン側に移して保管してありますが、やりかけて置いたままにしてあった曲のデータも移して、ここは永遠の眠りに着いてもらいましょう。老兵MTR、長い間ありがとう。
(^▽^) これで本当に最後になりました。お疲れさん...


 2012,11,22 (木) 老兵復活!
 「老兵は去るのみ」なんて言いますが、その老兵にすがらねばならない時もあって...現在の橋下市長の気持ちが良く解るようなアクシデントが発生!(*゚Д゚)
実は新兵MTRが壊れました(ノд≦。)。。 少し前からその兆候はあったんですが、何とか騙し騙しやってたのが、ここに来てにっちもさっちも(≧д≦) 一体何がダメなのか...こやつ、どうもハードディスクにキズを持っているようで、録音した音が時折飛ぶんです。あのCDが飛ぶのと同じように、せっかく録音したデータが部分的に飛んだり跳ねたり。
(*゚Д゚) って、まぁ跳ねるこたぁありませんが(笑)データ自身が音飛びを起こしてしまって、飛んだ食わせ物です。
こんな状態では録音も出来ず、困った(^_^;)と青ざめた処に老兵、旧MTRの出動です。
このMTR、ただ単にPLAYスイッチの接触が悪いだけで、ハードやその他は何とも無く(^_^;) そこだけ直せば良かば良かったんですが、直すのも買うのも大して変わらないだろうと思ったのと、この使い倒してハゲハゲの汚い機材を更に修理に出すのには、勇気が要ったと申しますか...(≧д≦) ひょっとすると、ZOOMのメーカーが泣いて喜んでくれたかも知れませんけどね(爆)ただこういうシロモノなので、この先を考えて程度の良さそうな中古のMTRを買うのが最善と考えたワケです。
しかし、甘かったですね...当初、あるトラックの音量調整が、違うトラックのフェーダーでしか調整出来ないというマイナートラブルが発覚して、返すか、または2000円の返金にするかの選択を迫られた時、ま、そのくらいどってコトないかーと2000円返金してもらって、そのまま使い続けたのがこのザマ(´;ω;`) あん時、返しときゃ良かった...
新MTRは恐らくハードディスクの交換になるだろうから、部品、工賃共で約2万円近くは取られそう(≧д≦) 方や老兵はスイッチ部分の部品の取り替えだけで済むだろうから、多分5000円くらいで済みそう。ただし、今後のハードディスク等の保証は無いけどね。(^_^;) さあて、困った...生きるべきか死ぬべきか...今後の不安を抱きながらも老兵を安く蘇らせるべきか、はたまた新兵を完全な形で復活させ、不安無く今後の録音環境を続けて行くべきか..それとも、また新たなる新兵を雇い入れるか...それが問題だ(-。-*) う〜


 2012,11,19 (月) RAINのショーに行って来た
 昨日、ビートルズ・トリビュードバンド"RAIN"のショーに行って来ました(^_^;) 発表当時、行くつもりは無かったのですが、ひょんなコトから行くことになりました(笑) なんつーてもニセモノに9500円はねぇ...(;´Д`A 場所はオリックス劇場、前の大阪厚生年金会館です。午後2時からの開演ということで20分前に到着しましたら、会場の前はおじさん、おばさんがてんこもり。第3次世代の若者の姿もちらほら見掛けますが、やはり圧倒的にグレーまたは、カッパヘッドが主流(笑)
チケットの席は前列より7列めのド真ん中(*゚Д゚) うーこれが、もしポールのライブなら...感涙しただろなぁ(ToT) ニセモノと高いチケットにも拘わらず、会場は8割がたが埋まってました。
ショーは4部構成で初期、66年辺り、中期、後期と別れていて、その間に幕を下ろしてコスチュームとカツラの着替え、付け髭、楽器の入れ替えなどの準備をします(^▽^) 悲しいかなビートルズの曲は2,3分と短いですから続けさまの演奏になります。MCも英語だから間が持たないし...つーことで、けっこう準備時間を待たされます。その間はステージ両脇に設えられたスクリーンに映し出され
る当時のイメージ映像でお楽しみ下さい...というワケ。で、どうでしたって?(^▽^) うーん、洗練された上質のコピーバンドって感じでしょうか。初期の頃はこんな感じのステージだったんだろなーとか、中期以降、もしライブがあったとしたら、こんな感じだったんだろうか...という疑似体験みたいな感じです。だから、言っちゃ悪いですが、感動するとか感激するとかはありません(≧д≦)
コピーは実に丁寧だし、彼ら4人のそれぞれの仕草、雰囲気をよく掴んでいる処は凄いし、これがブロードウェイでショーとして成り立っているのも解りますが、やはりショーはショーでしかないんですね。そこがアーティストのライブとは断然違うワケで、客のノリとしてもイマイチノリ切れないジレンマがあったように思います。とは言え、そういう疑似体験の中、彼らの演奏と共にビートルズソングを口ずさんだひとときは楽しい時間でした。
ポールもソックリだったけど、個人的にはジョージが良かったですね。初期の時は、おいジョージ、えらくジーサンやんか(*゚Д゚)と思いましたが(笑)中期以降で髭を付けると50歳過ぎの頃のジョージに良く似てて"While My Guitar Gently Weeps"のギターが最高に良かったデス(^▽^) このショーは、深く詮索をしない浅いめのファンにはピッタリと言えるかも知れませんね^^


 2012,11,17 (土) 得意のこじつけですけどね...(笑)
 掛かりっぱなしの事務所のラジオで、ここ最近耳につく曲があります。プロコム・ハルムの「青い影」
それも松任谷由実が唄ってるもの。デビュー40周年を記念してリリースされる彼女のベスト・アルバム『日本の恋とユーミンと』の中の一曲で、ユーミン自身の音楽のルーツとされるこの曲。
1967年にイギリスのロックバンド"プロコム・ハルム"によって生み出されたこの曲は、皆さんも再三耳にしたことがあると思います。その当時のメンバーが今回、ユーミンのために演奏し、唄ったという大変ありがたいコラボレーションであります。そしてその長い時の経過を感じさせない変わらぬヴォーカルが素晴らしいんですが、私には単に古く、懐かしい曲としか映りませんでした。
昨日、ここのBBSにbeatcoverマンさんからコメントを頂いて、私なりのレスをお返ししたのですが、宅録に於いての醍醐味はやり直しが出来ること。そしてそれは、いつでも、いつになっても出来ることと書いて、自分でもハタと気付きました。宅録...それは「自己満足」の世界と言われますが、実際は決して満足はしないということ(笑)
私も自分なりに完璧なモノを作りたいと常々取り組んでいますが、一度たりとも「完璧」と呼べる作品を作れたためしはありません。
常に「あとひとつ」「もうちょっと」がついて廻るワケです。でも、完璧に近いという作品が無いワケではないんですけどね(^0^)>
「あそこの唄い廻しがイマイチ」とか「あそこのギターのニュアンスが惜しいなー」とか。点を付けるとすれば90点とか95点の世界で、決して100点満点にはならないワケです。
自分の曲を聞くたび、そういう部分が気になったりしますが、何てんでしょう?いつか完璧に出来るかも知れない、未完の余力って言うんでしょうか(笑)そんな至らない部分に愛おしささえ感じてしまうんですね(爆)完璧じゃなく、終わっていない作品に。
これとよく似た処で考えると、ビートルズの作品ってみんなそういう感じだったなと思うんです。全然完璧でない。話し声が入ってたり、途中でタンブリン落としたり(笑)ピアノでとんでもないミストーンしたり、挙げ句の果てには歌詞まちがったり(^_^;) 普通ならボツテイクになってもおかしくないようなテイクが最終テイクとなってレコードになってる。
これって、普通では考えられないことでしょうね。日本の歌謡曲、ポップス、演歌その他色々、そして外国のポップス、ロック、クラシックその他諸々に至るまで、一般的には何処をとっても「完璧」と言えるテイク、何のミスもキズもないモノを善しとして世に出されているのが普通だと思います。その辺りのビートルズのレコーディングって、どうだったのでしょうか。「ま、ちょいとしたミスはあるが、キチンと完璧なのがベストってモンじゃないだろ。いーノリだったしさー(^▽^) これで行っとけーこれで」みたいなね(笑) そんな感じだったんじゃないでしょうか。ま、彼らは練習を積み重ねてからレコーディングするのではなく、セッションからテイクを重ねてレコーディングに繋がって行くという特異なスタイルであったコトもその一因なのかも知れませんが...

時の将軍、徳川家康公の...って、おいおい(*゚Д゚)何処へ話を飛ばすんじゃ!って?(´艸`)まぁまぁ  その徳川家康を奉っているのが、ご存じ日光東照宮ですが、その中でもメインとされる陽明門に1本だけ逆さ柱があるというのをご存じでしょうか?これは間違えたのではなく、わざと逆さにして寺そのものを未完にしているそうですね。「完全に出来上がった物は、その日をもって崩壊が始まる」という家康の遺言からそうしたと言われています。
ま、ビートルズの曲をこれに例えるのも如何なものかとは思いますが(笑) ああいった完璧でない、我々リスナーが起こすのと同じ人間的なミスなどが入り交じった、ある意味未完のレコーディングであったことが、未だ色褪せることなく現在でも通用する、古さを感じさせない音楽として生き続けている理由のひとつであるようにも思えます。ま、得意のこじつけですけどね(笑)


 2012,11,14 (水) すてきなダンス 最終テイク
 いつもの如く、まだやっとんたんかいなーですが(;´Д`A やっと整いました。あ、最近こんなのも言わなくなりましたね、怖いですねー(笑) 何がご不満で?(´艸`) いやね、例のオーオ・コーラスの馴染みの悪さがイマイチ気に入らなくてね。音程は合ってるんですけど、曲全体の流れで聞くと、どうもピッチが狂って聞こえるんです。特に上のポールパートがね(^_^;) オーオ!の後のオの部分。
で、ビートルズのオリジナルはと聴くと..これまたすんなり納まってます。一体何が違うのか?再三オリジナルを聴いてハタと気付きました。よーく聴くと後の"オ"が小さいんですね。ポールは同じ強さでオーオ!と唄ってるんじゃなくてジョンの調子に合わせながらオーォ!と少し抜くような歌い方をして、この部分がオカシク聞こえないように調節してるんですよ(*゚Д゚)最後の"オ"を小さくするコトで下のジョンパートの"オ"が少し全面に出されて自然なコーラスに聞こえる(;´Д`A
ポールはこの頃から色々細かく歌い分けが出来たんだな、と再確認しました。現場で「ジョンがこう来るならボクはこう行くか...」みたいな事が自在に出来たわけですから、そりぁもう最強のパートナーですよね。あと、ジョージヴォーカルのダブルトラックのサブヴォーカルが大き過ぎて、微かな唄い廻しの違いが強く出ていたので、そのサブを少し後ろに引っ込めてスッキリさせました。
最終モノミックスとして「すてきなダンス」のページに置いていますので、今一度聴いてみて下さい。


 2012,11,13 (火) Cutsさん、驚く
 世の中、色んな人生がありますね。つい最近、石田純一さんの3人めの奥さんに、石田さんにとっては3人めのお子さんが生まれましたが...石田さん58歳。(-。-*)う〜 甲斐性あるなー 息子が成人した時は78歳かぁ...(≧д≦) ひょぇ〜 いや、これは甲斐性だけの問題でもなく、気力も必要でしょうね。石田さんの長男一成君が37歳...孫でも遅いくらいの我が子ですか。しかし、奥さんの理子さんも大変な難産だったそうで、帝王切開ギリギリの処まで行ったとか(*゚Д゚) 無事、ご出産なさって何よりでしたね。健やかに育って欲しいものです。
さて、そういう出産のおめでたい話とは裏腹なご葬儀のお話。実は一昨日同級生からメールがあって、私の古い知り合いのお母さんが亡くなったが、知っているか?とのことでした。その知り合いとは私が若い頃に勤めていた会社の後輩で、あぁ、後輩と言っても歳は4つ上でしたが、気が合って先輩後輩など関係なくよく遊んだものでした。会社が別々になってからも年に一度くらいは顔を合わすような存在だったのですが、ここ最近は電話を寄こすくらいで二年くらいは顔も見ていませんでした。
連絡してくれた同級生というのは彼の従兄妹で、家族葬になるから恐らく連絡が届かないだろうからと気を遣ってくれたようです。私の親父の葬儀の時にも駆け付けてくれた彼の母親の葬儀、行かないわけがありません。と、夕べお通夜に行って来ました。
彼が奥さんを亡くしたのが今から13年前、当時高校生だった二人の娘さんも立派に成長されて子供さんを抱いてます。あ、下の女の子、亡くなった奥さんにソックリになられたなぁ...男手ひとつで頑張ってよく育てたよなぁ...立派になられた娘さんの焼香姿を見てると感慨深いものがあります。
一般焼香を終えて、すぐ帰るのも何だし彼に会って帰ることにしてロビーで待ってたら彼がやって来ました。私に連絡しなかったのが気まずいのか、苦笑いで頭を下げる彼。お母さんは87歳、認知症やガンの転移などでここ2年ほどあちらこちらと病院を渡っていて、一昨日息を引き取られたそうです。日本女性の平均寿命が85.9歳といいますから、寿命を全うした大往生というコトになります。が、大往生とは言え、自分の母親と別れるというのは、やはり悲しいものだと思います。
そんな立ち話をしていると彼の足元にまとわりつく男の子が一人...小学低学年くらいでしょうか。(*゚Д゚)?はて、長女の子供にしちゃ大きな子供だなぁ..彼にはかなり年上の兄がいるから、お兄さんの孫さん?って訊いたら「オレの子」(*≧д)ノシ彡☆こら、冗談言うな!誰の子やねん!「オレの息子やがな!」(*゚Д゚)(*゚Д゚)(*゚Д゚)...もう一度聞くが誰の子?「だから、オレの子やって!」(@o@)ガっガッビ〜〜〜〜ン!!!ほんまでっかぁ〜〜(≧д≦) ひぃ〜やぁ〜〜
こいつそういったやり手でもない、どちらかと言うと寡黙なタイプなんですよ。で、ヨメさんはと聞くと、私と一緒に勤めていた当時の会社の事務員だった女性...と、顔をこわばらせて白状 (@o@)どっひゃあ〜〜〜!うっそぉ〜〜!Cutsさん、目が点!58歳にして7歳の息子かぇ〜〜 それも昔の事務員つかまえて(*゚Д゚) そりゃ、3年前に彼の父親が亡くなった時に私を呼ばない筈だ。
聞くと8年前、奥さんが亡くなられて5年後に再婚したらしい...何の連絡もしやがらんと...(≧д≦) 「オレはいつまで働らかなあかんのやろ?」と彼が言う。んなもん、一生じゃ!ヽ(`Д´)ノそう言ってやりました(笑) 微笑ましく目出度いことではあるけれど、久々に驚きました(;´Д`A


 2012,11,11 (日) 37年振りの懺悔
 私んちは天理教です。物心着いた時から天理教だからしょうがない...いや、しょうがないコトもないか(笑)日本には宗教の自由ってのもありますから、実家がそうだからと言って引き継がなきゃならないってこともないのですが、基本的な教えは間違っていないと思っているので、家の宗教として信仰?してます。って、言う程の信者じゃなくて「なまくら」が付く程度のモノなんですがね(^_^;)
で、昨日のコトですが、私んちが所属する分教会が設立60周年ということで祭典に参加して来ました。滅多に行くことはないんですが、いくら「なまくら」でもこういう記念式典に参加せねばならんでしょう。1時間半に渡る「おつとめ」と呼ばれる礼拝の正座は適いませんが、致し方の無いところ(≧д≦) いや、実は創立の式典とかそんなコトよりも、本意としては高校時代に一緒にバンドをやっていた後輩のキサブローに会えるだろうと思って行ったんです。
このサイトの「拝啓、敬愛なるジョン・レノン様」を読んだ方の脳裏の片隅には、ひょっとして残っているかも知れませんが、高校生当時に組んでいたバンドの過渡期に、私の優柔不断な対応で気まずい交代劇を演じた初代リードギタリストのキザブローです。なんて言うと大袈裟ですが、彼はこの分教会の次男坊で、現在は天理教と無関係の仕事に就いていますが、実家の祭事ってことできっと帰って来てるだろうと思って行ったワケです。
その件について...特に最近こういった宅録を始めたこともあって、昔を思い起こすたび彼の事を思い出しては懺悔の念を繰り返すこの10年(^_^;) いやね、本当は10年前の50周年の時も顔を合わせてたんですよ。当日、詫びを言いたかったのですが、どうも言い出せなくて想いはそのままになってしまいました。恐らく、昨日のこの時に言い出せないと一生言うコトが出来ないような気がして、出席することに決めたんです(笑)

案の定、キサブローは来てました。当時のか細く繊細な少年は、立派な頬と体格を身にまとった貫禄ある壮年と化してました(笑)足の痛くなるおつとめを終えておならいの食事...彼は仕事の都合で早いめに東京に帰らなければならないと彼のお母さんから聞いてたので気が気でありません。食事が始まって少しして彼がお酌に回って来ました。お互いビールを酌み交わしての昔話、ここぞとばかりに当時の話を出しました。
(*゚Д゚)なにっ?覚えてない?...(≧д≦) がくっ 私の高校で演奏したことや、それまでの練習などは覚えてるが、私が彼の姉に直談判に行ったことや、メンバーチェンジに至った時のコトなどはあまり覚えてないと言います。その姉も同席してたので、そのことを話しましたが、全く覚えていないと...(*゚Д゚)ええっ_| ̄|О ま、人それぞれに覚えているシーンが違うから無理はないのですが、長年気にしていた私にとっては大きな肩透かし(笑) ただ、あと入りギタリストのター君の演奏を聴いた時はその上手さに驚いたのは覚えているとのこと。「あぁ、これでオレの出る幕は無くなったな」と思ったそうです(´;ω;`) うー、やっぱ、そう聞くと今でも胸が痛みます。その後、当時の色んな昔話で盛り上がって、次にこちらへ戻った時にはゆっくりと飲もうと約束して別れました。
相手が覚えていないとは言え、長年抱えていたモヤモヤとした気持ちをやっと伝えることが出来て、身勝手ながらスッキリしました(^▽^) ま、どうやら完全な独り相撲だったようですが(笑)


 2012,11,10 (土) 今日から通常営業に戻ります。
 旅行から帰ってきた一週間は旅行記を書くのが精一杯で、日記がここまで飛んでしまいました..
と言ったところで、これと言って書くことがなかったのも事実ですが...(^_^;) 旅行はいいですね、仕事のコトも宅録のコトも忘れられるし(笑)
さて宅録ですが、今回「すてきなダンス」を録音し直しました。この曲、好きなんですよね。チャーン、チャーン、ドンヅカダッター♪(笑) 元はジョンの作った曲ですが、詩作がヤワな感じで自分のイメージに合わないとしてジョージに歌わせた(*゚Д゚)という逸話は有名ですね。そんなん言われて歌わされたんじゃ、ジョージも堪ったモンじゃなかったでしょうに(笑)なにっヽ(`Д´)ノ オレはヤワなんか!
でも、ジョージのメインということでジョンもポールも張り切ってますよね。ジョンは例のカッティング、これカッティングも難しいですけど、コード変更も早くて、かなり練習しました。
ジョージ曲ではポールのベースが唸る!と言われるように唸ってます、唸ってます(笑) 張り切り過ぎな感じは否めないんですが、カッコイイんだなこれが。部分的にメロディラインをモロに弾くとこなんざ、正にポールベース。ジョン、ポールの影に隠れて、ボーカルはイマイチみたいな印象のジョージですが、何が何が...じっと聴き返したらナカナカのもの。微かなニュアンスの違いも発見したりで、今回その辺りも含めて歌ってみました(^0^)> 現在はまだ最終形でないのでYou Tubeにアップしていませんが、今日、明日には公開出来ると思いますので、今しばらくお待ち下さい。


 2012,11,04 (日) 帰国 アン・ラッキー(≧д≦)
 さぁ、最終日は帰国あるのみ。飛行機の出発が午前8時30分というコトで、李さんが迎えに来たのが5時40分。私達は5時起き...外は当然真っ暗。さすがに最後は大名車ではありませんで、マイクロバスでした(笑)私達の他に女性客が6人、木曜日に来た人達でしょうか。
バスは初日に来た道を逆にひた走ります。台北市内を越えて空港まで続く高速道路、郊外ながらウソのように乱立する高層マンション群...このような風景は日本にはありません。そして、この早朝にも拘わらず激しく競り合うように走る車、タクシー、そしてスクーター...この国はパワフルでエネルギッシュ。貧富の差が大きいとは言え、国民の皆が各自必死で働いているのが伝わって来ます。昔の日本も全くこんなだったのでしょう。活気の無い今の日本の現状を考えると羨ましく思えます。
6時半に空港に到着...搭乗チケットを貰って、ここで李さんともお別れ。少しの間でしたが、楽しく過ごせたと御礼を言って握手しました。「マタキテクタサイ、バイバイ」ちょっとはにかんだ様子の李さん(笑)に手を振って別れました。出発まで2時間弱、取りあえず搭乗手続きをして中に入りました。
当然、朝食は食べてないのですが、飛行機が飛んだらすぐさま機内食が出るだろうから、ここは我慢です。免税店で買い漏れた分のお土産を買い、その辺をブラブラしながらの時間つぶし...いつものコトですが、つまらない時間です。搭乗ロビーで待つも8時を過ぎても搭乗案内がされず、いじいじしてたらフライト時間の8時30分になってようやく搭乗案内されました。来た時も離陸をかなり遅らされたし、ま、こんなものかと飛行機に乗り込みました。
さぁ、乗り込んだものの30分が経っても離陸する様子が無く、(*゚Д゚)?CAがジュースやお茶を出し始めました。おい、こりゃあ、当分飛びそうにないぞ。離陸許可が下りないとか、そんなんじゃなさそうだな...搭乗して1時間半が過ぎた頃、機長からアナウンスがあり、機体に不具合があり、パーツ交換をしたが思わしくないので、別の機体に替わって頂きたいとのこと。
(*゚Д゚)なにぃ〜 暗いうちから必死こいて起きて来たのにこのザマかい(#`Д´)ノゴルァァァァァ!! 腹立ちますよー でも、あのウルサイ中国人達が何も言わずに黙ってるのですから、紳士な日本人の私が言うワケには行きません(^_^;) 250元の食券を渡されて、空港内のレストランで何か食べて来て下さいとのこと。(*´Д`)=3 ちゃんと飛んでたら、あと1時間もしないうちに関空だったのになぁと思うと恨めしい(≧д≦)くかー
仕方なくフードコートに行って、何食べるか物色...( ^ω^)ノ)牛肉麺にしよ「ここに来て、まだ牛肉麺たべるか!」ヨメに呆れられましたが、そういうヨメも同じ牛肉麺を注文(爆)そうそう、次男の店からの帰り、SOGOのある駅で途中下車して小籠包と塩牛肉麺食べたんです(^0^)> さすが、粉モン大好きCutsさんでしょ。12時過ぎにやっと新しい機体に搭乗、おおっ、この機体はエコノミークラスじゃなく、かなり足元が広いデラックスクラス。遅れたコトへのお詫びってことか...現地時間12時40分、やっと離陸(*´Д`)=3
それから2時間弱、途中機内食が出ましたが、んなもの食べられるワケもなく、ビールだけ頂きました。関空に着いたのは日本時間の3時40分...リムジンバスに乗って奈良まで行き、JRに乗って我が家に着いたのは7時前(*´Д`)=3 遊んで来て言ってはいけないけど「疲れたー」
台湾...とてもパワフルな国だけど、韓国より少し品のいいパワフルさ。何とか買わせるまで客を放さない韓国とは違って、ダンピングするなら買わないでいい。買いたい人が買ってくれればいいというようなスタンス。だから、こちらも気兼ねなく店に入れる気がします。それと富と貧が入り交じる奇妙な風景。擦り傷だらけのスクーターが両脇に処狭しと並び、少し不衛生な店が建ち並ぶ細い路地から眩しいようなポルシェやBMW、ベンツのオープンカーが出てくる国(;´Д`A
「暗黙の内の無茶」と私が名付けた交通環境(笑) 皆が真剣に運転しているのが解ります。知らないお互いが阿吽の呼吸とアイコンタクトで進路を変え、運転する様はある意味素晴らしい。別の言い方をするととても危険ではありますが(笑)それが台湾という国なのでしょう。今日も地鳴りのような音を立てて走る車、スクーター群...活気ある国、台湾。いったい彼らは何処を目指して走っているのでしょう、訊いてみたい気がします。


 2012,11,03 (土) 自由行動 その1 「油化街」
 今日はお迎えの大名車も専属ガイドも来ません(笑) 大名旅行も有り難いようで開放されると反面、ホッとします(*´Д`)=3
今日は最終日の自由行動、タクシーの初乗りです(^_^;) 行きたい住所を漢字で書いて運転手に見せると、ちゃんとその場所まで連れて行ってくれます。台湾は地名地番がキチンと明示されているので、Door to Door感覚で目的地に着きます。「目的地はこの近くです」なんて言う出来の悪いナビとは大違い。朝食を済ませて9時前からタクシーに乗って油化街という問屋街へ行きました。そこでカラスミや土産を買うんです。タクシーで走ること12〜13分...台湾のタクシーは安いと聞いてましたが、何と130元!日本円にして360円くらい。初乗りが70元で250mごとに5元づつメーターが上がって行くと言う安さ。日本のタクシーの感覚だと1200〜1300円って感じでしょうか、嬉しくなって来ます(^▽^)
問屋街のメインストリートには乾物や漢方薬、お茶、布地などの問屋がズラリと並んでいます。さすがに問屋だけあって、置いてる品物の量たるやハンパじゃありません。途中、お寺があったのでお参りしてカラスミ専門店へ。問屋ですから値段が書いてません(^_^;) カラスミを見せてくれと言うと冷蔵庫から5枚ほど出して来ます。幾らかと聞くと1枚(1対)で500元(1370円)だと言います。
日本の物から言うとメチャ安いですが、観光客と思って吹きかけられてるのかも?なんて思うものの、疑っても仕方が無いし試食したら美味しかったので2つ買いました。(後に空港で見たら1枚で900元してましたからボッタクリでは無かったようです)
この他、プーアル茶や干しマンゴー、その他諸々を買ってひとまずホテルへ戻りました。かなり安かったんでヨメはご機嫌。
昼までに次男の住むアパートに行く予定なのですが、こっちから持って行ったクツやらお菓子、カップ麺などを持って行かねばならないので一端ホテルに戻りました。荷物を纏めてまたもやタクシーで次男の住むマンションへ。そこは台北101の近くの都会の一角。
ま、都会とは言っても下町もあるもので(笑)でも、ここらは台北の中でもかなり家賃の高い場所だと聞きます。タクシーを降りて電話したら、少ししてヒゲ面の次男がマンションから出て来ました。相変わらず汚ならしい(^_^;) 部屋は1ルームで、日本のワンルームより少し広めですが、床は土足のリノリウム...ベッドとテレビだけの寒々とした部屋です(^_^;) 小一時間話をしてたらお昼になりました。「何が食べたい?」と聞かれたのでラーメン大好きCutsさんは牛肉麺をリクエスト。ま、ラーメンではありませんが、やはりココに来たらコレを食べねば。次男の行きつけの旨い店があると言うので次男の後を着いて行きました。
 2012,11,03 (土) 自由行動 その2 「猫空」
新興地区とは言え、その周りはやはり昔からの下町...例の香辛料の匂いやら臭豆腐の匂いが町中に漂ってます。前を行く次男の後ろ姿を見ながら、こいつは常にここで強かに暮らしているんだなぁ..などと漠然と思ったり。歩くこと10分弱で店に着きました。さすがそれなりの店構えです(笑)誰かに教えてもらったのかと尋ねると、現地のスタッフだそうです。スタンダードな牛肉麺、120元を各自ひとつと水餃子を一人2個づつ頼みました。牛肉麺は小を頼みましたが、かなりの量です。凄くスパイスが効いてて濃い出汁ですが、意外とアッサリしていて太めの麺と良く合ってます。麺はきしめんを細くしたような麺で、けっこうイケます。次男に言わせると、日本のラーメンと同じで作る店によって全然旨さが違うとか(^_^;) そりゃそうですよね。でも、ここの牛肉麺は最高に美味しかったです。
夜は次男の店で焼き鳥?を食べるので、ここで一端お別れです。夜の再会を約束して電車の駅まで送ってもらいました。午後からは台北市東側の山麓にある「猫空・マオコン」へ行く予定ですが、少し遠いのでMRT(台北の鉄道)を使って行くことにしてます。
ちょっと不安ですが、知らない国での鉄道利用は少しスリリングで楽しい(笑)でも、漢字の国なんで、ちゃんと駅名は解るし、ハングル文字の韓国に比べたら天国のようだと語るはヨメ。更に東京、大阪なんかよりずっと解り易いとも(^_^;) 終着駅まで25分程度ですが、運賃は何と30元!(*゚Д゚)たった90円でそこまで行けちゃうワケ?って思ってしまいます。日本の感覚なら320円ってとこでしょうかね...面白いのは切符を買う時、先に金額ボタンと人数を押してからお金を入れることと、切符が樹脂製のコインだということです(^_^;) 中にチップか何かが入ってるんでしょう、日本のカードみたいにポイントにかざして入り、出口では投入口で回収です。
何度でも使えるように考えてあるんですね(^▽^)合理的です。1回乗り換えて猫空に着きました。ここは動物園と猫空ロープウェイがあります。
ロープウェイ、頂上まで50元(140円)の切符を買って乗りました。床がクリスタル仕様のゴンドラがあるのだそうですが、並ぶ列を間違えてノーマルゴンドラに(^_^;) ま、戻る時に乗ればいいか。綺麗な白いゴンドラは山並みをグングン登って行きます。少しすると台北市内が一望出来る高さに...遠くに台北101が見えます。周りはパノラマ状態...しかもゴンドラはまだまだ登り続けます。
足元に広がる一面の雑木林..そこからはツクツクオーシの鳴き声が聞こえます。ロープウェイに乗ること約20分、やっと頂上に着きました。このロープウェイ、ホントに値打ちがありますよ!片道1000円だと言われても納得出来ます。ただ、上にはお茶屋さんとちょいとしたレストラン?食堂しか無くて他に何があるではありませんが...ただただ景色が綺麗で夜は夜景を見に人々が集まって来るようです。
頂上で2時間近く散策して、レストランでお茶ではなくビールを飲み(笑)帰りはクリスタル床仕様のゴンドラに乗りました。下りは何故かクリスタルゴンドラの方が極端に客数が少なく早く乗れてラッキー!余程スリルがあるのかと思いましたが、それ程のものでもなくて残念。ヨメがもっと怖がると思ったのですが、とんだ肩透かしでした(^0^)>
 2012,11,03 (土) 自由行動 その3 「次男の店」
 一端ホテルに戻って、裏の市場をウロウロ。もう、ここも慣れたもので、何処に何があるのか大体解るようになって来ました。しかし、本当に大したものはありません。9月に次男が帰って来た時、手ぶらで帰って来たので、土産くらい持って帰って来いと言ったら、大して何も無いからと言ったのが解るような気もします(^_^;)
7時過ぎに店に到着。思ったより広い店で、台湾人のバイトを5人使っての営業。最近、焼き方の男性が辞めてしまったので、次男一人が忙しいそうです。(早く仕込め!)
客席と厨房の間がガラスで仕切られていて、煙が一切出て来ないようになってます。
ですから、仕事をしながらこちらと会話することが出来ません。日本なら考えられませんが、何か当地の事情や規制があるのかも知れませんね。ただ、店外に焼き鳥の匂いがするように、フードの先はしっかり店先に向けられてましたが(笑) 台湾には焼き鳥という料理が無いんですね。客は8割が台湾人だそうです。
1本、50〜60元ですから日本の価格とそう変わらないのでしょうが、こちら台湾の最低賃金(1時間100元くらい)を考えると、とても高価な食べ物と言えます。ですから、食べに来る台湾人客は殆どが富裕層の人達だそうです。ネギマやモモ、スナズリなど注文して食べました。以前は鶏肉の質が悪くて不味いと嘆いていた次男でしたが、ようやく良い鶏肉の仕入れルートを見付けたみたいで、日本の焼き鳥と変わらないレベルの味にはなっていました(^_^;) 炭は備長炭を使っているので良い香りがします。生ビール4杯飲んで、やっとここに来て晩酌をした気分(^0^)> 恐らく、次の正月にも帰って来ることは無いのだろうなぁ...と思いつつ、しっかり元気でやるようにとだけ告げて店を後にしました。


 2012,11,02 (金) ハード・スケジュールの三日目
 3日めの朝は9時にお迎えが来ました。専用車の送迎にも慣れて(笑)乗降の身のこなしも軽やかに世界三大博物館のひとつと言われる故宮博物院を見学に...車で小一時間、台北市の北部にある高級住宅街、またの名を別荘地と呼ぶ住宅街を抜けると、博物館に到着しました。外観はイマイチ軽いかなって感じですが、中は驚くほど広くて、全部を見るには何日も掛かるそうです。
以前、ダウンタウンの浜ちゃんが台湾に来た時、ここに始まり、ここに終わったそうです(爆〜) 見掛けに寄らず、彼はこういうモノを見るのが大好きなようです(^_^;)
ガイドの李さんによると見なければならないアイテムは5,6箇所と決まっていて、それを押さえるにしても1.5時間は掛かるとのこと。博物館内は観光客でいっぱい!(*゚Д゚) どうやら9割方が中国本土の観光客のようです。尖閣の件があってから日本へは行かず、その先を台湾に変える傾向にあるからでしょうか。相変わらず大きな声で喋るわ、時たま並んでいる横からスルスルと前に抜けて行くわ...相変わらずマナーが宜しくありませんね(^_^;) 「ニホンジント、チューコクジン、チガイワカリマスカ?」と李さん。服装なんかで何となくは解りますけど、ホント良く似てて顔だけでは良く解りません。「ワタシハ100%ワカリマス」へぇーなんで?何処が?と聞き返しましたら「チューコクジンマナーワルイ、トテモゲヒン、ニホンジンシンシ、ジョーヒンデス。ミタラ、イパツデワカリマス」
(-。-*) うー、解るような、しかし、これと言って根拠の無い抽象的なアンサーですが(笑) あ、そう、と言うしかありませんでした(^_^;) 台湾の人々にとって、中国本土の中国人というのは民度の低い恥さらしみたいな感覚で、良くは思ってないようです。あいつら中国人と台湾人は違うんだと言いたげなのが良く解ります。

絶対に見なくちゃならないのが翡翠を使った彫刻「翠玉白菜(すいぎょく・はくさい)」(*≧д)ノシ彡☆ なんで白菜やねんと思いますが、これよく考えられてます。本来深い緑色が翡翠のモットー、しかし殆どが白く値打ちのない翡翠を見て彫刻師がハタと閃いたんでしょうね「(-。-*) これは白菜に似ている」ヒャハハ(*≧д)ノシ彡☆ つーワケで白菜になったのですが、葉のところに大小2匹のキリギリスが乗ってる処がミソ(笑) つーかチャメっ気があります。これは子孫繁栄を意味するんだそうで、清国の何とか言う妃の嫁入りの時に持って来た品だとか。この他、この博物館には中国の殆どの重要文化財が置かれているとのことです。その昔、日本軍や戦火から宝物を守るために蒋介石が、重要な物を殆どこちらに移したのだとか。
次は「肉形石」これは瑪瑙類の鉱物なんだそうですが、豚の角煮そのものに加工されてます。これは一枚岩ではなくて上の皮の部分に別の石を足してあるそうですが、その皮の部分も毛穴がちゃんと彫られていて凄くリアル!この他色んな彫刻を見ましたが、当時の中国の彫刻師の技術は秀逸で目を見張る作品ばかり(@o@)これと他にはオリーブの種に彫刻した船とか..それは小さい、小さい(≧д≦) 見事ではあるんですが、虫眼鏡で拡大してくれているとは言え、老眼には厳しい厳しい(笑)
 2012,11,02 (金) ハード・スケジュールの三日目(^_^;) その2
  そこから車に乗って、お約束の免税店に案内され、お約束通りに何も買わずにスルーして昼食です。 昼食は食べ放題のバーベキュー(*゚Д゚)バーベキューと言うから屋外でゴツイ肉や海産物を焼くのかと思えば、あるビルの5階にあるレストラン?に連れて行かれました。聞けば好きなだけ入れた肉や野菜を焼いてくれると言うのですが、どうも要領を得ません。李さんに連れられて食材置き場に並びます。そこには刻みキャベツ、人参の千切り、モヤシ、冷凍スライス肉などの食材が各トレイに山積みされていて、それを適当にボウルに入れてそこに色んな調味料を掛けて調理場に持って行きます。
かなり萎むのでてんこ盛りに2杯くらい持って行けとのこと(^_^;) 厨房はガラス張りになっていておじさんがひとり。大きな高温の鉄板の上に各人が持ってきたボウルの中身を載せて長い箸を使ってジュウジュウと焼きます。はいどーぞ!みたいに渡された野菜炒めはボウルひとつに萎んでました。これけっこう旨いんです。調子に乗ってこれとご飯をお代わりし、湯鍋料理も少し食べた日にゃ、もう、お腹はパンパン。(*´Д`)=3 はー大して食えないくせにいじましいですね。
食事を終えてから車で走ること1時間、台湾のベニス?と呼ばれる淡水へ向かいました。ここには紅毛城という植民地時代の外国人が建てた建物があります。スペイン人が建てた建物とスペイン勢力撤退後にオランダ人によって建てらた建物があり、以降1980年に所有権が中国政府に移管されるまでイギリス領事館として使用されていたと言います。牢獄があったり、領事館としての部屋があったりで、当時の生活の様子が良く解ります。一通り建物内を観覧して海岸めぐり。今日は晴天で、かなり暑いです(;´Д`A

この淡水という街は何処か温泉街、特に伊豆なんかの温泉街を彷彿とさせる雰囲気があります。そして、そのメイン通りの裏側、海岸通り側が最近埋め立てられたそうで、そこにはずらっと色んな店が並んでいます。的当てやゲームセンター、ソフトクリームや土産物、海産物をチョイスしてその場で料理して食べられる店など...ウシガエル売ってるのには少し驚きました(^_^;) それもここで食べられるそうです。ま、これといって大して何もない夜店のような場所ですが、花の金曜日とあって多くの人出で賑わってます。一通り歩いたので旧のメイン通りへ...
ここも土産物屋などがひしめいています。あれこれとブラついて見るものの大して欲しくなるようなモノはありません。小店でおばさんが売ってたおかきのようなお菓子を買いました(笑) そのうち金物屋で「グリグリ棒」発見!(*゚Д゚) 木の枝を?形に曲げた自己ツボ押さえ棒とでも呼べばよいでしょうか。肩こり症のヨメはこれが欲しくてずっと捜してたんです(笑) 何も台湾に来てまでと思うのですが、選別する目が今までになく輝いてます(*≧д)ノシ彡☆なんと値段は30元(90円) 即買いしてました(爆)欲しかったグリグリ棒が見付かってヨメは上機嫌(´艸`) ここは夕日がとても綺麗だと聞いてたのですが、日没まで待てなくて残念。李さんに写真撮ってもらったのですが、どうも上手く逆光モードにならなくて、更に残念(≧д≦)

そこから台北市内へ戻り、レトロな雰囲気の海鮮料理店で夕食です。夕食って、まだ5時半でっせ(*゚Д゚) いつも夕食は8時頃に食べる我々、それに欲どうしく食べ過ぎた昼食がまだつかえてて、とても食事のモードじゃない(≧д≦) とは言え、出されたモノを食べずしてなんとする(笑)ここもコース料理で、看板メニューの担仔麺や海鮮料理が次々と出て来ます。何とか箸を進めるも食事半ばでギブアップ!勿体ないけど食べられませんでした。
食事が終わって、台湾のパワフルスポットである士林夜市を探索です。衣類、クツ、雑貨、傘などどうでもいいような安いモノばかりがズラリと並ぶ商店街に若い人々がワンサカ!台湾人は夜市が大好きなんだそうで、市は凄い人出で賑わってます。「スカーフ100元」これにはさすがのヨメもよろめいたようで(笑)二つの店で1本ずつ買いよりました。1時間ほどの散策のあと、足裏マッサージ店へご案内。今日は朝から晩までよく歩いたんで脚はパンパン。体験マッサージなんで15分と短かく、別料金で追加出来たのですが、ヨメが言うにはどんなものか(痛くないか)解らないのに、長時間やられたのでは堪ったものではないと、追加しなかったのでそのまま終わりました。でも、まずまずの気持ち良さでした(^0^)> そこからホテルへ送ってもらって10時前...さぁ、明日は事実上の最終日。丸一日の自由行動です。


 2012,11,01 (木) ラッキー(^▽^)その1
 さーて本格的なツアーが始まる二日目です。ガイドが迎えに来るのが午前10時半(*゚Д゚) なんぼ"ゆったり"だと言ってもゆったり過ぎるやろ(#`Д´)ノ と怒った処で仕方がない。で、近くにある有名なお寺へ参拝に行くことにしました。でも、そんな朝っぱらから?って思うでしょ(笑) ここは朝4時からやってんですよ、夜の12時まで(^_^;) コンビニ寺院ってか(笑)
横のメインストリートには大量の車と黄色いタクシーと恐ろしい数のスクーターが洪水のように流れてます(^_^;)ホテルから歩くこと15分。寺院に着きました。さて、どうしたものか...入り口でお供えと長い線香を売る老婆軍団(笑) 買ってる人もたくさん居るし、線香無しでお参りってのもダメだろうと、とりあえず一袋3元の線香を2袋買って中に入りました。中に入ると一人のお婆さんがハイハイと言うように私達の線香の袋をむしり取るように奪います。(#`Д´)ノ何すんじゃー!って感じですが、ここでは一端お世話ババアに全て渡さないといけないみたいで(^_^;) その婆さんが束にして持ってる火の着いた線香を分けて頂かねばならないようです。
(>_<) なんでやねん!買った袋の中には5本くらいの線香が入ってたみたいなのに、くれるのはたったの2本かい!納得行かないんで、もう2本寄こせ(#`Д´)ノって感じで言ったら、2本くれました(;´Д`A やれやれ(笑)ヨメの分も4本貰って、何とか気の済んだCutsさん。しかし、イマイチ拝みようが解らない(>_<) ただ、商売繁盛の神様か仏様だと言うんで、とりあえずよろしゅーにと言っておきました(^0^)>
そして、その辺りの街をうろついてたら、朝メシ屋発見!つか、スパイシーないい匂いがしたので、つい後戻りしてどんなモノか見てみることに。朝ご飯なんでしょうか、若いおねーさん達が店に並んで注文してます。おーあの焼きそばみたいなのウマソー( ^ω^) 朝食食べたばかりだけど、何となく食べたくなって店の中に入ってみた。「何にしましょ?」多分そんなこと言ってるんでしょうけど、まったく言葉が解らない(笑) 仕方ないんで、鉄板指さして両手で焼きそばをコテで掻き揚げる仕草をして見せたら店員がにっこりとOKマークで納得(笑) 35元(100円)で一人前を紙箱に入れてくれました。それを道路脇の小さな広場で広げました(´艸`) 独特のスパイスが効いてて結構美味しかったです。
で、また来た道を戻ってホテルに戻るとガイドの李さんが暫くしてやって来ました。「キョーモ、ヨロシクオネカイシマス」(^▽^) なんか片言の日本語って可愛いですね。「サア、イキマショ」促されて表に出ると空かさずやって来たのは、昨日とは違う黒塗りの日産フーガ。昨日のベンツに劣らない大きな車です。昨日と同じように運転手が素早く降りて来て後部ドアを開けます(*゚Д゚) ええっ!なんでやねん!どうやら、この日からのツアーに申し込んだのは私達だけだったようです。
「サンジューイチニチノオキャクサン、スクナイデス。オキャクサンタチ、トテモラッキーデス。コレ、ホントダッタラスコクタカイデスカラ」
(*゚Д゚)いーっ!そうだったのか!本来一般ツアーとして申し込んだのが、私達の他に誰も居なかったが為に専属ツアー仕様になってしまったようです。専属運転手に専属ガイド...正に大名旅行です!(爆) 観光地に着けば空かさずガイドと運転手がドアを開けてくれて、車から降りる。乗る時も当然同じように搭乗してからドアを閉めてくれる。天皇陛下とまでは言わないが(笑) 凄くVIPな気分、こんな気分は始めてです。めっちゃ気分いい〜〜!(^▽^)

そんなお殿様、お姫様気分で向かったのが中正紀念堂という蒋介石を讃えた記念館です。広大な敷地の左右に美術館と演劇場があり、中央にドドンと大きな建物、中正紀念堂があります。中に入ると広い空間に大仏みたいにデカイ蒋介石の銅像が座っていて、その両脇に銃剣を持った衛兵?憲兵?の人形が置かれ...と思ったら、本当の人間と聞かされてビックリ!(*゚Д゚)
これは儀仗隊と言って、ここの警備にあたっているそうで、午前9時から午後5時まで警備が続くとのこと。1時間ごとの交代儀式は台湾観光の名物なんだそうです。180pはある痩身の若い憲兵3人が。それはそれは厳かにゆっくりと脚を上げては止まり、一歩進んでは止まりして蒋介石の銅像へと向かいます。普通の人間なら歩いて30秒くらいのところを5分、いや、もっとかな...かなりの時間を掛けて行進し、やっと辿り着いたかと思うと、交代までの儀式がまた長い、長い(;´Д`A 彼らは一度も瞬きをしないように訓練されていて、一度警備に就いたら最後、蚊に刺されようが、何があっても動いてはいけないそうです(^_^;) 昔はこの任務が名誉とされたそうですが、現在は誰もやりたがらないそうです(笑)そりゃ、そうでしょうね(^▽^)
 2012,11,01 (木) ラッキー(^▽^)その2
 次は龍山寺に行きました。ここは台北市内で最古の寺院であり、台北101、故宮博物院、中正紀念堂と並ぶ台北市の「四大外国人観光地」とされてるそうです。ここも観光客やお参りする台湾人でいっぱい(*゚Д゚) 安産や縁結びなど色んな神様、仏様をお祭りしているようで、長女と次男用に御守りと赤い糸を頂きました(笑)で、私は取りあえず商売繁盛をお願いしておきました(笑)
お昼は市内のレストラン飯店で台湾料理のコース。メインは豚の角煮ですが、これがめっちゃ旨い(*゚Д゚) 後はボイル海老とか蛤のスープとか、オムレツのような料理...どれをとっても凄く美味しいです(^▽^)
世は大満足で殿と姫は次の忠烈祠という戦没者を奉る宮殿に案内されました。ここは日本で言う処の靖国神社のような処です。
ここでも中正紀念堂と同じく儀仗隊の交代儀式がありましたが、道のりが凄く長いので、さすがにここでは早めの行進でした(笑)
それでも、かなり遅いですが(^_^;) この後、永康街でフルーツかき氷(シャーベット)食べて街を散策して一度ホテルに戻りました。
5時半に迎えに来ると言うので、それまでホテルの裏側にある市場をウロウロ...クツや洋服、雑貨や食料品など、一般生活者が出入りする市場です。何処彼処で例の香辛料の香りや臭豆腐の匂いのする空間...いやーここは正に台湾!(^▽^)
 夜の帳が降り始めた頃、ガイドの李さんが迎えに来ました。これから台北101の散策です。地下にある飯店で小籠包メインの中華料理を堪能...熱いですから気を付けてとのコトでしたが、何のこたぁない大して熱くは無かったです。ねこ舌の人にはかなり熱いかな^^ 夜の台北101...暗闇にそびえる摩天楼..何とも不思議な感じがします。今や東京スカイツリーなどに抜かれて高さではイマイチ誇れなくなりましたが、私個人の好みとしましては、この建物のデザインは好きですね。東京スカイツリーのような物見塔の形状でなく、建造物の塔としてデザインされた、何処となく台湾の伝統文化を象徴したようなデザインには好感が持てました。
中は凄い空間で、世界各国のブランドショップが立ち並んでいて、とても煌びやかな雰囲気です(^_^;) 建物の仕上げは一分の隙も無く見事で、さすが日本の建設会社「熊谷組」をメインとした共同企業体の仕事と感心させられました。
展望台への入場料は別料金で450元(約1300円) ま、そんなことより、晴れて夜景がちゃんと見えるのかが問題。李さん、空かさず確認に走りました。「タイタイ、チャントミエマス」(笑)そうですかータイタイ見えますかーってコトでチケット買って入場。例の高速エレベーターは東芝製で現在世界最速のエレベーターだそうです(^_^;) 時速60qのエレベーターは382mにある展望台までをわずか37秒で登り切ります。物凄くスムーズで殆ど音がしません。さすがメイド・イン・ジャパン!展望台に着くと、各国語のガイドホンを渡されて物見ナンバーの順に進むと、そこから見える台北市内の案内説明がヘッドホンから聞こえて来るようになっています。
夜の闇に散りばめられた宝石のような光...一万年前は湖で夜空の星が映っていたこの場所が、今やこうした商業、産業、観光の拠点となって人工的な星が散りばめられているワケで...いやー(^_^;) 人間って、恐ろしいなーとつくづく思いました。


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