クラウス・フォアマン回想録 E | |
永遠のグルーヴ 第6話 国外退去処分 あのアストリット・キルヒヘアとともに無名時代からビートルズと関わった男 |
ビートルズも若い頃は当時のロックンローラー風の少年達となんら変わりはなかった。カーペットの上に煙草を捨てて足でもみ消したり、ソファの上の飲み物をこぼしたり、街灯の柱に立ち小便をしたり、荒っぽくてタフでやかましくて、いたずらに生きていた。その頃は荒っぽいのがクールでイケてるというのだから、仕方がない。そんな真似は十代のひよっこミュージシャンがよくしていたことなんだけどね。でも、ビートルズだって天使じゃないんだから、しょうがない。彼らにしてみれば軽いジョークのつもりだったが「敵」はその英国的ユーモア解さないことがままあった。「敵」とは、たとえばカイザーケラーやバンビ・キノのオーナーでボスのコシュミダーなんかのことだ。実際、コシュミダーはビートルズのやることなすことすべてが面白くなかったのだ。ビートルズはステージでいいショーをして観客を喜ばせていたのに、コシュミダーは笑えなかったらしい。その結果ポールとピート・ベストは留置所へぶち込まれ、ビートルズは国外退去処分となってしまった。 何が起こったか説明しよう。彼らはコシュミダーに酒を飲まされ、来る日も来る日も演奏させられ、最悪の環境と言える狭い倉庫での暮らしを堪え忍んでいた。しかし、彼らはついにチャンスを掴んだ。ひとつランクが上のトップ・テンクラブに出演が決まり、引っ越すことになったのだ。 コシュミダーはそれに嫉妬し、ビートルズが他のクラブで演奏するのを何としてでも阻みたかったのだろう。そして事件が起こったのはその引っ越しの日のことだった。 その日、ポールとピートはカイザーケラーに残りの荷物を取りに戻った。その時ピートはスーツケースの中にコンドームを見つけた。いたずら好きな少年達はコシュミダーに何か仕返しをしたかった。もちろんジョークで。彼らはその最悪の場所を去る直前にいつものユーモアたっぷりな調子で呼びかけた。「おい、ブルーノさん、これまで僕らに結構冷たかったね。」そしてコンドームを袋から取り出し、出口へ続く長い廊下の壁に打たれた釘にそれを刺してライターで火をつけた。ちょっとした煙が立ち、汚いコンクリートの壁に小さな黒いシミが出来て、ゴムの焦げた臭いがしただけのことだった。 そして彼らは意気揚々とトップ・テンクラブへと向かった。が、200ヤードほど進んだところでパトカーから二人の警官が出てきて彼らを車に押し込め、警察署に連れ去り留置所に閉じ込めた。さっそくコシュミダーが警察に通報したに違いない。 奴は「火事だ!あの不良どもが俺の映画館に火をつけやがった!」とでも叫んだのだろう。実際、彼はこの事件のついでにジョージが未成年であることまで当局に報告してしまい、ビートルズは国外退去を命じられるはめになってしまったんだ。 彼らはそのワイルドな出で立ちとミュージシャンであるというだけで、追放者のような扱いを受けた。四六時中監視されたのち即刻退去させられることになった。可哀想なわんぱく少年達は犯罪者として名簿にまで載せられてしまった。 (中略) ジョージはアストリットとスチュアートに駅まで送ってもらった。アストリットはジョージに故郷に帰るためのこづかいを持たせた。のちにビートルズからその話を聞かされた時には涙ものだったよ。ジョージはスーツケースとギター、アンプとペーパーバックを数冊持って、待ち受ける長旅へと向かって行った。列車、船、列車、タクシー、列車、タクシー、そしてやっと家。17才だったジョージは怖かったろう、たったひとりで。「これだけのお金で家に帰れるかな?」とか「もし、眠ってしまってアンプを盗まれたらどうしよう?」とか彼は無事だったが、ひどく落ち込んでしまい、イギリス帰国後も何の知らせも便りもくれなかった。 ポールとピートは手錠を掛けられ、ドイツ警察により、まるで追放者のように飛行機に乗せられた。 |
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その頃ジョンはまだハンブルクのどこかにいた。彼はドイツの役所が彼を捜していることを知らなかった。案の定、有り金を使い果たして完全な無一文になっていた。しかし以前のように酔っぱらった水平を殴って盗みを働こうとはしなかった。以前ピートとそういうこともしたことはあったが、もう二度とするまいと決めていたのだ。犯罪に走るのは彼らの望むところではなかったからね。 しかし、ジョンにはイギリスに戻る金が必要だった。とはいえ新しい宝物、リッケンバッカーのギターを売る気は毛頭ない。 そこで彼は他のバンドに混じって演奏して金を稼ぎ、ついに背中にストラップを掛けてアンプを担ぎ、左手にギター、右手にスーツケースを持ってリバプールに戻って来た。彼らは落ち込み、誰も電話する気力すらなかった。このままビートルズが終わってしまってもおかしくないほどだった。 この初のハンブルク滞在は田舎出身のちっぽけなバンドが「犯罪都市」に来たらどうなるかという解りやすい例だった。 親を故郷に残し、ハードに働き、金を稼ぎ、金は手に入ったかと思えば酒やストリップ、その他数ある誘惑のために消えてゆく...。 しかし、彼らはギターとアンプという宝物を持ち帰った。ピートもドラム・キットのためにシンバルと質のいいフット・ペダルを持ち帰った。そしてもうひとつ彼らは、金には替えられない貴重なものを持ち帰った。それは「経験」 特筆すべきは、このちいさなリバプールのバンドには周りの誰よりも多くのレパートリーがあったことだ。しかも彼らは最低のコンデションであろうが、ありとあらゆる種類の観客の前であろうが、難なく演奏した。昼間は子供に向かって演奏し、ワイルドなロッカー、水平、危険な犯罪者、しまいには明け方の清掃夫に向かってまで演奏した。そしていつも客のあらゆるリクエストや要求にベストな対応をした。これがこのバンドの凄いところだった。このハンブルク時代が彼らをプロフェッショナルにしたのだ。ジョンは言っている。「僕はリバプールで育ったんじゃない、ハンブルクで育ったのさ」と。 そして最も重要で素晴らしいことは、彼らの関係のすべてが友情の上に成り立っていたことである。それは今なお成長し続け、僕らが生きているかぎり共にあるだろう。 |
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ザ・ビートルズ・クラブ 「クラウス・フォアマン回想録」より引用 A B C D E F |