◆メロトロン◆
傑作アルバム「Sst Pepper's」の頃より使用された「メロトロン」現在でいうところの電子オルガン的存在の楽器、彼らはそのような楽器に何を求めて使用するに至ったのか?

 何の楽器でもそれをマスターするためには才能と努力、そして膨大な時間が必要となる。ことにクラシック音楽で使用される楽器の分野では、演奏家たちはその生涯を賭けてひとつの楽器に打ち込む例が殆どだ。
そして、そのような楽器をポップ/ロック音楽の世界で使いたいと思ったら、演奏家たちとの共通言語である音楽論理と譜面にまず精通していなければならない。これは1960年代でも現在でも何ら変わることのない決まりごとである。
 残念ながら、ビートルズのメンバーの中には正式に音楽教育を受けた者も、オーケストラの譜面を書くことの出来る者もいなかった。幸運にもビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンはそのどちらもクリアーしている人物で、要望があればマーティンはビートルズの希望するアイディアを聞き、それを弦や管などの演奏家に譜面という形をもって伝えることが出来た。いわば、マーティンはビートルズと演奏家たちとの間の通訳としての役割を演じることができたのである。

 一方、このようなスタジオ・ミュージシャンを使うことの問題点は、演奏の一部をメンバー以外の他人にゆだねることによって、曲のイメージが当初の意図する形と違うものになる危険性をはらんでいることだった。
 もちろん"Yesterday"や"Eleanor Rigby"などを聴けば明白なように、マーティンの弦アレンジとその演奏家たちの演奏は曲のクオリティを押し上げた素晴らしい成功例であったが、他方ではメンバー自身がほとんど制御できない弦などのパートが重要なイメージを決定する曲においては、ひとつ間違えば曲全体が死んでしまう可能性もあったのだ。これはビートルズを含めた当時のポップ/ロック・ミュージシャンの多くが抱えていたジレンマだったに違いない。
 1964年、市販が開始されたテープ・リプレイ・マシン「メロトロン・マークU」は当初、一般のユーザーを対象としたファミリー向けの楽器だった。つまり、カテゴリーとしては現在の電子オルガンにもっとも近く、家庭でリズム、ベース、メロディのすべてをこの一台のキーボードによって演奏できるといった商品であった。この楽器に一部のプロ・ミュージシャンが興味を持った点は、一台ですべてのパートを演奏出来るという特徴ではなく、実際に演奏されたテープが再生されることにより得られるリアルなサウンドが自分の手でコントロール出来るという点にあったのだ。要するに生涯を賭けた楽器の訓練も、専門的な音楽理論も、または高額なスタジオ・ミュージシャンのギャランティにも関係なくて、プレイヤー自身がキーボードを弾くことによって、弦や管などのオーケストラ系サウンドを簡単に手に入れることが出来るようになったのだ。
 これは商業的な音楽の録音課程を塗り替えてしまうかも知れない一種の革命的な出来事だった。実際、アメリカではメロトロンの出現によって仕事が極端に減ってしまうことを危惧したミュージシャン・ユニオンから、メロトロンの使用に関してクレームが出たほどだ。こうした経緯もあり、メロトロンは当初アメリカよりもイギリスで浸透して行った。
(文章 中略)

 ビートルズのサイケデリック・イヤーの幕開け的な"Strawberry Fields Forever"はメロトロンのフルートによって始まり、ビートルズ中期を象徴するサウンドを作り出したが、同曲はレロトロンをフィーチャーした音楽史上初の大ヒット曲であったという側面も持つこととなった。"Strawberry Fields Forever"には生のチェロやトランペットも使用されていることを考慮すれば、メロトロンは単なる生楽器の代用としてではなく、メロトロンでしか得ることの出来ない特徴ある音色が効果的に使用されている例であると言えるだろう。
それほど多くはないビートルズのメロトロン使用曲のなかで、もっとも楽器の個性が強く表れたのは
"The Continuing Story Of Bungalow Bill"の使用例だ。この曲のイントロのスパニッシュ・ギターはメロトロンに内蔵されたイントロ・パートのフレーズをそのまま使用したものであり、トレモロ奏法のマンドリンやトロンボーンもすべてメロトロンによるサウンドだ。
 また、メロトロンとビートルズには興味深い接点もあった。レジナルド・キルビーは1967年から1968年にかけて、ビートルズのレコーディングでチェロを弾いていた人物だが、メロトロンに内蔵されていたテープのうち、チェロのパートを演奏したのはこのキルビーである。さらにメロトロンの内蔵サウンドのいくつかを録音したのは、のちにアルバム"ABBEY ROAD"や"LET IT BE"でプロデュースとエンジニアの一部を担当することになるグリン・ジョンズであった。これはメロトロンの製作に関わったスタッフが、当時の音楽シーンの中でもかなり先進的な人物であったことが計り知れるエピソードである。
 このようにビートルズの使用によって広く認知されたメロトロンは、少なくともそれにとって代わるポリフォニック・シンセサイザーが登場するまでの数年間、ある種のジャンルのグループでは常套句的に使用されていた。
近年ではメロトロンの持つ幻想的なサウンドを再評価する声も高く、その遺産はデジタル化されたサンプラーの音源にも引き継がれている。
BCC発刊 The Beatles 2001 2月号 「ビートルズ 使用楽器研究/仲亀正之」 より引用