ビートルズ ショート・ストーリー
                     第1話 「サムシング」           押葉真吾/作   No.1  
 リンゴ・スターのタムの連打からジョージ・ハリスンの物悲しげなギターで始まる"Something"。ジョージはまだこの頃パティ・ボイドに夢中の時期ではなかっただろうか?
二人をフィーチャーしたプロモーション・ビデオがそれをよく物語っている気がする。なのに、なぜこの曲はこんなに切ないのだろう。まるで二人の恋の終わりを予感していたかのように...

All Things Must Pass...時が経つのは早いものだ。
「それなしでは生きて行けない」なんて感じたことはあっても、僕はすべてを乗り越えてここに生きている。休むことなく流れ続ける時間の波に乗り遅れないようにするだけで、今の僕には精一杯だ。
 Good Morninng, Good Morning...いつもと変わりのない朝。そして、いつもの車2台がやっとすれ違えるゆるいカーブの見通しの悪い道。ヘッドフォンをしていても車のクラクションだけは妙にうるさい。
それはふいに君のことを思い出させた。
あの時、君は平気な顔をしてたっけ...

「うるさいなー」
僕らは並んで歩いてたせいで、黄色い得体の知れない形をしたスポーツ・カーに思い切りクラクションを浴びせられた。
アーチャはそんなこと気にもとめず、ロング・ブーツをコツコツと鳴らし、軽快に歩いていた。
真っ赤なタートル・ネックの上にシックなブラウンのコート。スレンダーな彼女の隣で寝巻きで飛び出してきたような僕の格好が、なんだか妙に気になりだしていた。
「ほら」
突然、アーチャは僕の前を後ろ向きに歩き、両方の手の平を僕に向けて言った。
「はちみつを塗って冬眠するのよ」
「なんだよ、突然」
「だからクマはね、両手にはちみつを塗って冬眠するのよ」
「『だから』って言われてもなぁ...」
「おなかが空くとこうしてペロペロって手の平を舐めるの」
「じゃ、なくなったら『はい、おしまい』じゃない」
「だから二人で冬眠するの。楽しいでしょうね」
「だから『だから』って言われてもなぁ...」
アーチャはたまに僕の話を聞いていないことがあるし、かと思えばこんなふうに突拍子もない話をしたりする。少しわがままな感じもするけど、そう思いながらもこの話が僕はちょっと嬉しかった。いや、「ちょっと嬉しかった」っていうのは思い切りウソだ。僕は「ふたりで冬眠」することをイマジンして「思いっ切り嬉しかった」。そして「思いっ切りドキドキしていた。動揺を隠そうとして、僕は一気に話題を変えるつもりだった。
「ビートルズの歌の中にさ、"Octopus's Garden"っていうのがあって、さっきアーチャが言ってたのと同じような内容でね。『君と僕も楽しく過ごせるよ。海の底で』みたいな歌詞だったかな」
「リンゴ・スターね。ビートルズじゃ、私も負けないわよ。"ABBY ROAD"はあんまり聴かないんだけどね」
アーチャは右側に少し首を傾け「ジャケットはこれがいちばん好きよ」とニッコリ笑った。
ビートルズなんて絶対知らないと思ったから切り出したのに、幸か不幸かアーチャの口からは相当まともな発音で"ABBY ROAD"が飛び出した。
アーチャはかなりのフリークかも知れない。でも大丈夫、僕はなんたってすべてのオリジナル・アルバムを持っているんだから(えへん)。そして、共通の話題があればあるほどアーチャと親密になれるチャンスは大きい。僕は踊り出したいような気持ちを抑えて訊いた。
「収録されているアルバムの名前を即答するなんて相当シブいね。ビートルズ好きなの?」
「大好き、初期のジョン・レノンが大好き」
(初期のジョンか。まぁ、解りやすいタイプではあるな)
顔を合わせてから1年以上もなるのに、アーチャとまともに話をしたのはこれが初めてだった。アーチャは後ろ向きに歩くのをやめて、元どおり僕の左側を歩いていた。
「『ビートルズもの』いっぱいあるからうちに来ない?」
ベタな台詞だとは解っていた。こんな台詞、今時の誘拐犯だって使わないに違いない。
「お嬢ちゃん、チョコレートいらないかい?」進駐軍(死語!)じゃあるまいし...しかし、僕は焦っていた。
「話し掛けても無視するんだよ。お高くとまりやがって」なんてアーチャを悪く言うヤツも少なからずいた。
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