- わたしとギター -
 14歳の頃フォークソングブーム到来、やたら中学校の放課後に教室でギターをかき鳴らす輩続出。
それを取り巻く女子生徒の姿。
(お〜、そういう手があったのね)
我も負けてはならじと、親戚のお姉さんから譲り受けた
クラシックギターにて堂々の参戦。
しかしチューニングの意味すら知らないド素人。
同級生に教わるのもシャクで、影で日々独学の努力。
そりゃ親に言われるまでもなく、自分でも思いました。
(これくらい勉強すればな、と・笑)
何故このギターはヤツらのみたいにジャカジャカ鳴らないのか?少しの後、やっとギターの違いに気付きます。
ダメだこりゃ、これはフォークギターではない!
そう思ったら一目散。それを手に入れる事しか眼中にはありません。親に泣きの一手の連続つっぱり攻撃。
裕福ではない時代でしたが、親も不憫に思ったんでしょうね、1万円札2枚を握らせてくれました。
「どうせ買うなら、少しはまともな物を買えよ」と...
ウシシ、作戦大成功。速攻で近くの楽器店へ直行。YAMAHAのFG-170というモデルを購入しました。
来る日も来る日もギターしかありません。殆ど○○のひとつ覚えです。
中三の半ばには、向かうところ敵なしで(ほんまかいな?)文化祭のステージへ。その快感が忘れられず、高校生になってからは、「フォークもいいけどロックもね」(ってそらカレーやろ?)みたいにエレキギターを買い込み「セルティブ」なんて安直な名のバンドを結成し、やれビートルズだ!とやってはいたものの、その頃キャロル解散!
あ〜ヤザワかぁ?エーちゃんかいな?とあっという間に長髪がリーゼントになりました(笑)(この頃にありがちな月並みなパターンですね。節操っちゅう言葉を知らんか?節操、「えっ、そう」ってあんたなぁ...笑)
この頃は県内のバンドに混じって、あちこちでコンサート(最近では完全に死語ですね)に出演したり、ラジオにも出演したりしていました。(たいそーな、ABC放送の誰でも出れるヤツちゃうのん?あのキダ・タローせんせが夜な夜なやってた、え〜っと藤山寛美スタジオ貸しますやったかな?なんかそんなん 関西人の同年輩は大爆笑!)
二十歳になるまでは少しながらも、時折活動していましたが、そのうち解散。
40歳くらいの頃、「解散20周年記念ライブでもやる?」ってジョーダンでしょ?昔のいい思い出は大事に遺しておきましょーよと、当然お断りいたしました。(もちろん正解!誰も醜い物など見たくないし、聞きたくもない)
スナックで元メンバーと「イエスタデイ」なんかハモリながら、おねーちゃんには受けるといった日々(ま〜それが普通でしょうね)
そんな時、とある法事のなおらいの席、年下の従弟がギターを提げてやって来た。昔のように弾いてくれという。
酔っぱらっているんだがなーと言いながら弾き始めたものの、まともに鳴りません。ウソ?いくらやっても駄目。
ちょっと貸してと年下の従弟、その昔私が教えたフレーズを、いとも容易く弾きやがる。
これ貴方に教わったんだけどな(って、ほっとけ!弾けへんちゅうねん!でも「けどな」ってなー、くそ〜ヽ(`Д´)ノ)
そんなショックを受けた私...「まっ、いつか見ときなさい」って訳で今日に至ります。
最初のギター



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