The Words 007-3  「いいモノ」とは、作り手の芸術性と受け手の感動との鬩ぎ合い
             の中でこそ生まれてくるものであるということ   真一郎さん 

 私の想い出はなんと言っても「ラバー・ソウル」です。
その擬似ステレオで製作されたLPは、バランスのツマミを左右どちらかに捻れば、彼らの演奏だけか、歌声だけが聞こえてくるのです。これは画期的な発見でした。何故なら当時、70年前後のヒットチャートを賑わした、例えばショッキングブルーの「悲しき鉄道員」にはそんなことは無かったからです。と言いますか、もうその頃にはそんなチープな録音の仕方をしたシングル盤は一つもありませんでした。
私は初め、演奏だけをカセットに録音し、後から自分の声を入れて愉しんでいましたが、やがてギターを覚えいくらか弾けるようになりますと、今度は彼らの声だけを出して、自分の演奏をそれに被せたりして遊んでおりました。
 さて、もうCutsさんやコマンチャさんたちがいろいろと書かれておりますので、私は「全く違った観点に立って、全く別の事を述べながらも、モノラルとステレオのことを表象している文章」を書いてみたいと思います。(笑)

レコードに於けるモノラルとステレオという問題を考える時に、私はいつも、黒澤明監督の映画とのアナロジーを考えてしまいます。1958年の作品『隠し砦の三悪人』は、この7月に公開される『スターウォーズ』そのものに、そしてジョージ・ルーカスその人に多大な影響を与えた映画であるということは、皆さんよくご存知かと思います。黒澤は1965年に、つまりビートルズが来日する前年に名作『赤ひげ』を撮りました。3時間を超える大作でした。しかし65年になっても、まだそれは<モノクロ>映画だったのです。すでに日本映画のカラー化は1951年に木下恵介監督によって始められており、いや、それどころか、大戦中にはあの傑作『風と共に去りぬ』がハリウッドではテクニカラーで撮られており、つまり映画芸術の受容形式の方が音楽のそれよりも遥かに先を歩いていたという訳ですね。レコードは長い間、78回転のSP盤が主流でしたし、リスナーは鉄針によって交響曲をモノラルで聴いていたわけですから。
さて、黒澤は何故カラー映画をずっと撮らなかったのか? 
それは<モノクロ>映画で自分の芸術的コンセプトは充分表現されると思ったのです。否、むしろ、モノクロでなければ、自分の芸術的達成は不可能だとさえ思っていたのです。そこには白黒である事に対する強固なこだわりと意味付けが存在したのです。しかし、これはある意味では時代の流れに反するものでした。
私は、しかし、そのモノクロ映画、つまり50年代から60年代にかけて作られた『天国と地獄』『どん底』『用心棒』等を観た後の感想を一言で述べる事が出来ます。《これは昨日、作ったものなのか?・・・》
私はそのモノクロが「綺麗」に観えてしかたがありません。モノクロであるからこそ、観る者に感動を与える何ものかがその中に内包されていいる!私たちの世代がそう感じてしまうのです。これは黒澤映画の「射程距離の長さ」の勝利です。
 黒澤は1970年の『どですかでん』で初めて<カラー>映画を撮りました。つまりやっとステレオへ移行したのです(笑)。そして、1990年にはスティルバーグの力を得て、様々な形でデジタル編集された『夢』を撮りました。冒頭の日本の原風景は「桜色」でしたし、雪山と雪女のシーンは「白」でした。ゴッホのシーンは「原色」でしたし、トンネルでの英霊のシーンや鬼のシーンは「墨」でした。そして、ラストの信州の風車小屋のシーンは「青と緑」の織り成す、この世のものとは思えない時空の中で、一種宗教的な偏在感に充ちた、静と動とからなる美しい映像でした。
それは最先端のマルチトラックレコーダーを使って録音された、煌びやかで、楽器の一つ一つの粒立ちを堪能できる現在のデジタル音源(ステレオ)の世界観そのものだったのです。
 ビートルズがモノラル音源からステレオ音源へと斬新していく事と、黒澤映画がモノクロを棄てて、カラー映画へと表象手段を変えていくそのアナロジーからは、《表現》というものが如何に貪欲なものであるかということを、そしてモノを作るということは、常に「実験」と背中合わせに存在しているものであり、その達成とは――つまり真に「いいモノ」とは、作り手の芸術性と受け手の感動との鬩ぎ合いの中でこそ生まれてくるものであるということを、私たちは彼らから学ばざるを得ません。