ビートルズ ショート・ストーリー
                     第1話 「サムシング」           押葉真吾/作   No.3  
 アーチャと僕とジョンは"Help !"を合唱していたが、途中で僕の歌だけがずれてしまった。(そんな馬鹿な)思わずアーチャのそばに行ってリピートボタンを押してしまった。
「But now these days atr gone〜」のところが「And these days are gone」と唄われていた。
「『But』より『And』のほうが歳をとることに否定的じゃなくていいでしょ」とアーチャが笑った。
「"Borrowed Time"っていうジョンの歌に"Help !"と同じ歌詞が出てくるんだけど、その後に『歳をとるのはいいことだ』って出てくるのよ」
「ふ〜ん、そういった意味じゃ、僕は『30までに死ぬ、30歳以上は信じるな』って言ってたピート・タウンゼントの方が好きだな」
「でも、ピートはまだ生きているじゃない。そして歳をとってからもギターを振り回して、若い頃の夢を見続けている方が難しいと解ったから、今も音楽を続けてるのよ」
 僕はアーチャのあまりに見事な話にかないそうもなかったので、口に出しては言わなかったけど、そう言えばカート・コバーンは『燃え尽きて死ぬほうがいい』と言い遺して自殺した。でも、ジョンは『燃え尽きるより老兵のように消え去る方がいい』と言ってたっけな...とぼんやり思っていた。
僕はシングルCDの見慣れないジャケットを手に取ってみた。
 4人がおそろいの帽子をかぶって立っているラフな写真で、とてもトップ・グループの最高の曲のジャケットとは思えない。その上にマンガのように吹き出しでそれぞれ『H』『E』『L』『P』と書かれている。ヘビーな歌詞の内容と相反して恐ろしくリゾートな感じのこの写真は、おそらくビートルズがマイアミへ行っていた時のものだろうと、自称ビートルズ・フリークの僕は推測した。
「なんかまぬけな写真だね」
「これがオリジナルのジャケットの写真なのよ。しかもジョンが大好きだったモノラル・バージョンなの」
「モノラル・バージョン!?」
 またも彼女の口から絶対に出ないような用語が飛び出して来たので、僕はまた大きな声を出し、アーチャにぶつかってしまった。そんな僕を見てアーチャがクスクス笑うので、僕は真っ赤になってしまい、ごまかす為にアナログ盤を手に取り、ジャケットの中からレコード盤を取り出した。
それが見事に真っ赤なビニール盤だったので、どうやら僕の顔が真っ赤だったのも気付かれずにすんだかも知れない。
 そして、見たこともないその真っ赤なレコードは、またしても僕を驚かせた。アーチャは何やらわざわざその曲を選曲してかけてくれたようだ。
"ANTHOLOGY"を聴いた時にすでにブッ飛んでいたのに"Helter Skelter"はそのどちらとも違う雰囲気だった。
「最初に聴いたのがこっちだったから、これが普通だと思ってたの」
アーチャが持っているホワイト・アルバムには「mono」と大きくグレーの文字が印刷されていた。
アーチャはかなりモノラルにこだわっているらしく、レコード盤では"YELLOW SUBMARINE"までが例の赤いビニール
盤で机の端に大事そうに揃えられ、CDは"PLEASE PLEASE ME"から"FOR SALE"までのモノラルのものがラックの上段にきれいに並べられ、あとのオリジナル・アルバムは下の方の段に追いやられていた。他にはビーチ・ボーイズのコレクションが充実しており、バディ・ホリーなどのオールディーズもかなりあった。
「でもさぁ、ステレオの方がクリアーっていうか、スキッとした感じしない?」
アーチャが黙っているのをいいことに僕は続けた。
「女の子がモノラルにそこまでこだわってるって変わってない?リンゴ・スターが何かで言ってたよ『ジョージ・マーティンは片耳しか聞こえないからモノラルで作業してる』って」
床に座っていた僕がアーチャを見上げると西日に照り返された彼女の頬に黄昏色の涙がつたっていた。
「?!...ごめん...」
しかし、アーチャの涙は次から次へととどまることを知らなかった。ジョージ・ハリスンが物憂げに唄う"Long Long Long"が終わると時は止まった。ターン・テーブルさえ止まるのを忘れ、ブツッ、ブツッ...と音が存在しない溝をレコード針がなぞろ音だけがアーチャの小さな泣き声とともに部屋に響き渡った。僕はなすすべもなく、その場に座り込んでるしかなかった。
「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。今日はそろそろ帰るよ。」
僕は気まずい思いとともにアーチャの部屋を後にした。
大失敗だ。ちょっと意地悪だったかも知れない。でも何故あんなに泣いてしまったんだろう...
電話を掛けようと思ったが、なかなか思い切れず僕は"ABBEY ROAD"を聴きながら、指が動き出すのをじっと待っていた。
ジョン・レノンが"Come Together"を唄い終わるとリンゴ・スターのタムの連打からジョージ・ハリスンが"Something"を唄い始めた。
『彼女の仕草の中にある何かが、僕を惹きつけて離さない...』
ジョージが歌い出す最初のひとことは、アーチャが首を右に傾げ左手で髪を耳にかきあげる仕草を僕に思い起こさせた。
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