私が愛してやまないビートルズ、そしてジョン・レノン。そのジョンに対しての気持ちを書くはずが、ビートルズを題材にした、
当人の回顧録になってしまいました。単なる一人の人間の戯言に過ぎません、不快に思われる方は読まないようお願いします。
拝啓、敬愛なるジョン・レノン様 O
第16話 ラストコンサート
 「ミキサー完備スタジオ貸します」は収録の2週間後くらいに放送された。僕はすでに貰った音源があったので、リアルタイムにラジオを聴く必要はなかったのだが、やはりその放送される瞬間を心に焼き付けたいとの思いで聴いていた。深夜に放送されたにも拘わらず、学校の色々な先生や生徒達、級友なども聴いていてくれたらしく、翌日は会う人ごとに声を掛けられた。
良い出来だったとか、武澤君の「き、き、機械科〜」が面白かっただの、僕の「はぁ」が面白かったとか様々だったが、みんな我が事のように喜んでくれた。
その夕方僕達が奈良の商店街を歩いていた時、後の他校の女子生徒達の会話が耳に入った。
「なぁ、なぁ、昨日のヤンリク聴いた?ミキサー完備」
「あー聴いた聴いた、工業の子らやろー、上手かったねー」
「あー、それ僕らや、僕ら」武澤君、こういう時は躊躇することなくすっと入る。演奏もこうであったら助かるのだが。急に振り向いて言ったので女子高生達は目を丸くしていた。これを機会にお茶でもとならなかったのは、意外にも僕達が硬派で真面目だったのか、誘うにはちょっとみたいな女の子達だったかのいづれかであったのかは忘れた。
3月になり卒業した僕等3人と出席日数足らずで進級出来なかったター君は月末に開催を予定している「ラストコンサート」に向けて練習を始めた。
武澤君は専門学校に進学、荒木君と僕は就職が決まっていて、これからは今までと同じように悠長にバンド活動を続けていけないと思うので、とりあえずここらでケジメを付けなければということで決めたコンサートだった。
日に日に上達している事が自分達にも確信でき、いい感じに演奏出来るバンドに急成長して、さあこれからという時に終わってしまうのは残念でならないと思ったが、これは仕方のないことと諦めていた。

ある日の練習の時、サウンド・クリエイターのY氏という方が僕達を聴きに来られた。以前知り合ったお姉さんの友人の知り合いで僕達を紹介して欲しいとのことで来られたのだった。この時彼の前で3曲ほど披露した。
聴き終えた彼は僕達を高く評価してくれた。再三バンドの存続を促しプロを目指してやってはどうかと誘われたが、僕達の答えはNOだった。

現代のように「やってみれば〜」「人生、やり直しがきくんだし〜」のような軽さは何処にも見当たらない時代である。就職のつまづきは人生のつまづきみたいに言われ、僕達も事実そのように思い、そのことを恐れていた時代だったから、とてもじゃないが冗談でもプロを目指すなどとは言えなかった。
と言うよりもむしろそこまでの自信と熱意がなかったのだと思う。じっと冷静に自分を分析していたというか、こんなくらいの実力とそれ以前にこんなくらいの想いでは到底プロになどなれるはずがない。
それこそ自分自身の人生を投げ出すくらいの決心というか気持ちがあって初めてスタートラインに立てるのだと考えていたので即答できたのだろう。(この数年後、ター君だけはプロを目指して上京する)

しかしプロを目指すなどとは別として、「解散コンサート」と呼ばなかったのは、「解散」と決め付けてしまうと全てが終わってしまいそうで、悲し過ぎるという未練があったのだろうか。あやふやではあるが、とりあえず休止状態になるような感じを与えたかったのだと思う。今から考えれば別に解散を宣言したり、終止符を打つ必要もなかったのではと思うのだが...
ともあれ、この3月末に行われるコンサートを成功させるために僕達は全力で練習に励み、さらに技術を向上させた。場所は以前「新春コンサート」を開催した場所と同じ市民会館の中ホールで僕が予約した。当時研修という形で既に会社に行っていた僕は会社のコピーを使ってビラを作り、友人などに渡したり、その辺に勝手に貼ったりもした。洒落で入場料100円と書いたのが市民会館の職員に見つかって注意された。
冗談だと言いつつも、もし貰えたならラッキーだよな的感覚だったと思う。


 N P 

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