私が愛してやまないビートルズ、そしてジョン・レノン。そのジョンに対しての気持ちを書くはずが、ビートルズを題材にした、
当人の回顧録になってしまいました。単なる一人の人間の戯言に過ぎません、不快に思われる方は読まないようお願いします。
拝啓、敬愛なるジョン・レノン様 H
第9話 さあ、文化祭本番!
 高3の夏までは月1回、あるいは2ヶ月に1回くらいのペースで練習していた。レパートリーもかなり増えたが、贔屓目に見てもキマッてるなどとは程遠くて、リーダーである僕の不満は募るばかりだった。リードギターのキサブローは2年後輩、僕が弾いてみせるリードを真似て弾くくらいだから、目を見張るような上達は無い。荒木君と武澤君も相変わらずで、演奏は出来るようになったが、やっと楽器に慣れたという程度でノリを表現するにはまだまだという感じだった。
だから、各個人の意見など出て来るはずもなく、どちらかと言うと僕の言いなりのワンマンバンドだった。文化祭が数ケ月先に迫りだした頃、演奏が思い通りに行かなくて、僕はイライラを募らせては爆発する事が何度かあった。焦っていたのだろう、何度やっても出来ない彼らに堪忍袋の緒が切れてしまうのである。
でも彼等は練習には熱心で、リーダーとしての僕の言葉を真摯に受け止め、何とか出来るように努力したものだ。常にそんな体制のバンドではあったが、練習が終われば僕らは本当に中の良い友達で、大バカ騒ぎする親密な関係だった。演奏はビートルズに程遠いモノだったが、面白さに掛けては彼等に引けを取らないユニークなメンバーだった。そんなこんなで、あたふたとしながらも毎週練習を重ね、文化祭間際になんとか漕ぎ着けた感じだった。
文化祭はただ出演して演奏するだけというステージ形態を採らずに、音楽喫茶の様な物を企画した。教室で喫茶店を(といっても喫えないが・笑)営み、そこで演奏するのである。普通に講堂でコンサート形式でやるとなると、それ1回で終わり、長くて30分程度のものになってしまうからだ。
この日の為に2年間練習して来たのだから、1日中とは言わないが何度も演奏出来るよう、何度も聴いてもらえるようにと皆で考えた事だった。今年の文化祭は3年に一度の大文化祭で、日程も3日間という長いもので、これは僕等のフィナーレを飾るのに相応しいステージだった。
初日は日曜日でオープンな日だったので、僕達の学校以外からもたくさんの来客があった。級友の知り合いやメンバーの友人、メンバーの彼女達やその友人達。それから近隣の女子校やその他の高校の学生など、ごった返す教室の中でそれは始まった。
それはそれは相当な轟音だ。僕は見ている客はよく喧しくないものだな、などと感心しながら演奏していたくらいである。
今から考えると学校側もこんな事をよく許可してくれたと思う。
僕等はお揃いの黒いブレザーにネクタイ姿で少しビートルズをイメージした格好で演奏した。当時は当然詰め襟の制服だったから、僕等の格好は皆にはかなり新鮮に映ったようだ。
ビートルズの曲を中心にしながら、当時流行っていた曲も織り交ぜながらやった。面白い処では沢田研二の「時の過ぎゆくままに」やダウンタウン・ブギヴギ・バンドの「スモーキング・ヴギ」など。ビートルズをあまり知らない人にも楽しんでもらえるようにと選曲の中に入れた。
この日は大盛況のまま終わった。この調子で明日もと思っていた矢先大問題が発生した。
「明日、俺、来られへんねん...」キサブローがぽつりと済まなそうに呟いたのだ。僕達三人は聞き返した。「えっ?なんて?」

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