- Diary - March 2019
適当な時に適当な事柄を思い付くままに適当に
TOPページへ 2019年2月
2019年1月
2018年12月
2018年11月
2018年10月
2018年9月
2018年8月
2018年7月
2018年6月
2018年5月
2018年4月
2018年3月
2018年2月

2018年1月
2017年12月
2017年11月
2017年10月
2017年9月
2017年8月
2017年7月
2017年6月
2017年5月
2017年4月
2017年3月
2017年2月
2017年1月
2016年12月
2016年11月
2016年10月
2016年9月
 2019.03.30 (土) 恒例の発表会
 昨日は恒例のバレエ発表会でした。幼稚園の年少から今年の2年生の5回目です。ようやくバレエらしく?なって来て喜ばしい処ですが、早くトゥシューズを履かせてあげたいですね。それにはあと2年くらい掛かるようです。そうなれば、もっとバレエらしくなるんでしょうが... それにしても今回のメイク...右の昨年と比べて悪意があるように思えてなりません(笑)


 2019.03.29 (金) 春の味覚だとよ
 お袋が隣の堤で摘んで来た土筆(^_^;) 土筆ってなスーパーなんかに売ってんだろうか?ま、買ってまで食うもんじゃないとは思いますけど(笑) お浸しか卵とじで食べるんですが、まぁ大して旨いもんじゃございません。
でも、毎年この桜の咲く季節に一度だけ頂きます。新たな桜の季節に未だ生を続けさせて貰えてる事に感謝して、ちょいと我慢の食ですが(^_^;) 昨日、ショーケンが亡くなったとの報道がありましたね。彼は今年の桜には少しだけ間に合いませんでした。ご冥福をお祈り致します。


 2019.03.23 (土) 竣工式典が続きます

 私の手掛けたオフィスビルが完成し、昨日、奈良ホテルでの竣工感謝の集いが行われ、その会にお招き頂きました。この案件がスタートしたのは一昨年の夏過ぎ。ある樹脂製品製作会社の新社屋です。完成、引っ越しが完了したのが今年の1月始め。一息ついてからのお披露目となったわけです。
このビルは北向きに建っており、直接光は入りませんが、北向きの安定した光が入るのでとても快適です。ただし、日の入りの際はブラインドを降ろさないとまぶしくも熱くもありますが(^_^;) 元はこの土地、市の所有だったのを払い下げて建てられました。市としても企業から税金を取れるメリットがありますから、その要望に応えたわけです。お互い持ちつ持たれつってところですね。
式典には市長も来られており。帰りがけに「前にある小学校の生徒が、風景が変わったと喜んでいる」と仰って下さいました。式典はバイオリンとピアノの演奏あり、美味しいご馳走とお酒ありで楽しませて頂きました。また、社長直々に感謝状まで頂き、感無量でございました。



 2019.03.19 (火) グループホーム開園
 斑鳩町にあるグループホームの開園式に出席してきました。起案から足掛け3年(^_^;) 長いようであっと言う間のようです。
入居定員は7人、その内1人がショートステイです。今月の11日から4人が移り住んでおられるとのことですが、まだまだ慣れないことばかりで、色んなことが起こると言っておられました(^_^;)
建物は木造の平屋建てで、屋根を片流れにすることにより、居間の天井高さを高く取れるようにしてあります。レイアウトは居間を中心としたアットホームな雰囲気とし、台所は閉め切らずに入居者のみんなが手伝ったり、作業したり出来るように考えてます。また、事務室から入居者の安全確認が出来るようにガラス窓にて対処し、浴室やトイレには非常ベルを設置して有事に備えてます。
外観については奇をてらわないシンプルな形とし、外壁はレトロっぽく昭和を感じさせる板塀をモチーフにしています。色についてはごらんの通りのグリーンにしていますが、個人的にこの色を使うのは初めてで、普段、外壁にグリーンを使わない方がいいと指導して来た私にとって皮肉な結果となってます(^_^;) 
アイボリー系やグレー系などの無難な色にする手はありましたが、当初から私のイメージの中にグリーンがありました。ここの町並みは旧街道で古い町並みなんですが、そこに溶け込むのも良いけれど、埋もれてしまうのも如何なものか?グループホームとしてのささやかなアピールは必要であろう。と言って目立ち過ぎる色や形であってもいけない。そこで閃いたのが「鎮守の森」のイメージでした。
町や村の中に存在する鎮守の森のグリーン。古い町並みに差し込む森の緑...個人的にはかなりな冒険でしたが、そのイメージで決定しました。
内部は出来るだけ明るくなるよう白を基調としていますが、自然を感じられるように壁の一部に本物の杉板を張っています。居間の天井は構造材の梁をむき出しにして、この建物の骨格の強さを表すと共に、その天井をこの建物のイメージカラーであるグリーンでポイント付けしています。
起案から足かけ3年、ようやくこうして形になり、これから入居者の方々が生活される場所として始まるわけですが、晴れの日も雨の日も、風の日も雪の日も、様々な日が巡り繰り返されますが、入居者のみなさんにとって心の拠り所、安らぎの場所となってくれる事を心より願っております。


 2019.03.16 (土) 昭和の風景
 ウォーキング再開して早や1ヶ月が経ちました。
昨日の時点で、なんと体重2s減!(*゚Д゚)
ま、増えては減りを繰り返して行くので、単なる経過ですけど、数字が減るとやりがいはありますね。
ヨメは殆ど変化が無いのでブツクサ言いながら歩いてますが(^_^;)

この画像は散歩の途中に寄る売太神社の境内ですが、いつも子供達が集まって遊んでいます。
まるで昭和にタイムスリップしたような気になります。ここの校区は学校からかなり遠いので、こうして神社に集まって遊ぶのでしょう。
境内に男子が13人、門前に女子が6人居ました。今時の小学生、塾や習い事してないのでしょうか?でも、微笑ましいと言うか頼もしいですよね。私の地域は子供が少なくて爺婆町になりつつあるので、羨ましく思いした。


 2019.03.15 (金) 春はもうそこ
 先日の日曜日、春に向けてジャケットを買いました。ジャケットなんて定番だと思われますが、シルエットやディテールなんかが、その時代によって微妙に違うので、やはり古いモノは古臭く感じてしまいます(^_^;)
ジャケットの定番と言えば紺ブレと言われるようにブルーが定番ですが、単なるブルーもねぇ...そんなこんなで、ひとつ気の利いたのがあったらいいなと思ってたんですが(;´Д`A 百貨店に行ったりして捜したりもしましたが、イマイチこれと言ったモノに巡り会えずに終わってました。
で、古着なんてどうなのよ(*゚Д゚)ってんで、ダメ元で見に出かけたんですが、古着は古着、やっぱりダメでした(笑)
そのまま帰るのもナニなんで、その先にある洋服店に冷やかしで入ってチンタラ見てたらあったんです。少しタイトなシルエットのピンストライプ!洒落てるじゃあーりませんか(^▽^) 着てみると、ちょびっと微かに窮屈?でもないけど、気に入ったし、半額にします!で勢い付いて飛びついてしまいました。更にカッコよく着こなせるように痩せます(笑)


 2019.03.11 (月) 今日で丸8年...
 午後2時46分。北東を向いて黙祷しました。震災日間近になってマスコミが取り上げる東日本大震災の今...丸8年が経ちましたが、まだまだ完全復興はおろか、仮設住宅立ち退きなどで被災地は揺れ続けてます。たくさんの人が亡くなり、たくさんの人が家族や家、財を失いました。昨日まで幸せに笑っていた家族の姿は無く、一瞬にしてもぎ取るように持ち去られて行った命。
我々日本人としての誇りと自負を持って、このような災害の復興など早く乗り越えられる物と思っていましたが、これほどの体たらくだとは歯がゆい思いです。亡くなった家族は戻って来ません...それは事実として飲み込まないといけないとしても、少しでも被災された方の心が安まるよう、日頃の生活環境にせよ、もっと早く改良されるべきであると思います。ただ、私個人として何が出来るでなく、復興税や基金で助勢するしかありません。復興が遅れ、まだまだ不幸な毎日を送っておられる方々を見るにつけ、どうにかならんのか!と心苦しく思います。
しかしながら、エラそうな事を言いながらも、何処か対岸の火事なのかも知れません。でも、明日は我が身...今日命があるのをありがたく思わねばなりません。どうか、いち早い復興の目処が立ちますよう、祈りたいと思います。


 2019.03.10 (日) ジョージ・マーティン氏の3回忌
 SNSで見つけたシェア文の受け売りですが、ジョージ・マーティンの逝去(2016年3月8日)にあたり、3年前にポールが出した声明を掲載します。

親愛なるジョージ・マーティン氏の死の報に接し、大変悲しく思っています。僕は、この偉大な方とたくさんの素晴らしい思い出を築いてきましたし、永遠にそうであり続けるでしょう。
彼は真のジェントルマンであり、第2の父親でした。彼はその才能とユーモアで、ビートルズのキャリアを導いてくれました。それは真の友であり家族でした。
もし「第5のビートル」のタイトルを与えるなら、それはジョージでした。ビートルズの最初のレコーディングで出会って以降、彼は一貫して疑うことなく知的であり、真の音楽人とも言うべき人でした。

ジョージとの楽しかった思い出を挙げろと言われてもそれは難しいことです。あまりにも多過ぎる。でも一つ「イエスタディ」のレコーディングの際に、バンドのみんなに「君一人でやったら」と提案された時のことです。
ギター1本でレコーディングが終わった後、ジョージは僕にこう言ったのです。「ポール、レコードにカルテットを入れたらどうだろう」と。でも僕は「いや、ジョージ、僕たちはロックバンドなんだ。いいアイディアとは思えないな。」
偉大なプロデューサーは礼儀正しく、そして優しくこう言ったのです。「まあやらせてみてくれ。もしそれがうまくいなかったら使わないし、君のソロバージョンで行くから。」僕は同意し、翌日彼に家に行って、そのための編曲作業をやりました。

彼は、僕の書いたコードをピアノを弾きながらノートに書き留め、低いオクターブのチェロ、高いオクターブの第1バイオリンの譜面にしていきました。そしてカルテットがどう奏でられるか、僕に最初のレッスンをしてくれたのです。アビーロードでその弦楽4重奏をレコーディングし終わったとき、彼のアイディアがどれだけ正しかったのか、それを知った僕は震えが止まりませんでした。
そしてそのことを、何週間もみんなに言いまわっていたのです。彼のアイディアが明らかに効果的であったのかは、その後フランク・シナトラやエルビス・プレスリー、レイ・チャールズ、マーヴィン・ゲイなど数多くの歌手がレコーディングしたことでもわかるでしょう。
これは非常に多くの記憶の一コマに過ぎません。これ以外にも「エリナーリグビー」「死ぬのは奴らだ」など、僕の曲で多くのアレンジを手伝ってくれました。僕は、このような鋭い感覚と、自分自身を笑いに替えるユーモアを兼ね備えた紳士と出会えたことを、誇らしく思っています。彼が女王からナイトの称号を与えられた時でさえ、少しも偉ぶることはなかったのです。

私と家族、彼が真の友人と慕うものにとって、彼の逝去を悼み、奥方であるジュディと子息ジャイルズとルーシー、孫たちに心から愛を贈ります。世界は、僕の魂と英国音楽史上に消すことの出来ない足跡を残した真の偉大な人物を失うことになりました。
ジョージに神のご加護を。そしてすべての人はあなたと共にあります。



 2019.03.09 (土) Ask Me Why
 先日も書きましたように"Ask Me Why"を再禄しました。この曲、何かで読んだ覚えがあるのですが、デビュー前に誰かに「"Baby It's You"や"Anna"に負けないくらいのオリジナルを作ってみろ!」と言われて一躍奮起してジョンが作った曲だとか。
あのニューヨーク・フィルのレナード・バーンスタインが絶賛したと言われるほどの初期の名作だと思います。この曲、歌うのがかなり難しいんですね。メロディの流れの中に、妙な1音が入っていたりして、声に力が無いとその辺りが不安定になってコーラスとの違和感が生じるんです。
前回の録音が2005年と14年前ですが、この頃と比べるとかなり声帯が衰えているのが分かります。声に力が無いんで、ちゃんと歌っているつもりでも聴いてみるとフラフラしている(^_^;) 声が出るまで何度も歌い、お湯でうがいをし、スチーマーで喉を潤してまた歌い、20回ほど歌って録音。
で、また次の日に同じことやって20回(;´Д`A ちょっと喉が痛くなって来たくらいがいいんですよね。そんなこんなで50回くらい歌いましたかね...コーラス入れるともっとですかね。いやー、情けないですよホント(;´Д`A 宅禄だからナントカやってますけど、人前でなんてとても歌えませんね(≧д≦) でも、危機感感じながらも根詰めてやった甲斐があったかなと思います。Teraのミキシングで素晴らしい作品に仕上がりました。音質はYou Tubeより、こちらのMP3の方が良いので、どちらも聴いてみて下さい(^▽^)


 2019.03.07 (木) 声帯の衰え
 ポール御大、今でも意欲的にライブツアーを続けられてますが、さすがのポール御大も寄る年波には勝てず、年々声域と声量が衰えて来ているのは明白です。
そんな声の裏返るポールなんて聴きとうもないわい!という意見もございます(^_^;) まぁ、ごもっともと言えばそうですが、私個人としましては、そんなのどっちでもイイわけでして(笑) ビートルズに興味はあれど、各メンバーに対してはあまり興味が無いんですね..正直なところ。
しかし、最近になって私自身の声帯が弱って来て、ポールの声帯って凄いよなーなんて思うようになりました。つか、よくよく歳を数えたら77てな(*゚Д゚) 凄いですやん!って、自分の歳を思い出せば...もう少しでWhen I'm 64"ですやん!いやー、64なんて遠い先だと思って宅禄して来ましたけど、もうそこに見えて来てます(;´Д`A
もう、かれこれ5年くらい前からですが、年々衰えて来てるのが分かります。
肺活量が少なくなったのもありますが、横隔膜や喉の筋肉なんかもかなり衰えて来ているように思います。声が引っ掛からないないんですよね。分かりますかね?声がずっと掠れるって言うと分かるかな?
何処か空気が漏れているような声になるんですよ。スリムクラブの真栄田みたいな(笑)それは声帯をすぼめたりする筋肉が緩慢になるために高音が出にくくなったり、一発でその音が出なかったり、ピッチ(音程)が安定しなかったりと、歌を歌うには致命的なことばかりです。滅多にカラオケなど歌いませんが、数年前にヨメの前で歌った時「ヘタになったなー(*゚Д゚)」と言われました(^_^;) 自分で分かりながらもショックでした(笑) だから宅録の歌禄りの時は、喉を温めながら何度も歌い込んでから録音するようにしています。そうすることで次第に声が出るようになるからです。
ま、歌が生業でないので、どうでもイイんですが、ポール御大の気持ちは察するに余りあります。きっと辛いんでしょうね。でも、それよりもライブする事が余程大好きなんだと思います。久々に「Ask Me Why」演ってみて、自分の下手さ加減に驚いてしまいました(^▽^)


 2019.03.05 (火) これライブでやる?(*゚Д゚)!
 これをライブでやるという熱意...熱意と言うか、それを越えた怖いものがあります(;´Д`A 私も頑張らねば...


 2019.03.03 (日) 3月3日はおふさ様
 早くも3月突入ですね。3月3日は桃の節句、おひな様ですが、私にとってはおふさ観音参りの日でした。
5年前に夢で3月3日にお参りするようにとのお告げを受け(笑)半信半疑でお参りしたところ、嘘か誠か会社の業績が一気に上がって、それ以降、お参りが欠かせなくなりました(^_^;) ま、本当のところは分かりませんが、信じる者は救われると言いますか、このお参りを欠かして暗に転じてはというのが正直なところです(;´Д`A
今年で早くも6回目。この5年間は穏やかに安定してまして、今年もどうぞ、宜しくお願い致しますとお願いして参りました。
今更ながら、このおふさ観音を調べましたら(笑)
『おふさ観音は、高野山真言宗・別格本山のお寺です。その本堂が建つ辺り一帯は、かつて「鯉ヶ淵(こいがふち)」と呼ばれる、大きな池でありました。時は慶安3年(1650)4月、ある日の早朝のこと。この地で暮らす「おふさ」という娘さんが、鯉ヶ淵のそばを歩いていると、白い亀の背中に乗った観音様が、目の前に現れたのです。
おふささんは、池のそばに小さなお堂を建て、そこに観音様をお奉りすることにしました。その観音様は、色々なお願い事をか叶えて下さるとして、近くの村人たちに厚く信仰され、大切に奉られました。やがて誰からともなく「おふさ観音」と呼ばれるようになったと言います。』だそうです(-人-) 帰りがけに元気が出るようにと鰻重頂きました(笑)


先月のページへ